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29日

よく言われることだが、最後の晩餐に玉子かけご飯というのは選択肢として大いにありだと思う。海苔やネギ等の薬味入りや胡麻油を少々混ぜた中華風もいいが、やはりシンプルに醤油のみが一番いい。使うはアサムラサキの牡蛎醤油だ。昔はわざわざ取り寄せていたが、今では近所のスーパーでも普通に買えるのがありがたい。米を主食とする国は少なくないが、俺の知る限り玉子かけご飯なる料理があるのは日本だけではないか。なぜか?きっと米が美味しくないからだ。それに加えて醤油のような優れた調味料もない。日本人がうま味文化を発達し得たのも実は優れた味覚うんぬよりも単に米が美味しかったからではないかと思わないでもない。よって、諸国のような濃い味付けのおかずでなくても十分美味しく米を食べることができる。その筆頭が玉子かけご飯というわけだ。一度タイ米でナンプラーを使った玉子かけご飯を食べてみたことがあるが、不味くはないもののそこはかなくも奥ゆかしい味わいとは程遠い。これではとても最後の晩餐にはならぬ。俺流の玉子かけご飯の食べ方...お気に入りのご飯茶碗に玉子を割り入れて牡蛎醤油を垂らす。一旦卵のみかき混ぜ、少な目にご飯を入れたら全体がフワフワになるまでよくかき混ぜる。横には漬け物と熱いお茶。実に美味い。

追記:なぜ海外で玉子かけご飯なる料理がないのか?どうやら海外では生水と同じく生卵を口にするのも危険らしい。フィギアの羽生選手がインタビューでそう言っていたので間違いないだろう。毎回帰国しての玉子かけご飯が楽しみなのだそうだ。

26日

初場所が終わった。日本人力士にはもう少し頑張ってもらいたいところだ。力士に対して通常俺は「好き」か「好きでも嫌いでもない」の二つの感情しか持たないのだが、一人だけ例外がいる。どうも好かない。その力士は琴奨菊。なぜ彼は俺に嫌われてしまったのかと言えば、明らかにパフォーマンスのためのパフォーマンスをやっているから。以前から何かしら特別の所作を伴って立ち会いに挑む力士はいた。記憶に新しいものでは平手で自分の顔を何度も叩いた高見盛(現振分親方)であろう。けれども、あれは気合いを入れるために気が付けば自然にああなっていたのだと察する。別に何か変わったことをやって目立とうと思ったわけでは決してないだろう。現役では琴勇輝が立ち会いの前に「はっ!!」と一発気合いを入れて場内を沸かせるが、あれも自然にああなったに違いない。ところが琴奨菊はどうだ?先ず塩を摘んで土俵を向くと外国人力士がよくやるような動作をする。まあ、これだけなら俺は何も言うまい。次に、大きく後ろに伸びての柔軟体操?らしきもの。これが俺の目には完全にパフォーマンスのためのパフォーマンスに見えるのだ。何か場内が沸くような動作を入れたい、そんな作意が見え見えだ。まあ、それでもここで止めておけば俺も何も言うまい。嫌いにもなるまい。ところがどうだ。更に彼はパフォーマンスのだめ押しとして、塩を天高く放り投げるのである。確かにこれで場内は沸くが、俺はそんな彼の一連の所作をとても冷めた目で見ている。千秋楽に勝ち越しが掛かっていようがとても応援する気にはなれない。所作と言えば豊真将が今場所途中で引退してしまったのはとても残念だ。結局、所作の美しさとは単なる体の動きだけではなく、勝負相手に対する尊敬の念であったりする。勝負相手を待たせてまでパフォーマンスに興じる力士に沸く会場もいささか節操がないのではないか、と思うのだがな。

22日

俺にとって真に素晴らしい本とは、その本を読んでいる最中に何かしらのインスピレーションや新たなアイデアが閃くものである。得てして素晴らしい本と言うのは内容が良過ぎてそれに惹き付けられてしまう。よって、そこにはインスピレーションやアイデアの閃く余地がない。これは完全に読書の為の読書であると言える。もちろん読書の動機は本の内容を知りたいからであって、その行為は至って健全だ。けれども、狙ってできるものではないが、しばしば読書の最中にアイデア等が閃く場合がある。そんな閃きを誘発する本こそが俺にとっては得難い一冊なのである。よって、それさえ起こるのであればジャンルも内容も問わない。官能小説だって何だって構わないのである。ただし、そこには一つの傾向がある。下劣な内容の本からは同じく下劣な発想しか生まれない。崇高な本は同じく崇高な気持ちにしてくれるが、内容が素晴らしすぎて感銘で終わる。その点、新しいアイデアを提供してくれる本というのはどこかゆるい。遊びがある。先日、そんな一冊を読んでいる時に数年に一回あるかないかくらいの大きなアイデアが浮かんだ。本の内容とは全く関係のないアイデアだが、俺はこの本から授かったのだと思っている。この本を読まなければ、トリガーが引かれることもなくそのまま気付くことさえなかったかもしれない。新年早々の一月にこんな素晴らしいアイデアが得られたことに感謝。

19日

昨年末、忘れ難いまったりとした時間があった。午後2時頃に福井旅行から戻り、土産のます寿司やホタルイカを肴に、これまた土産の日本酒「立山」を呑んだ。そのまま昼寝して、目覚めれば旅の疲れもあたのかがっつりと寝たようで、もう0時前だった。「さて、朝まで読書か?はたまた大掃除か?あるいは映画三昧も悪くない」などと思いながら何気なくテレビを点けてみると、ドキュメント72時間朝までスペシャルというNHKの番組がちょうど始まるところだった。その年に放送された中からベスト10を一挙に放送するという。「こいつはいい!」と思わず手を打った。毎度毎度見ている番組ではないが、たまに目にするとどれもなかなか面白い。結局、俺はそのベスト10のうち2本しか見ていなかったので、尚更朝までとても楽しくのんびりとした時間を過ごすことができた。どうもこの朝までSPは一昨年も放送されたようで、ということは今年の年末もきっとあるのだろう。また今年もたっぷり昼寝をしておいて年末のひとときを朝まで楽しみたいと思う。更にありがたいことに、年末にこういうスペシャルがあるのなら通常の放送分は特に見なくてもいいということになる。その分早く寝るか、読書時間が増える。ありがたいことではないか。見たいテレビ番組など少ない、あるいは、ないに越したことはないのだから。

15日

歳と共にますます好きになるもの、漬け物、豆腐、相撲。俺が相撲中継を見る度に感心するというか自慢なのが、相撲という真剣勝負が主客一体となった空間で行われてるということ。土俵という舞台を中心として広がるその空間には仕切りに相当するものがない。これこそが日本人の美徳を端的に現しているように思う。熱狂の中の秩序がそこには確かに存在する。もしこれが海外であれば取り組み前の土俵下において力士は肩や背中を叩かれまくり、果てはサインに記念撮影。帰りの花道に至っては通行さえままならないだろう。そこに柵かロープの一本もなければ会場が会場として機能しない。けれども、日本人にはそんなものは要らないのである。全く素晴らしい。一度肌であの空間を感じてみたいとは思っているのだが、何せチケットが高い。二階席ならそうでもないようだが、二階から見るくらいならばTV中継の方が遙かにいいのは格闘技の試合で経験済みだ。結局モニターばかり見ていたからな。よって、行くなら枡席だが、今の俺はそんな金があるなら旅行に回す。気力体力がある内はどんどん遠出すべきなのだ。一杯のラーメンを食いにわざわざ新潟まで行くような旅はいつかしたくてもできないようになる。

8日

先日、駅のホームで中学生らしき男子がスマホで「今日晩何?」と訊いていた。となれば相手は母親だ。「うん、うん、わかった、じゃあ友達とコンビニ寄らんとく」という台詞から、何か好物の物でも食卓に乗るのであろう。「今日晩何?」何と幸せな言葉だろうかと思う。そうやって訊ける相手のいること、そういう家庭環境にあること、そして何より今日も平凡な一日であること。俺も小中学生の頃は帰宅するなり「今日晩何?」がいつもの第一声だった。「粕汁!」などと返事が来ると、内心「今日は外れや...」と思ったものだが、大人になった今となっては今夜のような冷え切った日の粕汁ほど有り難いものはないと思う。こうしてせっかく好きになったものの既に母は他界しており、もはや粕汁は思い出の味となった...と、普通ならそうなるなるのだろうが、我が家は俺も親父もそこそこ料理をやるので、冷え切った日の夜の粕汁は今でも現役だ。この時期、粕汁や豚汁などはよく食卓に上がるし、ついには豚粕汁なるメニューまで考案した次第。これは俺のアイデアなのだが、粕汁も食べたいが豚汁も捨てがたい。そんな日には粕汁に入れる鮭のアラを脂身たっぷりの豚バラに変えるのだが、これがなかなかいけるのである。通常、俺の夕食は就寝前だが、帰宅して粕汁、豚汁、あるいは豚粕汁があった場合、服もそのままに天かす、ネギ、七味唐辛子をかけて一杯頂戴する。食べ終える頃にはかじかんだ手と心もすっかりと温まる。幸せとはこういうことを言うのだ。

5日

みなさん、新年明けましておめでとう。今日から仕事始めだったわけだが、朝の目覚ましが鳴ってから職場に着くまではさすがに毎年精神的にキツイが、挨拶済んで一旦いつもの流れに乗ってしまえば午後からはまた普通の日常が戻ってくる。
年末は例によって福井に行って来た。極めて地味な旅行だが、俺の年末には欠かせないイベントだ。ローカル線で福井に向かいつつ道中のんびり読書、蕎麦屋酒、昼寝、大浴場、秋吉。今回福井の旅における新たな楽しみを見つけた。例によって開店11時から「さのや」で蕎麦と日本酒を楽しんで店を出ると酔いもあってか座りたくなったので「メトロ福井」という映画館に入った。その小体な映画館はいわゆる名画座といわれる部類の劇場で、テレビでは決して宣伝されないような通好みの作品を上映しており、俺が入った時はちょうど「リスボンに誘われて」の上映前だった。ビル4階にあるその名画座には映画好きが泣いて喜ぶような雰囲気があり、わざわざ遠くから足を運ぶ価値があると断言する。その全てが映画好きの為の空間だと言える。ロビー待ちの時点で軽い興奮を覚え日本酒3合分の酔いも吹っ飛び、更には本編も素晴らしかった。旅先の映画はなぜこうも心に染みるのか。予告編によると1月末から巨匠ロマン・ポランスキー監督のSM風映画「毛皮のビーナス」が上映されるようで、俺はメトロ座でこの作品を見るために月末再び福井に行きたいとさえ思っている。夜に上映される松田龍平出演のヤクザ映画「ザ・レイド」も面白そうだ。とにかく、俺の今後の福井旅行においてメトロ座はいきなりなくてはならない存在となった。こういう映画館はいつまでも存続して欲しいと思う。反面、いつも酔い冷ましに行っていた勝山にはもう当分行くことはないかもしれないが、こうして地味に旅が進化していくのは良いことだ。