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22日

先日、我が家で季節外れの蠅が飛んでいた。俺が叩き落とそうと構えた時の親父の一言、「そいつ、まだおるんか。こないだから元気に飛んどるわ」。丸めた新聞紙を持った俺の手が止まった。元気に飛んどる...こないだから...俺も親父同様、この季節外れの蠅を見逃してやる気になった。もう我が家では誰もおまえを殺さない。好きなだけ飛び回って天命を全うするがいい。以前にも書いたような気がするが、どんな家に住むのかということは大した問題ではない。誰と、どのように住むのか、それこそが最も大切だ。見栄や体裁など、どうでもよろしい。男二人の質素な住まいだが、我が家はとても幸せなのだと思う。
次回更新は新年6日の予定。みなさんも良い年を。

19日

日米首脳会談が山口で行われた。当日、プーチン氏は会談の後、最高級のフグやカニでもてなされるに違いない...と、一緒にニュースを見ていた親父に何気なく言ったら、それは違うとのこと。プーチン氏はどこの国に行くにもお抱えの料理人を連れて行き、彼らの作った料理以外は一切口にしないという。食器まで全て自前だそうだ。もちろん暗殺を恐れてのことである。つまりプーチン氏には心の平安がないのである。それが独裁者の常とはいえ、何とも不幸な人ではないか。世界中の最高峰の料理を楽しめる立場にあるというのに、すきやばしで鮨を楽しんでいたオバマさんとは何とも対照的である。
フグは旨い旨いと皆言うけれど、本当にその良さがわかるには相当の舌勉強が必要である。伊藤博文しかり、魯山人しかり、食道楽が行き着く最後の一品といっても過言ではない。すなわちフグは味のないのが良い。そこにあるのは旨みだ。海の味の素と言ってもいいかもしれない。これを絶賛するまでに至るには山海の珍味をことごとく制覇せねばならない。よって、仮にプーチン氏が食べていたところでフグの良さは全くわからんだろうな。

15日

スキンダイブの話で思い出したが、過去、俺は3回ほど死にかけたことがある。一度目、当時俺の家族が住んでいた長屋には井戸があって、その井戸の縁に祖母が俺を腰掛けさせた。その時、木の蓋が腐っていたのか薄かったのか、蓋が壊れて俺は井戸の底に真っ逆様に落ちたらしい。らしい、というのは俺には全く記憶がないからだ。成人してから祖母に「あんた、小さいとき井戸に落ちたんやで」という話を何度か聞いたが、どうして俺が助かったのかということについてはついぞ聞かず仕舞いであった。祖母が助けに降りたのか?二度目、当時俺たち家族が住んでいた長屋の近くには大和川という大きな川が流れており、ある時、俺がその川べりで小石を拾っては川にポイポイと投げ込んでいたらしい。らしい、というのはこれまた俺に全く記憶がないからだ。井戸と同じく1、2歳の頃の出来事であるから仕方がない。そんな俺を親父は微笑ましく見守もりつつ周りの景色か空でも眺めていたのだろうが、ふと視線を戻すと俺が消えていたらしい。どうやら石を投げた勢いが余ってそのまま川に落ちたようなのだ。幼児の俺が泳げるはずもなく、俺はそのまま大和川に流されたらしい。それを親父が助けてくれたと聞く。一歩間違えれば親子二人の死亡記事ではないか。三度目、与論島の海岸で長期野宿していた時のこと、余程連れて帰ろうかと悩んだ海岸にいた野良子犬をダシに使って連日観光客の女の子をナンパしたりクラゲなったりと性と大自然を満喫していた俺だっが、ある日、意味もなく穏やかな海のできるだけ先まで泳いでみたくなった。500mくらい沖に出た時のこと、水をかこうと前に伸ばした手に明らかに異質の海水が触れた。今でもはっきりと覚えているが、あれは間違いなく死の冷たさであったと思う。とたんに恐怖に包まれて目が覚めた俺は陸へと引き返したが、あれより数メートル先に出ていれば流されて死んでいたと思う。俺が死にかけたのはいずれも水が関係しているが、何かそういうものを持って生まれたのかもしれない。今日、こうして人生を謳歌できているのはただ単に運が良かっただけなのだ。生きてるだけで丸儲けとはよく言ったものである。感謝。

12日

2、3年前から急にアルゼンチン赤エビなるものがスーパーに並び始めた。なんじゃこりゃ?と思ったのもつかの間、値段が安いので今では食卓で何かと重宝している。ところが最近、俺の近所のスーパーではこのアルゼンチン赤エビのLLサイズが並び始めた。トロ箱に入った状態のバラ売りで1尾100円だ。生食用として売られているので、俺はまずサイズに見合ったたっぷりのエビ味噌を堪能、次に殻を剥いた大きな身に醤油を付け、グルメレポーターが生蟹を食べるあのスタイルで口に入れる。旨い、最高に旨い。ねっとりとした甘さが口中に広がり、大きいので食べ応えも十分だ。俺は生であれば蟹よりもこっちの方が美味しいと思う。それでいて値段は比べるべくもない。スシローの赤エビ1カン100円もお値打ちだが、このアルゼンチン赤エビは舌感として更にその5倍はお値打ちだ。たった100円でこの満足度はあり得ない。スーパーで見かけたらぜひ食べてみてほしい。

8日

週末、梅田に出ようと思ったら人身事故で電車が遅延していた。駅のアナウンスによれば「ただいま約60分の遅れで運行しております」とのこと。「60分の遅れやったら結局時刻表通りで、別に遅れとちゃうやん...」と思ったのは俺だけではないだろう。このあたりの律儀さは我が日本の誇るべきところと言えよう。その点、台湾のメトロなどはとにかく単純明快だ。そもそも日本のような時刻表が存在しない。ひたすら往復ピストン運転あるのみ。時刻表の代わりに駅では「あと○○分で到着」という電光表示がある。唯一のルールは00時00分に両端の駅から最終電車が出ること。まあ、極めて合理的といえば合理的だ。大阪環状線や東京山手線の各駅停車はあれだけ密にくるくる回っているのだから時刻表など要らんやろ?と思うのだがな。特に山手線などは乗り過ごしたところで本1ページを読む間もなく次のが来るしな。けれども、あれだけ次から次へと来るというのに朝のあの混雑振りは一体何だ?東京という都市は通勤電車に乗らなくてもいい人にとってはとても魅力的な街だと思うが、そうでないならサラリーマンにとっては苦痛な都市でしかないのでは?一度朝の通勤ラッシュの時間帯に立川から東京まで移動したことがあるが、ラッシュに不慣れな俺は東京駅へ着いた時点でフラフラだった。みな、そこから一日働くのだろ?ありえんわ。

5日

今はまだ無理だが、将来的には毎年一度は石垣島へ行って一週間ほどのんびり過ごしてみたいという願望がある。毎日スキンダイブ三昧だ。俺が特に好きなのが、シュノーケルで呼吸をしつつ海面をただクラゲのように漂うこと。背中が日に焼けてしまうのでTシャツを着たまま海に入り、ただ漂う。いつまでも漂う。昔、与論島の海岸で一週間ほど野宿したときはこうして毎日時間を忘れたものだ。海底の白い砂に映る太陽のゆらぐ光が美しかった。時折魚の大群が下を通ったりする。小1時間もそうしていると自分が人間という生き物であることさえ忘れてくる。クラゲになったような、魚になったような、水と同化したような、光と同化したような、俺の人生においてあの体験は明らかに特別な時間だった。以来、あの感覚が懐かして、何度か日本海の美しい海に漂ってはみたが、日本海は海の中の景色が荒々しいので、あのような感覚にはなれなかった。石垣島なら大阪から直行便もあるようなので、年に一度そこでクラゲになりたい。もちろん、今でも行けなくはないのだが、そうなるとGWや盆休みくらいしかそこそこの連休がないので一向に気が向かず、今まで実現せずに来てしまった。そろそろ最初の一歩として石垣島周辺のガイド本など買ってみようと思う。日本にこういう場所があって本当にありがたい。

1日

年に数回、俺は親父がとても可愛らしく見えることがある。つい先日、帰宅早々の俺に「おい、これでコンニャクにスジを入れよ思たけど、ぜんぜんアカンわ。これ一体何に使う道具や?」と親父。親父が手にしていたのは白髪ネギカッターだ。俺は何事も包丁一本でやりたいタイプだが、白髪ネギだけは切るのが面倒なので専用カッターを買ったのだ。親父はそれをおでんに入れるコンニャクの仕込みに使おうと思ったようだ。その発想に感服する。親父の頭もまだまだ柔らかいようだ。しかし、そりゃ無理やろ。ちなみにこの白髪ネギカッターを買って以来、あれこれの料理に重宝している。麺類は言うに及ばず、俺が愛して止まないラーメン屋の一軒であるマッチョの激安持ち帰りチャーシューを使ったチャーシュー丼、総じて俺の煮魚の味付けは濃いめなので白髪ネギを飾り兼薬味として添えている。特に鯖味噌と白髪ネギの組み合わせ日本酒によく合う。この白髪ネギカッターは料理好きのM女にはぜひすすめたいアイテムである。ちなみに俺がamazonで買ったのはこれだ。