2020年5月

14日

緊急事態宣言によって外食を控えていると大好きな店の一品が脳内で大きく膨らんでくる。

俺の場合、それは二郎系のまぜそば。

寿司や洋食、ラーメンなどは我慢できたのだが、まぜそばだけはどうしても食べたい欲求が抑えられず、ドラックの禁断症状とはこんなものかと思ったほどだ。

まさか寿司や洋食を抑えてダントツにまぜそばが好きだったとは自分でも意外だが、事実がそう物語っている。

緊急事態宣言中、自分の住むエリアから出たのは三回のみだが、その三回は全てまぜそばを食べるためだった。

太麺さえあれば何とか家でも作れそうな気がしたのでネットで検索してみれば、何とまるちゃんからまぜそば二食パックが市販されているではないか。

さっそく二郎風に作ってみたが、う~ん、微妙や...

一応見た目の雰囲気は楽しめるものの、愛すべきあの味ではない。

けどまあ、かろうじて禁断症状をごまかせる程度の再現度ではあるので、冷蔵庫に常備することにした。

特に女性は二郎系のジャンクな味を知らない方も多いだろうが、あの魅力を文字で伝えるのは極めて難しい。

機会があれば一度食べてみることを勧める。

もちろん最初はマシコールなしで。

注1:マシとは野菜マシ、豚マシ、アブラマシ、ニンニクマシ、タレマシ等のこと。

注2:マシのレベルも店員から必ず訊かれるが、少な目、ノーマル、ちょいマシ、マシ、マシマシ、バカマシ、メガマシ、テラマシ、インフェルノ等々店によって各種存在する。


21日

俺と親父は味の好みが概ね似ており、日々のおかず作りにおいて大いに助かっている。

その最たるものがカレーと麻婆豆腐だ。

お互いに辛い味が大好きなので、遠慮なく激辛仕様に仕上げている。

けれども、煮物はだしを効かせて旨みを出しつつ薄味に仕上げるのがお互い好き。

よって、日々の味付けに関してはあまり困ることがないのだが、一つ大問題がある。

それは米の炊き加減の好みが正反対であること。

俺は固めの炊きあがりが好きなのに対して親父は柔らかめを好む。

俺に言わせれば、あんなものは雑炊の一歩手前ではないか。

よって、苦肉の策として固くもなく柔らかくもなくという仕上がりを目指して水の量を調整しているが、毎回そう上手く炊けるものでもない。

結果、少し固めに炊ければ俺が喜び、少し柔らかく炊ければ親父がラッキー、といった具合。

ただし、米を炊くのは100%俺なので、今夜は生姜焼き等々でがっつりと飯を食いたい日などはわざと固く炊く。

本音を言えば毎回わざと固めに炊きたいくらいだが、それだと親父が死んだ後で絶対に後悔しそうなので我慢している。

人の好みは勝手だが、なぜあんなベチャ飯を好むのか俺には全く理解できない。


14日

介護施設へ行って食事や風呂、体操や脳トレ等々で一日過ごす、いわゆる通所リハビリというやつをこのところ親父は休んでいる。

施設では多人数で過ごすのでコロナ感染を懸念し、休み始めてもう一月あまりになるだろうか。

つまり、俺はこの一月というもの親父をフル介護していることになる。

強がりでも何でもなく、ストレスは全く感じていない。

というのも、もし介護がなかったところで、どっちみちコロナ問題であちこち出かけずに家にいただろうから。

このGWにしても、閉息感とか、出かけたいとか、自由な人が羨ましいとかいう感情は全くなかった。

問題はコロナが収束した後だ。

あちこち出かけたいストレスが一気に出始めるのか、あるいは、今のように日々それなりに充実しつつ介護生活を送っているのか、俺にも全くわからない。


7日

コロナ離婚なる言葉を聞く。

結婚経験のない俺に言われたくもないだろうが、二人長く一緒の空間に居ることで離婚問題が勃発するくらいなら、そんな相手とは最初から結婚しなければいいのに、あるいは、さっさと離婚すればいいのにと思う。

当初は愛し合っていたが、そうなってしまうのか?

時間がそうさせるのか、またまた化けの皮が剥がれるのか?

その原因の一つに、結婚のための結婚があるように思う。

飯などは腹が減った時に食うべきだ。

同様に、結婚もしたいと望む相手が現れたらすればいい。

焦って結婚したところで世間体は保たれるかもしれないが、それ以上に失うものがあまりに多いのではないか。

さて、先の見えないコロナ問題だが、いずれ収束したら俺なりの楽しみ日を設けようと思う。

長期旅行にでも出かけたいところだが、それは無理。

よって、日帰りで淡路島か敦賀にでも行ってみたい。

それが今の俺の最高に贅沢な一日。

楽しみだ。


1日

俺の現在の正直な気持ちを書きたいと思う。

武漢ウイルス(新型コロナウイルス)が人類の害であることは改めて言うまでもない。

けれども、そのウイルスが俺のストレスをかなり軽減しているのもまだ事実である。

現在、俺は親父の介護生活を送っているので、国の緊急事態宣言があろうがなかろうが、どのみちあちこち出かけることができない。

ところが、ウイルス問題が発生しているために、

「ああ、せっかくのGWなのに俺は淡路島にさえ行けない...」

という気分にはならない。

GWにかかわらず、毎週末もそうだ。

「ああ、俺は週末どこにも遊びに行けない...」

とは全く感じてこなかった。

皮肉なことに、ウイルスが俺の外出欲や旅行欲に対するストレスをゼロにしてくれている。

こうなると、どうもこの地球という星は俺を地軸とし、俺の幸せのために回っているのではないか?

という気持ちさえここ最近生じている。

これは奢りや自慢ではなく、申し訳なさからだ。

俺がストレスなく穏やかに暮らせるよう、世界がこのような状況に陥ってしまったのではないか?

そんな気持ち。

騒動よりも一足先に退職して既に自立していたので収入は特に変わらず、俺が実質的に被っている被害といえば定期的に通っていた飲食店に行けていないことと映画館に足を運べていないことくらいだ。

それにしたところで閉めている店も多いので、また食べたいとは思うものの、

「行きたいが行けない!」

とはならない。

映画など家でもいくらでも見ることができる。

俺が責任を感じる必要はないのだが、あまりに俺に都合が良過ぎる。

申し訳ないとはそういうことである。

とにかく、今後の動向を静かに見守りたい。


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