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22日
人が幸福かどうかを計る俺の尺度はこうだ。ある日人気のない夜道で通り魔に襲われて腹を刺され、死を覚悟したとする。そこで何を思うか?ただただ犯人を恨みながら死んでいくのか?残される者に対する申し訳なさか?あるいは人生でやり残したことか?俺ならこうするだろう。先ずは携帯から救急車を要請する。その後、患部を圧迫止血しながらリュックから紙とペンを取り出してこう書く、「どうか悲しんでくれるな、俺は十分幸せだった」と。よって、お世辞抜きでそう思える俺はこの日本において屈指の幸福者なのではないかと思う。
カニの甲羅が堅いのはあまりにその身が美味いので魚に突つかれまくった末の進化だと聞いたことがある。説得力があるといえばあるし、ないと思えば全くない。ちゅうわけで給与に関係する今年の俺の仕事は今日で全て終わったので、今夜はカニ鍋だ。俺がカニ鍋をやる場合、白菜やら椎茸やらと余分なものは一切用意しない。カニと豆腐のみだ。といって豆腐もせいぜい半丁で、要するにカニで腹を膨らませる。せっかく一年の褒美に食うのだからこれくらいしないとな。今年は俺と親父の二人分でズワイのわけありむき身を4kg買った。というわけで、次回更新は来年となります。みなさん、どうぞ良い年末年始を。

19日
YMOにとって非常に大きな存在だったのは何といってもROLANDのMC8という自動演奏装置だろう。MC8がなければYMOもなかったといって差し支えない。しかしこの名機の末路はいささか不遇といえる。prophet-5を始めとする当時のシンセは今でもビンテージとして十分な価値を保っているが、MC8は例えデットストックがあったにせよ、せいぜい数万円の値打ちしかないのではないか。いまどきCV/GATEシステムによる自動演奏などやるプロもアマもいないだろ。ちなみに俺の押入の中にはrolandのTR606というリズムマシンが眠っているが、今どれくらいの価値があるのだろうな?TR808の方は今でも相当値打ちがあるのは察しが付くが、606は微妙か。車に例えればTOYOTA2000GTとS800みないなもんか。ちなみに俺はいつかTOYOTAが2000GTを復活させるのではないかと思っているのだが、そう思ってから早20年程が経過している。まだですか、トヨタさん?まあ、復活したところで俺に買えるはずもないのだが、目の保養にはなる。今、CMで毎号集めて2000GTを組み立てるキットを宣伝しているが、これからしてもやはり今でも相当ファンが多いのだろうな。関西人タレントK・Mのバカ息子が事故って廃車にしてしまったらしいが、全くバカにも程があると言いたい。

15日
先月にNHKで放送されたYMOのスタジオライブが印象的だったのでもう一度見てみたいとyoutubeで検索してみたらあっさりとヒット。ありがとう、有志。結局、そのまま過去のライブまでだらだらと深夜まで鑑賞。まあ、先月のが良かったといったところで、武道館でファイナルを迎えたワールドツアーには遠く及ばない。なぜあのツアーが伝説になったかといえば、俺に言わせれば「無理矢理ライブやった感」だろうな。パソコンが発達した今では自動演奏など造作ないことだが、あの時のツアーではMC8(自動演奏マシン)を二台ステージに持ち込んで一曲ずつ交互にリアルタイムでデータを読み込むという危険な荒技をやっていた。「1000のナイフ」のソロパートが長いのは次の曲のデータ読み込みに時間がかかるからという有名な裏話もある。要するに、あの時代は本来自動演奏を駆使したライブを行う環境にはまだ達していなかったのだが、松竹秀樹という存在もあってYMOはそれを無理矢理やってしまった。その無理矢理さから来る自動演奏と手弾きとの絶妙なバランスがあの当時のライブにはあった。更にはエフェクターも今ほど発達していなかったのでレコーディング時のような音色は出せず、原曲からはほど遠い音色で演奏される曲にはかえってライブ的な味が大幅に加わって、それが新たな魅力となっている。録音済みテープとのシンクロ技術を使った散開ツアーはYMO史的には最も評価の低いライブだろう。その間にはウインターライブがあって、これもテープとのシンクロが行われていたが、テープ音源が全面には出ずに坂本龍一が気合いを入れてメインパートをしっかりと弾いていたので、これまた非常に良いライブだった。これだけ周辺器機が進化すればもうワールドツアーのような無理矢理感のあるライブは不可能だが、まさにあれは時代が生んだ一つの音楽だったな。

12日
俺の給料日翌日のささやかな贅沢、それは銀たこを二人前、つまり16個食べること。いつもはおやつに8個を食べるパターンが多いが、これでは物足りない。さりとて、いつもいつも二人前食べていては、おやつで千円オーバーもどうかと思う。よって給料日の翌日くらいは贅沢しようというわけだ。まあ、要するに何が言いたいかといえば、銀たこは旨いが高い!そういうことだ。

8日
親父の納豆の食べ方が少々変わっているのだが、いつしかその食べ方が俺にも伝染してしまい、今ではいつも親父の真似で食べている。それはこうだ、先ず卵を割って黄身と白身に分ける。そして白身のみをレンジにかけて好みの堅さにまで熱を入れてからかきまぜて冷ます。それを黄身と共にだしと混ぜ合わせた納豆に投入し、牡蛎醤油を少々追加して再び全体を混ぜ合わせて完成というものだ。こんなこだわった食べ方を親父がするのは後にも先にも納豆のみだ。俺の場合、更に冷蔵庫に黄色いタクアンがあればそれを細かく刻んで投入する。これは以前東京の居酒屋で五色納豆を頼んだときに出てきた一品からのアイデアだが、なかなかいける。しかしながら、それ以上に納豆に入れる卵の白身に熱を加えるというのはアイデアとしては秀逸だ。生のじゅるっとした状態だと邪魔だし、さりとて捨てるのは勿体ない。今までは途中で飲んでいたが、熱を入れることによって食べやすくなったと共に白も一色加わることになる。これを白雪納豆とでも名付けようか。親父には家庭ノーベル賞でも授与したい気分だ。

5日
先日、昼に入った中華屋でエビチリ定食を頼み、飯を2杯食べ終えたときに女性店員が「もう一杯お持ちしましょうか?」と聞いてくれた。この一言のみで俺のこの店の評価は70点から90点へと急上昇した。小食者にこの一言の嬉しさはわかるまい。けれども俺が今後この店に通い、いつもいつも2、3杯お代わりして一方的に得をするかといえば、決してそうはならない。こういう店には夜に積極的に金を落としに行くからだ。損して得取れとはよく言ったものだと思う。人情がある限り、この法則は永遠に不滅だ。ちなみに、俺が最も飯をお代わりしている店は、天王寺MIOプラザ館4階にある中華料理百楽だ。ここの坦々麺は胡麻のコクが凄まじくてお薦め。きっと体にもいいはずだ。

1日
先日鴨川沿いを散歩していると親猫2匹と子猫2匹の野良猫たちがまるで人間のように川面を眺めながらじっとたたずんでいた。あまりにその姿が仲睦まじく、また愛らしくもあったので、何か食べものでもやろうとリュックを漁ってみたが、アルフォートが一箱入っているだけだった。試しに横に4個置いてみたが、一度臭いを嗅いだ後は全く反応はない。やはり野良といえども猫は辛党のようだ。俺が昔飼っていた猫は飴を舐めたのだがな。天気が良かったので俺も猫たちから少し離れて腰掛け、ぼんやりしつつもあれこれ考え事に耽っている内に寝てしまった。いつの間にやら猫の姿も見えぬ。どうぞお達者で。

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