一杯の茶

「やはり恋人(夫婦)での主従関係は無理なのでしょうか?」

これは相談の中でもベスト3に入る質問だ。

やはりという一言が既に俺には気に入らなかったりするのだが、

「十分可能」

と、その度に答え続けている。

各自のSM観によるけれども、上記質問のようにSMを主従関係と捉えている人の場合、むしろ恋人とか夫婦の方が相当に深い関係を築くことができる。

例えば月に1、2度しか会えない主従関係の二人がいたとしよう。

じゃあ、その二人が会うと?

やはりホテルに入るだろう。

そして縛るなり何なりして欲望を満たす。

まあ、それはそれで良いし、仕方なくもあるのだが、深みという点でいささか物足りない。

俺はどちらかというと、少し固い話になるけれども、本能が支配している空間における主従関係よりも、理性が働いている時の主従関係の方により大きな喜びを感じる。

具体的に言えば、ホテルの一室で縛り上げてチンポを舐めさせるよりも、例えばこれは想像の話になってしまうけれども、俺が本を読んだり絵を描いたりしているときに、何も言わずとも茶を一杯持ってこられる方がより嬉しい。

(もちろん、前者も素敵であるが)

更には部屋をノックするときに、「もしや妨げにはならないだろうか?」などと緊張しながら叩いてくれたら、これはもう全く主冥利に尽きる。

SMとは全く次元の違う話だろうか?

俺はそうは思わない。

舐めるのも、一杯の茶も、相手に喜んでもらうために尽くすという点においてどちらも同じだ。

そんな俺には一杯の茶が十分SMのカテゴリーに入るわけで、一事が万事、その他ありとあらゆるものがSMになり得る。

朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の主従の喜びがそれぞれそこには存在する。

そう考えれば、恋人という立場はとても有利であるし、まして妻ならば理想である。

ただし、これはあくまで俺の考えであって、SMとは鞭で打つこと打たれること、と思っている方々には当てはまらない。

ましてや否定の一つもしたくなるだろうが、俺たちはお互いに間違ってはいない。

あなたはあなたの道を行けばいいだけのこと。

果たして貴女は一杯の茶に喜びを見い出すM女だろうか?

もしそうなら、恋人にしかできない、あるいは妻にしかできない奉仕の方法が様々あるはずだ。

それは同時に貴女に与えられた特権でもある。

もう冒頭のような愚問はなしだ。

上記に頷いた男性の場合、

貴男はその一杯の茶を持ってこられるに値する男であらねばならない。

更に過酷に言えば、そうあり続けなければならない。

自分のことは全く棚に上げて奉仕だけ期待しようというのではてんで話にならない。

他から見れば単なる偉そうな男と思われがちだが、主というのは、普通の恋人よりも、普通の夫よりも、相当にしんどいものなのだ。

特に「だらしがない」この一点は致命的だと考える。

逆に言うと、主というポジションそれ自体がいつまでも前に進み続けようとする原動力になり得る。

そこに主従関係の一つの妙があるのではないだろうか?

shadow

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