SM 110.com 携帯版トップページへ

SM 110.com パソコン版トップページへ

23日
先日、NHKの特番でイチローのインタビューを興味深く見ていたのだが、とても心に残る言葉があった。「バッティングに最終型はない」と彼は言い切った。もしバッティングに最終型があるならば、彼が打ちまくったシーズンと同じフォームを維持すればいいということになる。そうすれば翌年以降も素晴らしい成績が残せる。けれども真実は残酷で、同じフォームを続けていても結果は残せないと言うのだ。イチローが言うのだから説得力がある。これはバッティングだけの話ではないだろう。つまりは、何事も進化しなければならないということだ。これは生ある全てのものの宿命とも言える。その苦行とも言える一途で懸命な日々の積み重ねの先にこそ生きる意味があるのだと思う。来年もどうぞよろしく。

19日
NHKプロフェッショナルで蕎麦打ちの神様と言われる職人のドキュメントを見た。全く素晴らしい。俺はそれがどんな分野のどんな仕事にせよ、この道一筋に生きた人を尊敬せずにはいられない。広島にある彼の店は山奥という立地の悪さにもかかわらず全国から客が集まってくる。それを食べた人々はみな彼の打った蕎麦を大絶賛する。けれども、本当にその価値がわかって食べている客がどれくらいいるのかは、はなはだ疑問だ。10点の蕎麦職人の技量を味わい尽くすには食い手にも10点の感度がいる。そうして初めて出す者と出される側の対等な関係が成立する。もし食い手に7点の感度しかなければ残り3点分は決して理解することのできない世界だ。にもかかわらず、誰しもが彼の蕎麦を絶賛するのは、それは五感ではなく頭で食っているから。そういう意味では7点しか持ち合わせぬ者が7点以上の店に行っても全く無駄ということになる。かといって10点の感度があれば幸せかと言えば決してそうでもない。感度が上がれば上がるほど食にしろ芸術にしろその他何にしろ満足できるものが加速度的に減っていく。道がどんどんと狭くなり、ついにはそれを語れる相手さえいなくなる始末。本来、彼の店はそういう人の為にこそある。最も、かくいう俺だって彼の蕎麦を食べてみたいと思ったので、あの大行列に対して非難はできぬがな。

16日
女性なら誰しも自分の食事のメニューに困ったときの一品があると思うのだが、俺にとってその最たる物はアボカドだ。冷蔵庫1個入れておけば何かと重宝する。綺麗に皮を剥いて切り揃えれば、そのまま立派な刺身になる。俺はこの刺身が好きだ。その他アボカドクリームパスタや豚アボカド丼などまるでカフェのようなメニューも簡単に出来る。アボカド納豆又はアボカド納豆丼も極めて簡単にできるので、二週間に一度は食うな。とにかく、和洋中何でも万能に使えるありがたい存在だ。ただし、毎回あの大きな種を捨てるのが少々可哀想な気もする。水に浸しただけでも立派に目を出すし、鉢に植えようものなら凄まじい勢いで伸びる。言うまでもなく、あの種は生きているのだ。それを三角コーナーにポイとやるのはどうも気が重い。といって、全て育てるわけにもいかないので、「すまん」と一言言ってやはり捨てるしかない。生きていると言えば柿やリンゴの種も同じだが、特別アボカドだけが気になるのはやはりあの種の存在感ゆえだろう。

11日
11月に街をぶらつくと年々ハロウィンという祭が日本に根付いているのを肌で感じてきたが、もう今年に至ってはそれが決定的とさえ言える。今年の11月、俺はキタやミナミでどれだけ多くの特殊メイクを施した若い男女を眼にしたことか。少なくとも昨年まで大阪にはこの手のはいなかったので、今年一気に爆発した感がある。来年以降も更に増え続けるだろう。そのうち街中仮装パーティー週間みたいな具合になるのだろうな。彼彼女らがどういうメイクをしているかと言えば、その多くは口裂け女(男)であり、質素なシールを貼ったものからそのまま映画に出演してもおかしくないような本格特殊メークもあった。JR大阪駅伊勢丹付近では白衣が血に染まった口裂けスプラッタ看護士女に遭遇したが、子供が見たら泣くぞ、あれは。去年も書いたような気がするが、ハロウィンの仮装に紛れて露出過多衣装による羞恥責めのM女の首輪を繁華街で引き歩いたら面白いだろうなと思う。これについてはいつか実行してみたい。

9日
こう寒いと鍋やらおでんが恋しくなるが、帰りが遅くなって手抜きで惣菜にしたい夜はコンビニのおでんなどありがたい。コンニャクに至っては家のおでんよりもコンビニおでんの方が美味しい。それ以外は家おでんの圧勝と言えるが、なかなかの仕込み時間を要するので、まあ当然と言えば当然だ。過去にも書いた記憶があるが、俺が今まで外で食べたおでんで「これは旨い!!」と思ったのが、静岡青葉おでん街の「ミナミ」で食べたおでんだ。ここではマグロのだしが利いたおでんが食べられるのだが、何軒目かに入った店にもかかわらずかなりの量のおでんを食べたのを覚えている。とても狭い店だったが、また是非行ってみたいと思いつつ、あれ以来静岡には行っていない。マグロのアラを炊き込んだ煮汁をおでんに足してみたら似たような味になるかもしれいが、失敗したときの代償がでかいので未だ試したことがない。

5日
阪急東通り及び周辺で消え去ってしまったもの。インディアンカレー、ナビオ角のバーガーショップ、ナビオにあった映画館、ヘップFIVE空の広場、屋台風のラーメン屋、中華料理屋、宮武書店、喫茶田園、たこ焼き鈴屋、レンタルーム、ディスコ、洋ポルノ映画館、お初天神のシューマイ屋と関東煮屋...みんな消えてしまった。俺の青春時代に馴染んだ店で未だ残っているのは東通りにある餃子の王将、HEP横の大栄食堂とラーメン揚子江、東通りうつのみ屋とその下にあるお好み焼き美船、ケンタッキーとファーストキッチン、角の雑貨食料品くらいか。未来になればなったで現在のナビオや東通りの辺りの景色が懐かしくなるのか?それでも、街からどんどん風情が消えているのは間違いない。駅前ビルも取り壊しと聞くが、新梅田食堂街はいつまでも残って欲しいと切に思う。

2日
「昔あったような辛口の塩鮭が食べたいんやがな」滅多なことでは俺に料理をリクエストしない親父が珍しくそんなことを言った。まあ、これはリクエストというよりも、そういった食材を買ってきて欲しいというお使いのようなものだが、珍しいことなので俺も張り切った。ミナミやキタのデパ地下で塩鮭をちょこちょこ買っては試してみた。どれも辛口しか買わないので、昨今の軟弱な甘口焼き鮭に比べればもちろんご飯はすすむ。けれども、思い出補正がかかっているのか何なのか、二人して「昔はもうちょっと辛かったような気がする...」。そんな中、ついに真打ちが現れた。激辛というシールが貼られた一切れ525円もするそれは一見普通の切り身と変わりないのだが、焼いてびっくり、全体に塩が吹いて真っ白な外観の仕上がりとなった。期待しながら口に含むと、激辛という表現でもまだ大人しいと思う程に大辛い。昔の辛かった鮭をも遙かに凌駕している。「これや、これが食べたかったんや!」と親父。以来、毎週日曜日の親父の弁当箱の中身は、白飯が詰められた上に激辛塩鮭切り身1/4と漬け物少々が乗っただけの極めて質素な仕上がりとなっているが、これが「最高にいい!」のだそうだ。。ちなみに、鮭が切れたときは俺がいつも冷蔵庫に常備している横浜崎陽軒真空パックのシューマイを6個入れたシューマイ弁当というパターンもあるようだ。あまりに旨そうなので、俺も真似をして帰宅早々にシューマイ弁当を作っておき、晩酌の〆にそれを食べることもある。

翌月の雑記へ