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31日

何と千日前のジュンク堂が閉店してしまった。場所も良いので決して客の入りが悪いようには見えなかったのだが、売り上げと家賃を天秤にかけて撤退したのだろう。その原因は明らかで、俺のようなAmazonユーザーの増加に違いない。とりわけkindleを所有してからというもの、読みたい新刊が出ても電子版を待つようになった。これでは書店もたまったものではない。紙しかない場合はできるだけ普段から世話になっているジュンク堂で買うようにはしているし、同じ思いの人々が少なからずいるとは思うのだが、どうやら大した援護にはなっていないようだ。この閉店を以て俺のメインのジュンク堂は以後茶屋町店ということになる。千日前のジュンク堂フロアを巡回してから道具屋筋で手頃な食器を物色するのがお気に入りの散策前のジュンクコースだっただけにとても残念だ。

28日

不倫報道で叩かれまくって「ゲスの極み乙武」とまで言われてしまっている乙武氏だが、俺はそんな彼に最大限のエールを送りたい。障害者と性についてはデリケートな問題をはらんでいるが、生まれながらにしてあれだけのハンデを背負いながらの暴れん棒将軍振りには健常者も含めて多くの人々に希望を与えたのではないか。要するに男は行動力。そこに意志さえあれば道は開かれる。さすれば金も女も付いてくる。不倫ではないか、という意見もあろうが、この際それは脇に置いてはどうか。石田純一の不倫が許されて彼が許されないという法はない。それ以前に、夫婦間で納得しているなら外からとやかく言う問題でもないだろう。もし俺が彼の妻なら人生を存分に謳歌している姿を微笑ましく思ったに違いない。要するに、不倫は叩いておかないと子供の教育上よろしくないということなのだろうが、何事も自分で判断できるように育てるのが大切であって、結論の押し付け教育はこの先の日本をますますつまらない国にしてしまう。そういう意味において、報道はただ事実のみを正確に伝えればそれで良い。発信者の主観など要らない。事の善し悪し、意見や感想は自分で決める。とはいえ、今週木曜日の古館報道ステーション最終回は見てみようと思う。

24日

随分と不遜なことを書くようだが、大阪で何か大きめの事故があるたびに全国津々浦々から少なからず心配のメールが届く。社会や他人に対して何かと世知辛い世の中において、きっとこれは人も羨む境遇なのだろう。けれども、俺はそんなことをされても嬉しくはないし、そもそもそういうことを望んではいない。その心理は、俺はどんな事故にも不死身な強い男だと思いたいのだろう。ゆえに、心配されると逆に不快になるといういささか性格の曲がったところがある。本来なら気の利いた一言でも返してやればいいのだろうが、そのほとんどは無視される。この傾向は以後も変わらぬと思われる。だから、その手のメールは無用だ。最近であれば、梅田のど真ん中で車が暴走して死者が出たときに届いたな。こんな俺だから、きっと入院するようなことがあれば見舞い客に対して逆に腹を立ててしまうのだろう。昔から寂しがり屋な男を見ると内心で馬鹿にしてしまう。酒の席でふとそんな一面を見せられると「けっ...」となり、慰める代わりにさっさと店を出たくなる。最も、これはあくまで男の場合の話だ。女の寂しがり屋な性格は当たり前だと思っている。優しく包み込んだりはしないが十分に理解はしているし、少なくとも馬鹿にすることはない。

17日

俺の家飯での一番のご馳走、それは親友が時折差し入れてくれる丹波地鶏入りの湯豆腐である。他の具材は一切入れないこのシンプルな湯豆腐、ちゅうか、地鶏鍋をたっぷりの大根おろしをぶち込んだポン酢で食べる。これが至福の旨さなのだ。昨今、食品の産地偽装がしばしば摘発されているが、この親友が持ってきてくれる丹波地鶏は産地偽装不可といえる程に個性がはっきりとしている。身は引き締まっており、歯が強くなければ食べられない程の弾力だ。その分噛めば噛む程に味わい深く、本来地鶏とはこういうものをいうのだろう、と改めて思わせてくれる。そして、特筆すべきは皮だ。普通、皮付きの鶏肉を煮れば皮はプルプルというかプニョプニョというか、とにかく決して好きになれない触感になる。だがこの丹波地鶏は煮た皮まで固く、噛む度にコリコリと音がする。これがまた旨い。たまにこの味が恋しくなってスーパーで地鶏を買ってみるが、いずれも全くの別物である。親友のそれがあまりに美味しいので、玉ひもや砂ずりも一緒に入った500g相当入り1パックで俺は3,000円程度と見込んでいたのだが、長年値段を訊くのも野暮と敢えて質問しないでいた。先日、居酒屋での話の流れでそれが1パックたったの1,000円であると知って驚いたものだ。正確には丹波赤鶏というのだそうだ。肉質は軍鶏や名古屋コーチンに匹敵するものの、値段だけが飛び抜けて安い。本来なら自分で買いに行きたいのだが、電車では行けないような場所にある。なにせ俺には免許があっても車がない。そんな俺の心情を察してか、年に何度か持ってきてくれる訳である。ありがたや。福井県民御用達の焼き鳥秋吉にある純鶏もこの赤鶏と同じ類だ。歯さえ丈夫なら噛む程に鶏肉の脂と旨みが口中に広がる。昨今、肉と言えば口溶けの良さばかりが注目されているが、重視すべきは肉の旨みだろう。丹波赤鶏は全国の鶏好きに食べてもらいたい逸品である。

14日

F1中継といえば以前まではスタート地点でタグホイヤーのロゴが目立っていたが、気が付けばいつ頃からか公式スポンサーがHUBLOTに変わっていた。まあ、それはいいとして、問題はその発音だ。日本人なら誰しもハブロットと読むのではないか?現に俺はこの文字を目にして以来今までずっとハブロットだと思い込んでいた。どうやらこれはウブロと読むらしい、ということを先日初めて知った。英語に親しむとHongkongにGがあるのは何となく理解できてくるが、HUBLOTは誰がどう見てもハブロットやろ?UBLOじゃダメなのか?

7日

あちこちで寿司を食べて思うことがある。スケルトンがゲーム界における永遠の雑魚キャラならば、寿司屋における永遠の雑魚はどうやらイカゲソのようだ。俺の大好物であるアジやイワシも市場寿司では最安値なのだが、寿司屋によっては下の上又は中の下並の扱い、つまりは1カン150〜250円程度の料金設定の店もある。これは仕入れ値というよりも仕事の手間賃だろう。その他、ある店では最低ランクだが他の店ではそうでもない、といったような寿司ネタも少なくない。そんな中にあって、俺の知る限りイカゲソだけはどの店でも常に最安値だ。どうして俺の好きなネタはいずれもこうも安いのか?嬉しい悲鳴ではあるが、好きだからといってそればかり食べていると、金欠にも関わらず寿司を食いに来た奴、ということにでもなろう。職人が安ネタ連発の客を内心どう思っているのか、あるいは何も思っていないのか、そのあたりのことは知るよしもないが、こちらとしてはやはり多少気にせずにはいられない。よって、味覚なみならず値段の強弱を付ける意味でもマグロやアナゴを間に挟んで注文したりする。この最安値のイカゲソだが、店によって個性が出るので実は面白いネタでもある。最も多いのは焼いたイカゲソを握って中央に細海苔を一周させ、煮詰めを塗るパターンだ。塩で出てくる店も少なくない。店によってはレモン一絞りの仕事がなされており、最安値とは思えない歯ごたえと旨味、風味が楽しめる。新鮮であれば生ゲソというパターンもあるな。いずれもその扱いの低さが気の毒になる程にうま味が強い。別に俺は日本イカゲソ向上委員会の回し者ではないが、女性にもぜひ楽しんでもらいたいネタだと強く思う。