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28日

コンビニの塩むすびにいたく感心し、コンビニの食もなかなか捨てたものではないと思い始めている。他に何か良さそうなものはないかと近所のセブンイレブンをチェックしてみたら、「金の味噌」という生麺タイプの味噌ラーメンに俺のアンテナが反応した。で、その日の夕食に早速試食。これもかなりやりよる。ラ王やマルチャン製麺など全く相手にならないレベルであり、それなりの具材をトッピングすればあちこち食べ歩いている俺でさえ店で出されるラーメンと間違えそうだ。肉売場に無料で置いてあるラードを溶かしてこのラーメンにかければ「すみれ」の二、三歩手前レベルのラーメンが家でも手軽に食べられる。この「金の味噌」でコンビニ食に対する認識が更に変わった。知らぬ間にどえらい進化しとるな。冷凍レンジタイプの味噌ラーメンも見つけたので、次はそれいってみよう。

24日

俺が鮨の話ばかりするからか何なのか、親友が俺を江戸前鮨に招待してくれた。江戸前鮨というくらいであるからもちろん出てくるのは一貫ずつ。醤油も自分で付ける必要は一切なく、職人が刷毛で塗って出してくれるような店だ。そのまんま「早川光の旨い寿司」の世界である。けれども、値段は激安。何と10貫のコースで一人前3,500円である。にわかには信じがたい金額だろう。もちろんこれには事情があって、福島にあるその江戸前鮨千陽は寿司職人養成学校付属の店というわけ。ネタも良ければ雰囲気もいいのだが、握る職人の腕前がちょっと...そんな店である。しかし実際に出てくる鮨は全く問題ないどころか、むしろやる気と情熱がみなぎっている分だけ俺的には歓迎したい。何より憧れの江戸前握りに小鉢まで付いて10貫3,500円である。一体技術不足に何の文句があろうか。ちゃんとこはだ、トロ、赤貝、煮はまぐりもコースにあるしな。ドリンク類が高いのがいささかマイナスポイントだが、総じて大満足な店だ。俺は今まで寿司といえば専ら市場寿司かスシローばかりだったが、以後、本命はこっちに変わるかもしれない。とはいえ、超人気店のようで予約なしではとても入れない。その点、市場寿司は昼間から通しで営業しているので、気が向いたらいつでもふらっと食べられるのが良い。要は使い分けだな。大好物の寿司屋に選択肢ができたのはありがたい。食通の親友に感謝。

21日

週末、難波に行ったついでに以前までジュンク堂のあったビルに行ってみた。あんな好立地の巨大テナントビルがいつまでも空きであるわけがない。と、なんとそこにはドンキホーテの看板があるではないか。入り口から店内の様子を覗いてみれば、以前であれば新刊が平積みされていた場所には多数のリュックサックが陳列されていた。長年馴染んでいた光景からのあまりの変わり様にとても店内に入る気にはなれなかった。見るも無惨やな。別にドンキが悪いと言っているのではない。どこが入ろうが、変わってしまった光景には哀愁しか感じない。
気を取り直して焼き肉五苑に行ってみれば、こっちは以前にも増して繁盛している。開店の11時30分を10分しか過ぎていないにも関わらず、もう一階は満席だった。ちらりと見渡せば、どうもインバウンドの影響のようだ。アジア系のみならずヨーロッパ系も一組いた。俺が通されたのは三階のカウンター席だ。注文したのは俺の五苑での好物三品、すなわちアバラ(肋骨ぎわの肉)、ネギ塩せせり(鶏の首の部分、ネックとも言う)、豆もやしのナムル、これに生中5杯で会計2,400円。安い、尋常でなく安い。しかも生中のグラスは一杯ごとに冬でもキンキンで運ばれてくるし、肉も十分美味しい。よって支出金額÷満足度の数値が異常に高い店だ。俺はこのような店こそ愛する。いつまでも残って欲しい一軒だ。

17日

本当に俺の大好きだったタラコがなくなったのかどうか確認しようと再度スシローに行って来た。週末であれ午前の11時頃なら店はまだかなり空いているのだな。スシローといえば夜の大混雑しか知らないので意外だった。で、タラコだが、やはりタッチパネルのメニューのどこにもなかった。消えたんか...と思っていたら、隣の夫婦が店員に「ウニはなくなったん?」と訊いていた。寿司屋を名乗るのでればウニのような定番をなくす訳がないので、そこで俺は悟った。ウニもタラコも仕入価格高騰か何かの理由により入荷していないだけで、一時的にメニューから消しているのだろう。ということは、またあのタラコ、というよりもタラコマヨネーズを食えるということだ。違うか?そしてこの日、俺はスシローに痛く感心させられた。というのも、新メニューとして寒ブリ2カン100円、ブリトロ1カン100円、ブリトロ柚子大根のせ1カン100円というのがあって、それぞれ食べてみたが、中でもブリトロ柚子大根のせがとても美味しかった。結局これを5皿は食べただろうか。とても1カン100円とは思えない。スシローなのでシャリについては割り切って食べるしかないが、それでも大満足の一皿だった。2カン100円の白子も食べてみたが、これまたなかなかいい。上手に茹でてあるので白子が固くなっておらず、トロトロの食感がまだちゃんと残っている。これで2カン100円とはあまりにお値打ちだ。とても気に入ったので、また近々ブリトロ柚子大根のせ、白子、赤エビ、生サーモンを食べにスシローへ行こうと思う。ブリトロ柚子大根のせは最低5カンは食うだろうな。タラコも復活していると嬉しいのだが。これを読んで「私も食べに行こう!」と思った貴女。ブリトロ柚子大根のせにはわさびは付けず、柚子おろしにほんのちょっとだけ塩か醤油を垂らして食べるのがおすすめだ。白子についてはポン酢ジュレが乗っているのでそれだけで十分。目を閉じて食べればまるで寿司屋のカウンター席にでもいるような口福を味わうことができるだろう。

14日

難波店が閉店して以来俺がジュンク堂、特に茶屋町店を応援しているとは当雑記でも何度か書いたが、先週末土曜日の午後に店を覗いてみればついにレジ待ちの客が0人だった。やばいぞ、茶屋町店。以前からレジ待ちの列が目に見えて減ってはいたが、先月、同じ茶屋町エリアに最新型蔦谷書店がオープンしたのが大打撃となったのだろう。あのうんざりするようなレジ待ちの長蛇の列はもう二度と見ることがないのだろうか。はたしてこのような傾向は全国的なものなのだろうか。この先どうなるかわからんが、とにかく営業している限りは応援したい。頑張れジュンク堂、頑張れ茶屋町店。

10日

俺はJRと阪急を結ぶ信号を阪急側へ渡ると毎回用もないのに新梅田食堂街をぐるっと回ってから阪急百貨店のコンコースへと出る。新梅田食堂街はそう遠くない将来において必ず再開発されるだろう。だからこの光景を瞼に焼き付けておきたい、それが理由だ。梅田の超一等地のど真ん中に残った昭和の空間は、あまりに場違いだ。いつまでも残って欲しいとは思うが、時間を止めておくには場所が良過ぎる。だから、いずれ消え去るであろうあの空間へ信号を渡ると毎回寄り道するのである。かれこれ30年ほど前から新梅田食堂街の変遷を見てきた。松葉、きじ、たこ梅、ラーメン屋...当時から続く店が多数残っているのは嬉しい限りだ。新店では気が付けば入り口のたこ焼き屋が大行列店になっていた。鴨つけざる蕎麦の店が気になっているが、激狭店なのでのんびり日本酒で一杯やりつつ、という雰囲気でないのが残念。20年ほど前、オリンピアという店のねぎ焼き定食をよく食べた。きじ名物モダン焼きはもう20年以上前に食べた切りだが、今では東京にも出店して大人気であると聞く。新梅田食堂街は何かと思い出の多い場所ではあるが、ここで一度でも女を連れて食事をした記憶がない。今では洒落た店も出来つつあるが、俺にとっては完全に硬派な場所である。梅田のど真ん中に残る異空間は大阪遺産の一つと言っても過言ではない。いつまでも再開発という名の怪獣が蹂躙しないことを祈るばかりだ。

7日

先日、財布を見て回るのに阪急メンズ館へ入ったついでに食堂フロアも覗いてみた。ずいぶんと懐かしい店が残っていて驚いた。壁の穴にブルーノ、えび三郎まで残っているではないか。ブルーノは俺が高校生の時にデートで利用した店だ。相手がカレーが好きだというので、当時「本当に美味しいカレーを食べたことがありますか?」というキャッチフレーズで宣伝していたブルーノに行ったのだ。これだけ多種多様で美味しいカレー店が増えた今でも営業しているとは驚いた。しかも行列まで出来る程に大繁盛していて二度驚いた。まあ、こうして昔からの店が残っているというのはいいことだ。店の営業も10年を越えれば立派な街の文化の一部だ。末永い繁盛と、当時の記憶をプレイバックしに久しぶりにブルーノのカレーを食べに行ってみよう。ちなみに梅田界隈で俺が一番美味しいと思うカレーはルクア地下にある「旧ヤム鉄道」。少し歩いて良いなら中崎町「busaba」のグリーンカレー。「busaba」はジュンク堂からも近いのでセットでよく行く。タイ料理やカレー好きの方は一度どうぞ。

3日

先日の財布の話について横浜のシウマイ弁当大好きM嬢から概ね次のようなメールをもらった。すなわち、財布の値段×200=年収、よって、もっと高い財布を持つべし。確かに一理あると思う。携帯でのメールだったので手短に返信したが、ここで改めて俺の考えを述べておきたい。予算は十分あったにも関わらず俺がブランド物の財布を買わなかったのには二つ理由がある。一つ、俺はそもそもブランドにあまり興味がない。二つ、俺は親父と二人暮らしなのでスーパーへ食材の買い物によく行く。すると支払いのレジにおいて俺の前のおばちゃんがブランド物の財布を取り出すシーンにしばしば遭遇する。そこで俺が思うこと。おお!このおばちゃん外見は全く普通やけどブランド財布とはなかなかやるやん、本当の洒落者は靴と財布と傘に金かけるって言うしな、おしゃれやん、おばちゃん、やるやん、おばちゃん...とは、絶対にならない。俺が思うことはただ一つ、その財布こんなおばちゃんに持たれて可哀想やな、いつもそう思う。それのみを思う。馬鹿御曹司に乗られる新型ランボルギーニ並に可哀想だと思う。馬鹿にするとか、そういう話ではない。モノが可哀想だ。俺はそのおばちゃんをどうこう言うつもりはない。ただ完全に似合っていないのである。単に高級品を持てばそれでいいということでは決してない。女子高校生が持つヴィトン以上のブランドの哀れを俺は日々のスーパーでしばしば感じる。ならば俺がスーパーの支払いでネーム入りの高級財布を取り出して似合うかどうかと考えれば、これはもう否だ。だから、俺は持たない。まあ、あと10年程の歳月が必要だ。その頃にはむしろ高級財布しか似合わない男になっているだろう、えへん、えへん。ちゅうか、そもそも俺は既に過去M嬢からプレゼントでもらった高級ブランド長財布を二つ持っているのだが、片方は色が気に入らず、もう片方はデザインが気にいらずで、単なるカード入れとして家で使っている。刀が武士の命ならば、傘や靴のように使い回さないという意味において財布は男にとって最も重要なアイテムなので、やはり気に入ったものを使いたいのだ。すまない。