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28日
休日前、いつもならもう寝なくてはいけない時間を過ぎてもほろ酔いで音楽聴いてあれこれ妄想している時間が好きだ。好んで聴くのは相変わらずのサラ・ブライトマンと天満敦子なり。中でも前者はLALUNA、後者はバッハ無伴奏バイオリンがそんな時間には良い。

27日
我が家の夕食のおかずを親父がカレンダーに書き込んでいるとは以前書いた通りだが、昨日食事しながら何気なしにそれを眺めていたら揚げハンバーグなる記入があった。「はて、こんなの食ったか?」とよくよく考えてみれば、何のことはないミンチカツのことだ。その調理法からして決して間違いではないのだが、(なめろうを)なめろんの如くたまに笑わせてくれる。このカレンダーは月替わりなのだが、さて破った後は捨てているのか残しているのか?一度訊いてみよう。

26日
煙草を吸おうといつものベンチに座ったら、なにやら地面に小さなものが散らばっている。鳥の糞か何かに見えたが、よくよく見ればそれらは各所の藤棚の下にのみ落ちており、どうやら藤の種のようだ。雨でない限り俺はそのベンチで毎日煙草を吸っており、昨日の昼間にはなかったので、以後今日にかけてどの藤も一斉に種を落としたことになる。冬の藤など只の枯れ木にしか見えないが、彼らはしっかりと生きているのだ。しかも物言わず連帯している。煉瓦の上に散らばっている種も結構あったので拾って方々にばら蒔いてやったが、人が自然の営みに介入するのは余計なお世話か。自然の偉大さを感じた一日。

25日
サラ・ブライトマンの新作がアマゾンから届いたのでワクワクして聴いたが、彼女の特長である透明感のある声がずいぶんと濁ってしまったようだ。言い方を変えれば円熟期に入ったということだな。オペラ座の怪人、EDEN、LALUNAがある限り俺は永遠のファンである。今年はジャパンツアーもあるようで楽しみだ。ライブといえば押尾コータローも来月にある。ミュージシャンと簡単に名乗っている人は多いが、彼は本物の一人だ。またアコースティックギターによる戦場のメリークリスマスを聴きたいものだが、今ツアーでは弾いてくれるだろうか。

21日
前作同様ダニエル・クレイグの主演で007の新作の撮影が始まったそうだ。また人間くさいボンドが見られる楽しみ半分、すっかりエンターテイメント映画でなくなった寂しさ半分の微妙な心境。今回の撮影はアルプス中心で、映画もほとんどのシーンがアルプス山中になるという異色作だそうだ。ボンドといえば世界を股にかけての活躍が見所でもあったが、今作においても更に過去のイメージから脱却しようとしているようだ。「寒い国から帰ってきたスパイ」が映画化されないのが不思議でならない。チェコとかボンとかKGBといった言葉に心が躍ってしまうスパイ小説・映画好きとしてはやはりベルリンの壁があった頃の本格スパイ映画こそ望まれる。こういうのは今時流行らんのかね?

20日
中国輸入食品が随分騒がしいが、今更別段驚く話でもないし、俺は産地やら賞味期限は特に気にしない。店で酒を飲んでいて、トイレに行ったらたまたま刺殺される時代だ。人間死ぬときは死ぬ。小さなことにあれこれ気を回すのは馬鹿らしいではないか。まあ、連日のニュースで気にするのは個人の勝手だが、それを人に強要するのがいるからたちが悪い。俺の信条をいちいち説明する気にもなれず、よって一言「けっ!!」と横目で呟き構わずに食う。俺が唯一口にせぬのは日が経ったと思われる生ガキのみだ。

19日
旅行から帰って撮影した画像をパソコンに転送していたところ、いきなり電源が落ちてそれっきり起動せずだったのが、ようやく復帰することができた。マザーボードを交換したわけだが、ここ数年でパソコンのハード事情もずいぶん変化したようだな。CPUはデュアルコアが主流になり高性能で低電力。まあ、それはいいとしてメモリはDDR2になり、PCIEXPRESSやらSATAやら見慣れぬスロットが登場。俺のシステムに必要な旧世代のマザーなど既に普通には売られてなく、よってジャンク品で間に合わせた。動作保証や説明書等がない分1,000円もしなかったので念のため2枚買って帰ったが、最初に組んだ一枚目で無事起動した。幸いなことにOSの再インストールも必要なかったので、大した手間もなく以前と同じ具合に動いている。というわけで、また今日からよろしく。

7日
特に今まで座右の銘というのは持たなかったのだが、魯山人の著書の一文に「正義無敵」の言葉を見て痛く感銘し、以来「座右の銘は?」と聞かれれば「正義無敵」と答えるようにしている。というのは嘘で、そんな質問は一度も受けたことがなく、今ここで宣言するのが初めてなのだが、とてもいい言葉だとは思わないか。これ人生全てにおける指針だ。ただし....「人間というのは良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをする」という池波正太郎の有名な一文があるように、人間なかなか正義無敵を貫けるものではない。新聞紙上を賑わせている偽装事件にせよ何にせよ、根っからの悪人はいないと思う。彼も誰も、ある一方では良い人なのだ。鋼鉄の意志を持たぬ俺とて同類ではあるが、正義無敵と自信を持って行動できれば恐れるものは何もない。祈らずとも神は守ってくれる。

6日
魯山人と言えば料理、陶芸、書、篆刻、絵において有名でその全てが超一流なのだから正に尋常ではないが、それを指摘されるのを聞いたことがないものの俺は彼の文章も大いに評価したい。評価とは偉そうだが、とにかく読んでいて痛快の一言に尽きる。持って生まれた希有な美眼に裏付けされた努力と自信から来る切って捨てるような文章。といって格好付けて論文調にやたらと難解な言い回しではなく、美という掴み所の難しいものがとてもわかりやすく書かれていて、この点魯山人の作品と共通するものがある。俺は独学で絵を学んでおりあれこれ技法書やら何やらを読んでみたものの、魯山人の著書程参考になった本を他に知らない。それらは料理やら陶芸やら書やらで絵についてはほとんど書かれていないのだが、突き詰めれば美の根底には同じものが流れており、一芸に秀でた人の言葉はどの分野にせよ大いに為になる。今では勝手に心の師とさせて頂いている次第だ。

5日
京都東山蕎麦処「なかじん」へ新蕎麦を食べに行ってきた。噂に違わずの名店で、さして蕎麦を知らぬ俺でもとても楽しめた。例えばミシュランガイドの星のあるレストランで食事をしたならばあんな感じではないだろうか?そう思わせるものがあった。席に着いたのが12時で、店を出たのが2時20分。とてものんびりしたペースで料理を楽しませてくれる。それもあっと言う間の時間に感じられるのは店の落ち着いた雰囲気、オープンキッチン、主人の人柄と会話、そして何より美味しい料理だ。行く前は昼飯に5,000円は高いと思ったが、むしろ安かった。ただし注意も必要で、一人で行くには向かない店だ。今はコースしかないようなので、一人では間がもたない。酒を飲まないなら尚更だ。ただし、本当にのんびりと一人で蕎麦屋酒を楽しみたいならば、逆に遠慮せず長居できる。一時過ぎの新幹線でその前の時間にちょっとなかじんで、というのもダメだ。行くときは2時間30分まで空けておくべし。昼になかじんで食事をしたら晩飯はうどん一杯で十分。ゆっくり食べるからか、大した量ではないのだが、とにかく腹持ちがいい。夜にもどこか予約を取っておくなど無謀だ。で、肝心の蕎麦の味だが、蕎麦と名の付く麺をすすっているのではなく、確かに蕎麦を食っている、とでも書けばわかってもらえるだろうか。特に蕎麦がきが強烈な印象だった。一応蕎麦つゆと薬味も出るが、主人はとにかく塩を薦める。確かに塩が一番良かった。ちなみに、この日の俺が選んだ主菜は板東太郎の白焼きわさび添えだ。以前から食べてみたかったのだが、図らずも蕎麦屋で太郎君に出会えた。次回はプラス千円になるが天然の方をいこうか。今まで、美味しいと思った店は多々あるが、主人のもてなしを受けたと感じたのは今回が初めてだ。年に4度は行きたい店だが、まあ、予算の都合により2度くらいかな。是非また行きたい。注:この雑記は昨年秋に書いたもので、残念ながらなかじんは本年一月を持って暖簾を下ろした。

4日
俺は生まれてこの方自分の名前をあまり気に入っていなかったのだが、その名前というのがある戦国武将と同じという理由で彼に関する本を複数読んだところいずれも剛胆、豪傑、猛将といった扱いで、以来「この名前もちょっといいかな」と思い始めた。自分の名前が好きと嫌いでは大違いだ。人生もっと早くに彼に関する本を読んでおくべきだったな。

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