ノスタルジー
SMについて思いを巡らせるとき、そこには共通点があることに気付く。
例えば、M女性。
俺は、あなた方が大和撫子の最期の砦を守っていると信じて止まない。
密かに尊敬もしている。
あなた方が絶滅すれば、それは日本の悲劇だ。
と同時に、その一歩手前でもある。
海外でSMというとやたら女王様が幅を利かせているが、ここ日本でも時間の問題だろう。
俺の本能の片隅では、最後の聖戦士であるあなた方を守ってやりたいという強い使命感さえ感じている。
そして、S男性。
そこにちゃぶ台をひっくり返していた一昔前の親父像を感じるのは私だけろうか?
小さなテリトリーではあるけれども、絶対的な権力。
家庭における中心はあくまで己であり、圧倒的な存在感。
いざというときには限りなく頼もしく、そして、実のところ優しかったりする。
これらは、つまり「大和撫子」「ちゃぶ台ひっくり返し親父」というものは、「古き良き日本への憧憬」とは言えまいか?
俺は、SMにはある種の懐古主義が含まれていると思う。
前田寿安などはその感覚を見事なまでに具現化している。
俺たちは大切なものを失い、そして、これからも失い続けるだろう。
そんな時代への失望が、よりいっそうの懐古趣味を生んでいる。
やがて懐古趣味は俺の中でしたたかに時代と融合し、新しいかたちを創るだろう。
それをもって、決して止めることができない時代の流れへのささやかな抵抗としたい。
shadow
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