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23日
今朝は出勤ぎりぎりまでカーリングスイス戦の中継を見ていたが、帰ってみれば残念な結果となっていた。トリノ辺りから急に注目され始めた感のある競技だが、まだルールが今一つわからないものの、見ていて面白い。要するにエンドの中の最後の2、3投が大切なようで、いかにそのときに有利なポジションを取るかという肉体のみならず知的ゲームの感が強い。よってチェスや将棋のように持ち時間というのがあって、オリンピックの中では一風変わった種目であるとも言える。なぜ男子カーリングがないのかという疑問はあるが、見ていて思うのはそこには国民気質が如実に現れている。今思えば随分差別的な話だとは思うが、以前魅力的である国ごとの男女のランキングが発表されていた。我が国が誇る日本女性は世界第2位だ。理由は穏やか、美しい、大きくない、頭が良い、体臭がない、毛深くない等の項目が挙がっていたが、それら理由は別にしても、カーリングの試合を見ているとやはり日本の女性は世界の中でも特に素敵だなと思う。何より「ヤー」とかいうかけ声のような指示に可愛らしさがある。これはたまたま彼女たちがそうだったというよりも、やはり国民性によるところが大だろう。海外の選手は指示というよりも絶叫に近く、そこから我の強さが十分過ぎる程に感じられる。点の取り方にしても奥ゆかしい。決して自分たちから派手なことはしないけれど、かといって相手が一旦隙を見せればきっちり点を奪いに行く。まさに日本代表だ。まだ決勝リーグ進出の可能性は消えていないようなので、彼女たちの愛らしいかけ声を聞きたくて残りの試合も応援する。

22日
先週、パラノーマル・アクティビティーを観てきたが、これは強がりでも何でもなく全く恐くなかった。一番ドキドキしたのは本編が始まる前で「これから一体どんな恐怖が待っているのか?」と、お化け屋敷の列にでも並んだ心境だったが、期待は見事に裏切られた。詳しい内容は書かぬが、要するにブレアウイッチの舞台であった森が部屋に変わっただけの話で、二番煎じのそしりは免れない。おまけに突っ込みどころ満載で、途中からは「それはないやろ」と漫才師の相方にでもなった気分だ。前方に女子高校生の集団がいて彼女たちがキャーキャー騒ぐのでホラー映画の名残がそこにあったが、俺には全く効かぬ。ゾンビ好きの友人に鑑賞に付き合わされたので、知らぬ間に恐怖耐性が強化されたのか?あるいは駄作なのか?アバター3Dが2,300円だったので、パラノーマル・アクティビティーは逆に1,000円くらいでもいいのではないか。心情的にはそんなところだ。最近のホラーといえば日本もハリウッドもビックリ系ばかりで、例えば日本なら真っ白のメークをした男児が急に出てきたりとか、そんなのが目立つが、俺はこういうやつよりもじっとりとしたホラーの方が恐いな。ミッキー・ローク主演のエンゼル・ハートなどはホラー映画とは言い難いが、良作だ。俺が今まで劇場で見て一番恐かったのは韓国映画のDOLLSというやつで、人形がフューチャーされたホラー映画だが、これは恐かったな。ところで予告編で流れた島の謎を解き明かす風のディカプリオの新作は面白そうだった。これも観に行こう。

17日
冬季オリンピックの華といえば女子フィギュアだそうだが、安藤美姫の両親は余程の美男美女なのだろうな。いくら生まれた娘が可愛かろうが、ちゅうか皆生まれたときは猿のような顔をしているものだが、美しい姫などとは普通付けないだろうと思うのだけどな。俺だったら絶対付けぬ。今回のオリンピックは時差があるので、夜の放送はダイジェストばかりでいまいちだ。やはり生で最初から最後まで見たい。冬季で一番好きな競技は滑走だが、昔に比べてカメラワークが格段に良くなったので、とても迫力のある映像が楽しめる。競技はもう始まっているようだが、どうやら注目の日本人選手がいないようで、ダイジェストでちょこっと流れるだけなのが残念だ。日本人が出た競技を何度も何度も放送しているが、俺は他のももっと見たいのがな。日本人が出ていようがいまいが、種目が何であろうが、世界中から集まる鍛え抜かれたアスリートの体が跳躍する姿は純粋に美しい。ちなみに、一番好きな五輪競技は夏期オリンピック体操の特に床で、これだけは毎回どんな中途半端な時間であれ放送を見る。小中学校時代に得てして尊敬を集めるのは数学のヒーローよりも体育のヒーローであり、宙返り一回できるだけで注目の的だが、彼らはそれを空中で3回もやってしまうのだ。だから俺にとって彼らは選手というよりもヒーローと呼んだ方がピンとくるし、それは他の競技の選手も変わらない。そんな世界選抜が集まるのがオリンピックなので、どうか民法でももっといろいろ放送してもらいたいものだ。

15日
明日はパラノーマル・アクティビティーを観に行く予定だ。ホラー映画はゾンビ好きの友人と、他に誰も付き合ってくれないということで、よく一緒に観に行ったものだが、ゾンビ映画というのはホラーであってホラーでない。友人の如く世の中にはゾンビマニアというのがいて、そういう連中は恐さを楽しみにソンビ映画を観に行くのではなく、今度はどういう演出やストーリーで攻めてくるのか、それが楽しみなのだそうだ。まあ、言わんとしていることは俺にもわかる。デッド・ライジングを一緒に観に行った後の居酒屋で「ついにゾンビを走らせやがった」と興奮気味に語っていたのを思い出す。ジェイソンやらフレディーも同じで、あれらもホラーであってホラーではない。ファンには「またジェイソンが帰ってきたぜ!」となるそうだ。よって、友人の付き合いによりその系統は何ということはないのだが、俺が明日観ようとしているのは純粋なホラー作品であって、こんなのを劇場で観るのは初めてのことだ。まさか小便もらすようなことはないと思うが、今から少しドキドキだ。

12日
河原町阪急撤退のニュースにショックを受けたとは昨日書いたが、所用で久しぶりに十三へ出かけたら知らぬ間に白ばらがなくなっていたな。昔ながらの純喫茶で鉄板ナポリタンが名物の店だった。辺りを散策してみれば見知っていた店も半分以上なくなっている。ただし、小便横町は店の変化はあるものの、あの雰囲気は相変わらずで嬉しくなる。純喫茶といえばもう一つ思い出深いのがミナミの千日前ラーメン神座の横にあるアメリカンだが、前を通る度に中を覗くと人の入りは多いので、この様子だと安泰だろう。あの通りも昔ながらの店といえばアメリカン、たこ昌、お好み焼き、妙にチンピラチックな服屋くらいになってしまった。筋をほんの少し入ったところに「天丼の店」という名前の天丼専門店があって、ここも昔はちょくちょく入ったものだが、いかんせん当時の俺には大盛りを食べても胃にかすった程度にしか足しにならなかったので、次第に入る回数も減った。今なら大盛りでちょうど昼飯くらいになりそうで、久々に行ってみるとするか。もちろん、赤だし付けて。

8日
節分の日にはいわし、豆そして巻き寿司を食べるという習慣になっているようだが、俺は巻き寿司は食わぬ。巻き寿司を食べる習慣は昔にはなく、大阪の海苔屋が商売繁盛を当て込んで節分の日に便乗したのが始まりだとは今や有名な話だ。同じ習慣でも土用の丑に鰻を食べるのとは重みが全く違う。この勢いであれば巻き寿司もあと100年もすれば立派な伝統かもしれないが、俺は死ぬまで食わん。まあ、単にヘンコツということか。

3日
今まで百貨店閉店のニュースを聞いてもどこか他人事だったが、河原町阪急閉店はショッキングなニュースだ。あの入り口前で過去何度待ち合わせをしたことか。遡れば俺がまだ二十歳前の頃から、京都の甘酸っぱい思い出はあの場所を起点にして生まれている。最も、そんな俺でも中に入って買い物やら食事をしたことは皆無で、たまにトイレを利用していただけなので撤退されても文句は言えぬ。これを無理矢理人生訓にこじつければ、あって当たり前のものがあるということはありがたく、また幸せなことだ。その最たるもの、すなわち健康なり。阪急百貨店の如く、あって当たり前、いつまでもそこにあると思ってはならない。俺の場合、毎日30分〜小一時間を気功やストレッチに充てているので、これで病気になったら天運だと思って前向きに受け入れるだけの心づもりはできている。なかなか毎日それだけの時間を作るのは難しいと思うかもしれないが、番組欄をチェクして見たい番組を一つ選び、それを見ながら1時間やるわけだ。特に見たい番組がなければ21時からNHK今日の料理〜ビギナーズのコンボで30分だけやる。ストレッチとテレビの相性は良いし、気功も簡単な寫法(しゃほう)ならぼけっとテレビを見ながらでもできる。ちなみに今夜は魔法のレストランを見ながらやるつもりだ。

1日
昨日TV放送で「母べえ」を見たが、ああいうバッドエンドの映画はあまり好きではないな。どんなに悲惨な内容であっても、ラストシーンでなにがしかの救済がなされなければならないとは俺の主張だが、なんだかおかしな最後だった。感動させてくれとまでは言わないが、あれではエンターテイメントとしての映画を放棄したと言える。俺は観に行ったわけではないが、なぜに陰鬱な気持ちで劇場の席を立たなければならないのか。戦争の悲惨さを訴えたかったのだろうが、それならばドキュメントで十分だ。映画ならば「これは作った話だから」と逃避できる余地があるからな。ドキュメントはそれができない。特に戦争のドキュメントの場合、そこに下手な人情ものが絡んでこないだけにダイレクトにアピールしてくる。よって、ドキュメントに娯楽は要らず、映画は娯楽でなければならない。
長い歴史を見れば今のアメリカ支配の世界情勢はほんのわずかな通過点に過ぎず、いつ何時バランスが壊れてもおかしくないし、既にそのカウントダウンが始まっているとも言えるが、バランスが壊れるということはまた戦争が始まるということだ。きっと次は超短期で勝敗が決まる空前絶後の悲惨な戦争になるだろう。要するに、先に落としたもの勝ち。そうなれば悲惨さを感じる前に敗者が死ぬのが唯一の救いか。滅私奉公と旗に墨する間さえない。建造物はそのままで生物のみを殺戮する中性子爆弾というのがあるが、今はその技術も更に進んで特定の種族、例えば人間の男だけ、あるいは女だけを殺せるのだそうだ。男だけを殺す中性子爆弾を落としてから後は歩兵で占領という戦術が有効に思われるが、こうなるともう戦争とすら言えない。歪んでしまった社会ではあるけれど、今の俺たちはギリギリ良い時代に生まれたのかもしれない。

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