2020年6月

18日

先日、親父の朝食にハムエッグを作ってやろうと冷蔵庫から玉子を一つ取り出したところ、床に落としてしまった。

当然殻が割れて中身が床に飛び出た。

キッチンペーパー2,3枚で掃除しようとしたところ、その様子を見ていた親父が、

「待て、それはコテでやった方がええぞ」

と一言。

コテとはお好み焼きをひっくり返すための調理道具であり、大阪府民であれば一家に一枚は必ずある。

しかも我が家にはかなり大きなサイズまで揃っている。

それを使ってみたところ、床の玉子を簡単にすくうことができた。

これが年寄りの知恵かと感心した。

こういうことが瞬時に思い浮かぶということは、昔、親父も床に玉子を落としてコテで掃除したのだろう。

そこでよくコテを思い付いたものだ。

今回の親父の一言がなければ、俺はこの先の人生において落とした玉子をキッチンペーパーで掃除し続けていただろう。

カレーなどをこぼしてしまった時などにも使えそうだ。

以後、俺の人生において床に玉子を何個落とそうとも、これでもう掃除の心配は要らない。


18日

緊急事態宣言も解除されたことだし、そろそろ何処かへ出かけてもいいだろう。

そう思って真っ先に出かけたのは万博公園。

読書やらあれこれ物事を考えるのにここより適した場所を俺は他に知らない。

万博公園についてはいずれまた詳しく述べる。

後日、次に向かったのは神戸元町にある丸玉食堂。

高校生の時に初めてこの店に訪れ、俺の食に対する興味が開花したといえる思い出の店。

もう立ち退いたかもしれないとドキドキしながら店を訪れたところ、何とまだ奇跡的に営業していた。

ご夫婦及び娘さんはいつも通りで、そこに悲壮感は全くない。

いつもと変わらぬ丸玉食堂がそこにはあった。

ただ違うのは高架下の並びの店が全て壊されただけ。

この日、豚足と手この羽先唐揚げで瓶ビールを飲みながら俺は悟った。

丸玉食堂は強制撤去されるまで営業を続ける腹だろう。

こうなると問題はいつ強制撤去されるかだ。

それは明日かもしれないし、来月かもしれないし、来年かもしれない。

「これが最後かもしれない...」

そう思いながら酒と料理を楽しんだ。

店を出る際、もう明日には死ぬかもしれない瀕死の親友の病室を去るような、そんな気持ちになった。

さて、あと何回行けるやら?

あるいは、先日が最後だったのか?


12日

我が家は俺と親父の二人暮らしであるので、今回、国から計20万円が支給されることになる。

その使い道につき俺と親父の意見の一致を見たので、ここに記す。

受け取りを拒否したりせず、また、寄付もしない。

支給された20万円は別途他の財布で保管し、従来の財布には入れない。

いつの間にか生活費に消えていた、というような事態を回避するためである。

支給された20万円は全額食費に回す。

ただし、それは日常の食費ではなく贅沢な食事をするための予算とする。

既に決めたのが宅配ピザ(特にピザーラ)、鰻白焼き、京都伊勢丹で売られている京老舗料亭弁当。

これらを食べたとしてもまだ18万円は余るので今後の楽しみは尽きない。

その後は再びピザを注文するか、あるいは、黒毛和牛のすき焼きでも食うか。

藁焼き鰹たたきの取り寄せなどもそそる。

今回のコロナ禍において我が家は特に何も困ってはいないので、その趣旨及び道徳的見地からすれば受け取りを拒否するか、あるいは、どこかに寄付するのが人の道なのだろう。

けれども、俺は親父の余生の楽しみを優先した。

これもまた俺なりの人道。

親父は身体こそ不自由になってしまたが食欲だけは衰えることなく、日々の食事こそが最大の楽しみとなっている。

だから、そのために使わせてもらう。

筆頭候補に挙げたピザーラだが、今まで気にはなっていたものの、1枚4,000円もするようなピザをとても自分の稼いだ金で注文しようとは思わなかった。

港区あたりの住民は今日は雨だからとあんなものを気軽に頼んでいるのか?

宝くじにでも当たらない限りはピザーラなど食べることはないだろうと思っていたが、今回、期せずしてこのようなこととなった。

その源泉は俺の血税に違いないが、気分としては国のおごりだ。

俺も親父も、とても楽しみにしている。


5日

まだ親父の介護の世話が要らなかった頃、

午前十時の映画祭→寿司や中華料理で瓶ビール→ほろ酔い気分で映画をもう一本...

というコースをよくやったものだ。

最高に贅沢な一日であることは当時から自覚していた。

なので、こうして介護生活が始まってからも、

「今までによく遊んだ」

というある種の達成感があるので、世間一般の人々が介護生活で感じるであろうストレスよりもかなり軽くて済んでいる。

そんな俺の現在の最優先事項は、できるだけ日々穏やかに親父に最後の時間を過ごしてもらうこと、ただこの一言に尽きる。

とはいえ、たまに実にくだらない事がきっかけで激突してしまうことがある。

俺が折れればいいのだろううが、親父に非があることも少なくなく、なかなか上手くいかないこともある。

ただし、とても素晴らしいと思えることがあって、どんなに激突しようが翌日には綺麗さっぱりと水に流れている。

親子だから当然といえば当然だが、お互いにさっぱりとした性分なので、何かをグチグチと粘着質に引きずることがない。

こうしてずっと一緒に過ごし、たまに激突するようになって認識したが、俺のこのさっぱり気質は俺が自分で育んだものではなく、親父から受け継いだものだったようだ。

感謝しかない。

この感謝を胸に次に何か激突したら俺が折れようと思うのだが、なかなか...


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