前田寿安
先日、雑記でウイスキーのことを書いたが、俺がこの秋もっぱら酒の肴にしているのはナッツやサラミではなく、一冊の画集だ。
題名を「寿安」という。
大型書店の美術コーナーに通い慣れた方なら一度は目にしたことがあるのではないか。
あるいはビニールがかけられていて、中まで目を通せなかった方も多いだろうか。
先日、ジュンク堂に行くと最初は山積みされていたその画集もとうとう最後の一冊となっていた。
3,200円という金額は決して安いとはいえないが、俺のようにすっかり魅了され、レジに持って行った共感者がそれだけいると思うと何だか嬉しくなる。
単に画集と書いたが、正確に言えば責め絵の画集だ。
一時は団鬼六の小説の挿し絵を描いたことで知られる人でもあるという。
責め絵といえばマニアの間ではまず伊藤晴雨の名が挙がるだろうが、作風としては前田寿安の方が俺的には好きだ。
画集の中の言葉を借りると、伊藤晴雨の責め絵はエロスを通り越して狂気の世界にまで達してしまっているが、前田寿安の場合はその手前で止まっている。
俺流に説明すれば、伊藤晴雨の絵では勃起しないが、前田寿安ならしっかりと起つ。
(もちろん人によっては反対の場合もあるだろう)
「寿安」の楽しみ方はただパラパラとページを繰るのではなく、一ページ一ページをじっくりと眺め、その背景を想像するところにあると思う。
見る者の豊かな想像力を刺激する作品が実に多いのだ。
前田寿安という画家は写真家がレンズを交換するごとく、様々なレンジ(距離)から作品を描いている。
中でも圧巻なのはミドルからロングレンジで描かれた作品群だ。
一般の場合、女性の裸体はショートレンジで描かれる。
そこで我々男性が刺激を受けるのはHな下着であったり、体の曲線であったり、あるいはポーズそのものであったりする。
背景はあくまでオマケか、あるいは省かれている場合が多い。
ところが、寿安のミドル及びロングレンジの作品群は生活感溢れる背景がきっちりと書き込まれており、それが見る者の想像力を著しく刺激する。
寿安の描く何気ない光景の隅に存在する異常な姿は、まさに「日常の中の非日常」を具現化している。
シチュエーションとしてこれ以上刺激的なものはないだろう。
例えばある作品は、一見するとボロ屋の連なる軒先で子供たちが紙芝居に夢中になっているというただのスケッチである。
しかしよく見れば、ボロ屋の二階に縛り上げられた女性が小さく描かれていたりする。
雨の隅田川(あるいは神田川か多摩川かも知れないが、俺にはなぜかそう見える)の絵などは、日本における野外露出プレイの発端となった一枚だと先刻別の本で知った。
時代背景が昭和初期なので、その情感たるや圧倒的なものがある。
俺のように懐古趣味がある方は尚更その世界に魅せられるだろう。
ダンジョンより長屋、鞭より竹刀、拘束具より荒縄...
そんな作品群をじっくり眺めながら、ウイスキーや日本酒をちびちびやる秋の夜長...
想像力一つで人はいくらでも幸せになれるのだ。
おそらくこの画集を購入しているのは男性が圧倒的多数だろうが、俺はむしろM女にこそ勧めたい。
書店によって帯が付いている場合と、付いていない場合があるようで、後者なら恥ずかしがり屋の女性でもレジに置きやすい装丁になっている。
ちなみに帯がある場合には、桜の木に女性が吊されており男が縁台に座って花見酒、そんな絵が小さく載っている。
そろそろ初版が店頭からなくなりかけているので、興味のある方はお早めにどうぞ。
shadow
追記
前田寿安の劇画を手に入れることができた。
画集「寿安」を見て以来すっかり前田寿安のファンになった俺は氏の劇画も二冊あると聞いてぜひ読んでみたいと思っていたのだが、近場の本屋を覗いてもそれらしいものは見当たらず、正月、難波に出かけた際にジュンク堂で、「前田寿安という人が描いている劇画を探しているのですが...」と訊ねてみた。
「はあ、前田寿安?」
てっきりそんな返事が返ってくるかと思いきや、「こちらにあります」と、その女性店員はずんずん歩き出した。
そして指を示された先を見れば、「愛奴」「縄化粧」二つのタイトルが前田寿安の名で確かに並んでいた。
書店のプロは凄いな。
注:このコラムはまだAmazonのアの字もなかった頃に書いたものだ。
一気に読むのはもったいないので少しずつ読もうと決めたのだが、結局、その日の夜に全部読んでしまった。
随分と贅沢なことをしたけれど、数の子を肴にヘネシーを飲みながら寿安の劇画を読みふけったあの時間は俺にとって新春早々から至福のひとときであった。
(参考)
ソフトマジック:前田寿安責め絵集「寿安」、本体3200円
青林工藝社:官能劇画大全5「愛奴」、本体1500円
ソフトマジック:新官能劇画大全7「縄化粧」、本体1500円
shadow
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