SM 110.com 携帯版トップページへ

SM 110.com パソコン版トップページへ

30日
北海道釧路市において給食のエゾシカ丼からライフル弾の破片が出てきたというニュースがあった。俺がこれを聞いて驚いたのは給食からライフル弾ではなく、北海道では給食に鹿の肉が出るということ。贅沢な話ではないか。以前、屋久島へ行ったときに屋久鹿を食べようと思ったら、「ここで出される鹿肉は屋久鹿ではなく、どっかから仕入れた奴やつ」と聞いて食うのをやめたが、とにかく俺にとって鹿肉のイメージ熊肉同様珍味の部類に入る。それが給食で出るのだから驚きだ。あるいは最近流行の地産地消でたまたま間引いた鹿肉でも食べたのか。先日、よく行く店のマスターからくじらのベーコンを1キロほどもらったのだが、あまりに美味しくてあっと言う間になくなった。こんな贅沢はもうできないだろうな。

28日
今週のNHK今日の料理は俺的になかなか豪華だ。というのも月火がグッチ裕三、水木がケンタロウだから。前者は子供だましのようなたわいもない料理だが、何より底抜けに明るいのがいい。最初は見ていてばかばかしかったのだが、気が付けばお気に入りとなっていた。後者は何より彼自身が好きだ。ああいうのを素朴な魅力とでもいうのだろう。料理は簡単でちょっとお洒落、男向けの料理が多いので実際に作ることも多い。過去一番気に入ったのが豚ばら肉とレタスの混ぜご飯。夏場の朝飯に極めて結構な一品でよく食べる。今週紹介される料理の中から一つでもお気に入りが生まれれば上等だが、秋の夜長、ひとときの楽しみが増えた。

27日
世の中、生きていく上でいろいろな裏技があるようで、友人が子供ができて直ぐに離婚した。「何と気の毒に」と言えば、実際そうではなく二人は幸せの絶頂で、相変わらず家族三人で暮らしているという。では何故に離婚かといえば、国から支給される母子家庭手当が目当てだそうだ。税金の無駄遣い、納付した年金のずさんな管理等々を思えば、目には目をという考えも成り立たなくはないのかもしれない。世の中、こんな世帯が決して少なくないと言う。しかしながらそういう行為は自分の地べたである日本という国を確実に崩壊へと導く。否、既に崩壊しかかっているが誰もそれに気付きたくないだけだな。

21日
阪神が負けたので後の試合はどうでもいい。WBCがあるとはいえ、ついに日本プロ野球界から王さんがいなくなってしまった。今年はONのみならず次世代のKKコンビまでもが姿を消してまさに一つの大きな区切りの年となった。まだ娯楽が限定されていた高度成長期、人々は野球に熱中し、その中心にいたのが王、長嶋だ。彼らがホームランを打って試合に勝てば、それは勝敗のみの問題ではなく、やれ万博やれ新幹線やれテレビと成長に沸く国民の暮らしに大いなる花を添えたに違いない。いうなればONは国民のみならず時代からも愛された。例えば今が戦後間近ならイチローなど力道山やONの比にならぬ程国民から愛されただろう。飽食の時代、どれだけ成績優秀な選手が現れようとも、それは単なるチーム内の人気選手にしかなれぬ。ONはもう現れない。

20日
投資して損したから訴えるとか何とか言っている人々、彼らには抵抗を感じる。抵抗というよりも嫌悪感か。株のことはよくわからないが、儲かるかも知れないということは損するかもしれないということ。見苦しい。往生際が悪い。

15日
最近本のカバー絵を気に入って衝動買いするということがめっきりなくなった。昔の文庫本のカバーには実に個性的な絵があってそれを眺めるだけでも楽しかったものだ。個人的には江戸川乱歩のカバーを飾った切り絵及び銅版画、子供向け江戸川乱歩少年探偵団シリーズのカバー、横溝正史のカバーが好きだった。「透明人間」や「電人M」、「犬神家の一族」の表紙を飾る美しいが不気味な日本髪の女性など誰しも記憶にあるだろうし、横溝正史「貸しボート13号」のカバー絵など小学校時分の俺には小便ちびりそうな程に怖かったものだ。それに引き替え昨今のカバー絵は実に質が落ちたものだ。その絵にやっつけ手抜き感が現れており見ていてつまらない。仕事の単価が安いから数をこなす必要があるのだろうが、よって悪循環となる。出版社にも責任はあるが、作品が世に出る喜びを無くしたイラストレーターは実に惨めだ。

9日
今の時期、朝玄関を出たときの冷気が実に気持ちいい。所々冷気の中にキンモクセイの香りも漂ってくる。朝なのでしんみりはせぬが、それでも多少は感傷的になる。夜のそれは人恋しさを伴うが、朝の場合は詩的な気分だ。誰でもが一瞬芸術家になる。古来、人はこういうときに詩を書き、歌を詠むのだろう。俺の場合元絵となるスケッチの一枚でも描きたいところだが、なかなか出勤前にそこまで優雅にはいかない。あるいは30分早出すればいいだけの話なので、単に情熱が不足しているのか。皮肉なもので、情熱の源泉は現状の不満だ。その不満を打破すべくエネルギーが正のベクトルに向かったときに情熱を伴った行動を生む。俺は何かにつけ幸せを感じる性格だが、これは素晴らしいことである反面、エネルギーの供給不足にもなりかねない。現状に満足しつつも日々熱く前進する精神、俺にとっての悟りとはそんな心だな。

7日
俺が最も好きな料理番組はTBSの「チューボーですよ」だ。何がいいかって、この番組で紹介されるレシピは全て店のシェフからの直伝だ。NHK今日の料理のレシピを否定するものではないが、いかんせん研究家が頭の中で考えただけの料理も多く、長年客の舌に揉まれた上でのレシピとは自然重みが違う。そんな店の宝とも言えるレシピを惜しげもなく教えてくれるのだから有り難いことだ。最も、一手間も二手間もかかる調理が多いので、今日の料理等のシンプルレシピと違い見たからといって実際に作ることがほとんどないのが実状ではあるが、それでもプロのテクニックの一部を普段の調理に応用できる。一通りのメニューを作り終えて番組もそろそろ終了と思いきや、その後も同じメニューを何度も登場させて気が付けばすっかり長寿番組になってしまったのは嬉しい限りだ。

6日
京都の烏丸御池にある漫画博物館へ行ってみたいと思いつつ、なかなか行けないでいる。蔵書の数は凄まじいようで、一般では見られないものの例えば創刊号からの少年ジャンプも全て保存されているという。行って真っ先に読んでみたいのはやはり梅図かずおの漂流教室だ。これを一日かけて読破するというのはかなり贅沢な時間になる。俺が子供の頃は夏休みになると書店の棚の漫画を全て読み漁ったものだが、今の子供はこんな博物館やら漫画立ち読み自由の雰囲気があるブックオフがあるので幸せだな。最も、今時の子供は夏休みになっても漫画の立ち読みなどはせずに家でTVゲームだろうか。今にして思えば漫画の立ち読みは店の親父に相当煙たがられたものだが、それでも最後の一言である「帰れ」とは決して言わなかった。子供ながらも一応は客であり、その後ろにはたまに本を買いに来る親もいるので言えなかったのか、また今のように世の中も人の心もぎすぎすしていなかったのであれはあれで温かい目で読ませてくれていたのか。それがいつの時からか今のようにビニールがかけられるようになって子供の姿が書店から消えてしまった。昨今、コンビニでも週刊誌にビニールのある店と無い店があるが、緊急の場合を除き俺は決して後者でしか買い物をしない。

2日
俺は別段好きでも嫌いでもなかったが、清原が引退した。清原といえば球界の番長やら強面キャラで通っていたが、少なくとも球場で見た生の彼はとても礼儀正しかった。最も印象的だったのは西京極球場で見た西武時代でのこと、かの球場では試合終了後バスに乗るにはグロンド内を歩いてレフト方向にある門を抜ける必要があるのだが、三塁側の客席の前を通過する選手の中で清原一人だけが帽子を脱いで客席に深々と頭を下げた。たまたまこの試合だけの行為とは思えない。こうしてグランドを去るとなるともう少し応援しておけば良かったと思っている人間は多いだろう。これを機に後で後悔せぬようイチローももっと応援してやらんといかんな。100年後にも残るであろう快挙を毎年成し遂げているのだから。

1日
料理の名前を知っておくこと、あるいは考えておくことはとても大切だな、とつくずく思う。例えば朝の食卓でおかずは漬け物だけで、味噌汁の具はねぎのぶつ切りのみとしよう。これではとても物足りない。一日の始まりだというのに力が付かぬ。ところがこの味噌汁を江戸料理風に呼べば根深汁ということになるのだが、「根深汁と漬け物で一膳」と考えれば急に豊かな食卓に感じられる。それなりの器なら尚更だ。心が喜べば消化器系もその能力を最大限に発揮し、そこから余すところなく栄養を摂ってくれる。栄養学的に電卓の計算では十分な食事であろうとも、くそ不味い栄養食品を貧相な精神で食うのとは訳が違う。極論すれば心が喜ばない食事など食ったところで大した役には立っていない。そういう意味において冒頭の言葉が出るわけだ。例えば酒の肴には焼いた厚揚げのみとする。質素を通り越してどうも貧乏くさい。ところがそれに大根おろしを添えて雪虎と呼び、ねぎを添えて竹虎と呼べば途端食卓に優雅な風が吹き、心豊かに酒が飲める。この呼び名は先達が考えたものだが、俺もあれこれ考えてはいるものの未だそれを越えるものなし。

翌月の雑記へ