SM 110.com 携帯版トップページへ

SM 110.com パソコン版トップページへ

29日
俺は知らないが、ビューティーコロシアムという番組はあっちこっちで物議を醸しているのではないか。番組の最後に「決して美容整形を推奨するものではありません」とはあるものの、その内容はまるで2時間延々と美容整形のCMを見るようなものだ。だからといって番組をけなすつもりで書いているのでもない。俺が知る一人の女性が美容整形を受けたのだが、以前に比べて相当魅力的に見えることは事実だ。彼女にしてみてもコンプレックスが消えることによって今後の人生どれだけプラスになることだろう。誰一人傷つけることなくハッピーになれるのなら決して間違った道とは言えない。ただし、豊胸手術は頂けない。服を着ている分には魅力的だが、いざ脱いだときのあの取って付けたような半球の膨らみがよろしくない。男ならほぼ同じ意見ではないだろうか。まあ、豊胸手術を受ける気持ちもわからなくはない。昔、スター水泳大会で当時某売れっ子男性歌手があそこにおしぼりを忍ばせていたのは有名な話だが、男のもっこりは下着か水着にでもならぬ限りわからない。その点女性の胸の大小は服の上からでもわかるからな。それは男の大小以上に深刻なコンプレックスとなるのだろう。けれども、やはりあの不自然な半球は推奨できないな。まあ、やるならほどほどにということだ。

26日
今回の新型インフルエンザの対応につき日米の対応の違いを見ると、アメリカの方が医療に対する認識が成熟しているように思う。ここで言う対応とは政府のことではなくて、ワクチンを受ける国民の側の対応という意味だ。アメリカでは実に国民の約4割がワクチンの接種を受けない・受けさせないというアンケート結果のニュースを見た。その理由は「特に必要とは思わない」「ワクチンが人体に対して悪い影響を及ぼすのではないか」ということだ。最終的に打つ打たないは別にして、まず一度疑ってみることはとても大切で、薬大国日本では近代医学への信頼が絶大であるため、自分に順番が回ってくれば何の考えもないままに接種する場合がほとんどではないかろうか。接種することにより発生するリスクなど全く考慮しない。少なくともアメリカはそうではないようで、近代医学が得意とする集団感染対策にさえ懐疑的な目を持てるのであれば、日常よく使われる風邪薬やアスピリンの類にも相当懐疑的な目を持っていると推測される。その懐疑心こそ今の日本人に著しく欠けているものだ。俺は基本的に薬を飲まないことにしている。風邪薬などとんんでもない話で、せっかく体が熱を出してウイルスと戦おうとしているのに、なぜ敵側に味方してわざわざ薬を飲んで熱を下げなければならないのか。もちろん脳がやられてしまう程の高熱ならば話は別だが、少々熱っぽいくらいならむしろ自分の治癒力を静観すべきだろう。「注射一発打ったら元気モリモリだ!」など、俺に言わせれば論外。これについて書き始めると著しく長くなるのでこの辺りで止めておこう。

22日
現場職人の休憩時間も時代と共に様変わりしたようで、以前なら茶でも飲みながら談笑といったところだが、今では皆無言でそれぞれの携帯を真剣な表情で見入っている。メールなのかゲームか、とにかく皆熱心だ。方や昔かたぎの職人も残っているようで、昼時の王将などに行くとこっちは地味に空揚げ定食など食っている横で、彼らはそれに餃子と生ビールを注文する。羨ましいというよりは、見ていて気持ちがいい。今の時代、真っ昼間からビール飲んで様になるのは大企業の会長とニッカボッカ着た現場職人くらいではないだろうか。けど、さすがに二杯目までは頼んでないな。ちょっとしたガソリン補給ということか。夕方に施主から缶コーヒーの差し入れを受けた職人が、缶を空けて一口飲んだだけで残りは施主が去ってから溝に流していた。「ビールがまずくなる」そうだ。豪快だな。

19日
最近美術館に行ってないので、ここらで目と心の保養をしたいところだが、都合によりそれができるのは11月になってからだ。ジャンルは何でも良いが、ただ小綺麗なだけのものはあまり観たいとは思わない。一度生で観てみたいのはパラアートもしくはアウトサイダーアートと呼ばれるものだが、俺はその呼び方自体に違和感を感じる。それらは知的障害者の作品という意味でパラリンピックをもじっていたり、あるいは正規外ということでそう呼ばれているが、なぜ作り手側の分類によりそれが特異な分野に成り得るのか?あくまで分類されるべきはその作品の特徴によるべきではないだろうか。確かにパラアート全般にはポップアートに近い印象を受けるので一定の傾向があるようにも思えるが、それならばそもそもポップアートで良いではないか。プリミティブアートや民芸も作り手側で区別されているが、パラアートが個人なのに対してそれらは国であり地方が分類の基準となる。要するにパラアートという呼び方自体一つの差別ではないのか、と言いたいわけだが、しかし俺はポップアートがあまり好きではないがパラアートには興味があるというこの矛盾がある。よって、そもそも論じるべきではないのか。まあ、こういう小難しいことを考えてしまうのも芸術の秋の内としておこう。

15日
俺はTVドラマはあまり見ない方だが、山崎豊子原作のやつはどれも面白いので今夜の不毛地帯は見てみようと思う。白い巨塔以来唐沢のファンでもあるしな。白い巨塔は俺が今まで見たドラマで一番好きな作品だが、関西地区では今それが再放送されている。予め知っていれば、これに併せてハードディスクレコーダーを買ったのにな。DVDでもレンタルされているが、TV放送の方が遙かにビットレートが高い。要するに画質が良いのだ。教授総回診のシーンは実際の現場を知る人間にはギャクに近いものがあるそうだが、それでも俺にとっては完全にツボにはまったドラマであり、高画質で保存したかったところだ。残念。

13日
カレー味のカップ麺といえばカップヌードルしか食べなかったが、小麦価格の高騰以来それはスーパーでは148円と以前の1.5倍程になってしまった。で、俺の小遣い不足も反映して、いつも概ね98円で並んでいるカップスターカレー南蛮味を試しに買ってみたが、どちらかと言えば俺はこっちの方が好きだな。今まで手を出さなかったのが不思議なくらいだ。微妙な甘みと麺の太さがいい。最も、年に10個も食わぬが。同様にして、俺が最も食するどんべえ天ぷらそばも緑のたぬきへシフトできれば安上がりなのだが、こっちばかりはなかなかそうもいかぬ。ちゅうか、下らん話だな。

7日 
明日は台風の影響で午後までに出勤すれば良いことになった。なんかちょっと得した気分だ。睡眠を稼ごう。台風が来るということは、今年もぼちぼち小鍋立ての季節が近づいてきたな。小鍋立てについては何度も書いたような気もすれば、一度も書いたことがないような気もする。ここは一つ後者として話を進めよう。小鍋立てとは読んで字の如くの小さな鍋を使った質素な具の鍋のことだ。小さな鍋及び質素な具材というのは必須で、でかい鍋であったり豪華な具では面白くも何ともない。更にはもう一つ必要なのがねんごろな異性だが、さすがに俺の場合自宅ではそうもいかぬので本を女の代わりにする。やり方はこうだ。冷え込む夜にコタツの上に小型の電気コンロと鍋をセットする。テーブルではいけない。テレビも点けぬこと。具は二種類から三種類ですなわち豚肉と豆腐、マグロと白ネギ、蛤と大根等々。いずれもさっと煮えるように薄切りにして、ダシはうどんつゆでも良い。これを読書しながら、あるいは乳繰り合いながらちまちまだらだらと飲み食いするわけだ。酒は好みで良いが、やはりここは日本酒が最もよく似合う。俺は普段はビール等だが、さすがに小鍋立てのときは冷酒をやる。どうだい諸氏、最高の時間だとは思わないか?この楽しさがわからぬ女は俺にとってもはや魅力は半減以下だ。読書ならばお堅い内容のは横に置いておいて、極上のスパイ小説など最高だ。ちなみに一つ言い足しておくと、具は豪華にしてはいけないが、つけだれや薬味はいくら凝ってもいいし複数用意してもいい。これぞ贅沢の極みなり。

5日
俺は東京旅行の際にいろんな店でラーメンを食べてきたが、またの旅行で真っ先に食べたいラーメンは結局ホープ軒とラーメン次郎の二軒だ。特にラーメン二郎。ここより美味しい店はたくさんあったのに不思議なものだ。なんだか無性に食べたくて、その勢いなのかネットで「ラーメン二郎」と検索している俺がいた。そこで書いてあったのだが、どうも俺のような奴をジロリストと呼ぶらしい。美味いラーメン屋は多々あれど二郎でなければならない、そんな輩だ。そのラーメンを文章で説明するならば、女性立ち入り禁止の完全ガテン系ラーメンであり、朝青龍の張り手を顔面で受け止める程のパンチの効いた一杯だ。最も、トッピングを大人しくすれば女性でも食べられないことはないのだが、それならば他に行く店はいくらでもあるだろう。大阪に支店を出してくれないものか。寿命が縮んでもいいから、あの氷山のような背油と野菜が乗っかった極太麺の一杯が食べたい。

1日
昨夜の節約エコレシピの番組はなかなか面白かった。美味しそうな料理を作る番組も結構だが、見ていてたまらず自分でも作らずにはおられない番組こそがベストだ。昨夜のはそんな内容だった。今夜は用あって外食だが、明日はキムチと納豆の鍋かトマトのおでんでも作ってみようと思う。今書店の料理本コーナーに行けばかんたん系のレシピ本がやたら目立つが、いざ買ってもあまり作らないものだ。作ってみればどれもそれなりに美味しいのだろうが、結局目を通す時点で選り好みしてしまう。その点テレビだとどれも旨そうに見えるし、また旨そうに食べるので、あんなに簡単に作れるのであれば明日ちょっとやってみようかなと楽しみに思う。ともすれば何か作らねばならぬといった義務やノルマで料理してしまい勝ちだが、ああやって楽しむというのは大切なことだな。

翌月の雑記へ