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27日
最近のデジカメの進化振りは凄いな。親友が美山の旅にてコンパクトデジカメをパシャパシャやったのをスライドショーにしてDVDに焼いて渡してくれたのだが、適当に撮っているように見えたそれらが実に美しく仕上がっている。俺も写真のセンスにはそれなりの自負があるが、これは是非プリントしてみたいと思わせるものがかなりの確率で混じっていた。改めてJPEGとして画像をくれと頼んだので、それが届いたらサイトにて紹介しようと思う。

25日
晩年、俺が死期を悟ったならば、この雑記を枕元で読めるように1冊だけ自費出版しようと思っている。あるいは良人に恵まれ、子供にも恵まれたならば、その数も追加する。今後も雑記は書き続けるのでどれほどの厚みになるかはわからぬが、それを読み返しながら最期の日々としたい。下らない雑文でも思い出には十分だ。更には、誰に見せるためでもなく出会ったM女のことをつらつら書いている文章もあるので、最期の日々のためにこれも一冊本にまとめたい。ただし、こっちは遺言により俺と一緒に燃やしてもらう。今500枚ほど手元にある絵も死期を悟る頃にはかなりの枚数に達しているだろうが、気に入ったやつを選別して画集を一冊自費出版する。昼に読み、夜に眺め、そして死ぬ。最高だな。

20日
100円ショップは素晴らしい。最近「書」に興味があるとは昨日書いた通りだが、100円ショップに行けば半紙を100枚100円で買うことができる。300円も買えば、それだけで一日十分遊べる。筆や墨汁も100円だ。質は良くないのだろうが、俺はそれらを愛用している。スケッチブックも以前から100円ショップのを使っている。安いので失敗を恐れずどんどん描けるのがよい。鉛筆だって5本で100円。よく昔の画家は画材に窮したと言うが、この点に限っては何と恵まれた時代だろうか。100円ショップといえば、鰹節も忘れてはならない。鰹節を大量に使ってだしを取るというのはどうももったいない気がするのだが、100円ショップの鰹節ならばガンガン鍋に突っ込める。質の問題からすれば、そんなことをせずとも市販のだしの方が美味しいのでは?と言われそうだが、確かにそうには違いない。しかしながら、どれだけの安物であれ自分できっちりだしを取るという課程は心を豊かにしてくれるし、そういう意味において味に全く別次元の調味料が加わる。また、この味を舌が知っていればこそいざ「たん熊」などへ行ったときに値打ちがわかろうというものだ(行く予定は全くないが)。そんな自分で取っただしで味噌汁でも飲めば、やはり美味い。たった100円贅沢して鰹節を増量すれば更に香りも増す。ただし、味噌まで安物というのでは面白くないので、そこはある程度こだわりたい。もちろん吸い物も美味い。これからの季節は松茸だが、俺が好きなのはハモとハマグリだな。キノコやエリンギもなかなかのもので、香りはないが、その分だしの味を楽しめる。女性ならば一度やってみればいいと思う。いや、やってみるべきだ。

19日
俺が京都でライブを観たということは必ず美術館とセットになっている。今回はあまり知られていない京都現代美術館別名何必館(京都国立近代美術館とは異なる)から京都市美術館を巡った。前者は小体ながら地階に魯山人を常設展示しているのがありがたく、五階にあるちょっとした休憩スペースはお気に入りの場所でもある。今回は雨宿りを理由にそこで随分長くのんびりさせてもらった。いつ行っても空いており、今回も終始俺一人だ。京都市美術館ではフィラデルフィア美術館コレクションをやっているのは知っていたが、展示作品を一切知らないまま行ったら意外な出会いがあった。ゴッホの「赤ん坊を抱いたルーラン婦人」とマティスの「青いドレスの女」だ。両作とも画家の作品の中ではかなり好きな部類の一枚である。生で観るゴッホは相変わらず画集以上に輝いており、反面、フォービズムの代表格とされるマティスのそれは原画で観ると意外にも落ち着きがある。好き嫌いは別にしてワイエスの原画が見られたのも興味深かった。その他マネ、モネ、セザンヌ、ゴーガン、ルソー、ピカソ、ユトリロ、モディリアーニ、ピカソ、デ・キリコ...等々とかなり頑張っている。よって、三連休と重なってのすさまじい人混みであり、落ち着いて鑑賞できなかったのは残念だ。しかしまあ、何だな、別に自慢するわけではないが、つい5年ほど前まではひまわりの作者さえ答えられなかったが、自分が絵を描くようになってあれこれ興味を持つと、今では作品を一別しただけで横のプレートを見ずともおおよそ画家がわかるようになった。興味を持てば知識は吸い取り紙のように吸収されるということだな。最近では作品の素描を筆でやるようになってきて、「書」に著しい興味を覚えている。あと2、3年すれば片岡鶴太郎が本物か偽物かがわかるようになろう。

18日
日曜日、京都にて名前は書かぬが実力派女性シンガーのライブを観に行った。期待通り歌はとても上手かったのだが、MCにて垣間見ることのできる人柄というのが、どうも好きになれない。TVで歌っているところしか知らないので、意外な一面を知ることができるのはライブの楽しみの一つだが、今回はそれがマイナスに来た。俺が馴染みの山崎まさよしのMCは全然上手ではなくて毎回苦しいトークが続くのだが、どこか愛すべきものがある。上手くないのだが、何だか良い。実はこれ、究極でもある。例えれば、茶人の「書」がそうだな。洋画ならマティスか。一見児戯のように見えて、その懐はあまりに深い。昨今、名前ある芸術家でも何と表面だけのものが多いことか。
チケットぴあのプレリザーブはこのところ外れてばかりいたが、久しぶりに当たったのが山崎まさよしの大阪公演だ。嬉しい冬のプレゼントとなった。

14日 
美山では土産もたくさん買ってきた。一応書いておこうか。ぴり辛味噌、唐辛子の味噌漬け、地鶏、みょうが飯、鯖寿司、地鶏卵、芋菓子、おはぎ、ふらいぱんのパン各種。一つくらい外れそうだが、どれもかなり美味しかった。みょうが飯というのはみょうが、油揚げ、こんにゃくの炊き込みご飯なのだが、意外にもみょうがの味が全体に行き渡っていて美味しく、家でも是非やってみようと思った。あくまで個人的な感想だが、美山の鯖寿司は「いずう」のよりも美味しい。美山の水と米がそれだけいいのだろう。宿ではご飯も一粒一粒がはっきり下の上で立っていたし、甘みがある。川から引いているという水も「これは砂糖を入れてますか?」と訊ねたほどに甘かった。それにプラスして、作り手の愛情も忘れてはなるまい。美山では村の住人が資金を出し合って蕎麦屋を営んだり土産物を作っていると宿の主人から聞いた。みょうが飯にしろ鯖寿司にしろ、作っているのは村の主婦だそうで、コンビニに並んでいるような弁当とは元からが違う。ふらいぱんのパンは添加物を一切入れていないので日持ちがしなさそうだが、ここのパンは相当乱暴に扱っても味が落ちない。乱暴に扱うとは、GWに買ったときに灼熱の車の中で放ったままを何度も繰り返して2日目も美味しく食べられたということだ。面白いことにここのパンは重たい。2,3個袋に入れてもらうと、パンとはこんなに重かったものか?と驚く。重いとは少々言い過ぎかもしれないが、それでもずしりとくる。ぴり辛味噌、唐辛子の味噌漬けは酒盗であり、飯が何杯あっても足りぬ。これが切れたら直ちにまた行きたくなりそうだ。
美山では鹿が多く捕れるそうで、今後は鹿肉料理にもチャレンジしていきたいとのこと。熊もたくさんいて、特に秋などはうかうか山に入れぬそうだ。子供たちは熊除けの鈴を付けて集団登下校するらしい。捕獲した場合、一度目はGPSを付けて放すが、二度目は撃ってもいいということで、熊肉も多く出る。「ジビエ料理を売りにしては如何?」と言ったが、最初は意味が通じなかった。とにかく、これからの美山を楽しみに見守っていきたい。

13日
旅の楽しみというのは人それぞれで他人がどう過ごそうが勝手だが、まあ、みなさん夜が早くて朝が遅いこと。「のんびりした」ということだろうが、俺は起きてこそのんびりしたい。よって、親友と行くならなおさら旅先の夜に早く寝るのはもったいない派で、今回は夜用に安ワインを2本持っていったのだが夜中の1時まであれこれ話しつつ全部飲んだ。別に大したことは話してないのだが、これこそが俺の「のんびり」だな。ちなみに、今回世話になった宿はプライバシーがあまりなくて、囲炉裏のある大部屋に隣接する三部屋をそれぞれ三組が泊まる。俺は全く気にならなかったが、女性にはどうだろう?しかしながら、主人曰く若い女性の一人客も多いという。その家庭的な雰囲気はペンションどころのレベルではなく、故に他の客と必然的に会話を交わすようになるので、男の一人客と女の一人客がかち合った場合夜に何か起こりそうな、そんな予感のする意外にも妖しげな宿だったりする。男のグループと女のグループがかち合えば必然的に合コン状態になるだろう。この宿をきっかけに結婚したカップルも多いと思われる。出会いがないと嘆く男女には以後この宿をこっそり教えてやるつもりだ。

12日
美山の旅行は相当に良かった。GWに立ち寄ったときもいいところだとは思っていたが、一泊してこそその真の良さがわかる。それは夜の静けさであり、星の美しさであり、幻想的な朝靄である。静かだといっても虫の声だけは終夜聞こえるわけだが心地良い響きであり、それを聞きながら眠りに落ちる贅沢。朝は5時半に早起きしたが、この季節にはかなりの確率で発生する朝靄の冷えた空気の中の散歩は夢見心地だ。どうやらこういうことに興味がある旅行者は少数なようで、散歩中出会ったのは朝靄を撮りに来たらしいカメラマン数名だけだ。皆、もったいないことをしている。小川の冷えた流れで顔を洗ったのもどんなに気持ち良かったことか。あまりに素敵な散歩で宿に帰ったら7時を回っていた。ビールを一本注文し、夕食のボリュームがあまりにも多かったので捨てずに取ってもらっていた茄子の煮物などを肴に朝から一杯。これがまた最高だ。2本飲んだ頃には胃もすっかり調子が出てきて、いいタイミングで朝食が始まるが、またこれの旨いことこの上ない。食後はチェックアウトの10時まで二度寝したが、縁側に寝転んで最高に気持ちよかった。とにかく、全てが良かった。帰り際、雪の季節と来年のホタルの季節に予約を入れた。10月には村祭りもあり紅葉も美しいそうで、ここでも行きたいものだ。多言無用ということで年末に放送されるNHKスペシャルドラマのロケ日と撮影場所及び某ミュージシャンのシークレット野外ライブの日程をこっそり教えてくれた。ロケでは何でも大物俳優が3人来るそうだ。どのように美山が映っているのか本放送を楽しみにしたいと思う。ちなみに、今週末には薪能が行われるようで、何かとイベントの多い村ではある。あと一週間ずれていれば見れたのに残念なことをしたのは今回の旅の唯一の心残りだ。

11日
好きなので新撰組と名が付けばとりあえず反射的に見てしまうわけだが、今回の2夜連続のドラマは面白くなかった。思うに上戸彩というキャスティングにそもそも失敗の原因があったのではないか。最近に始まったことではないが、一応女優という肩書きは付くものの素人に気が生えた程度のレベルがほとんどだ。そんな中、特にファンというわけではないが、沢尻エリカはいいと思う。仮にあと100回違う環境で生まれ変わっても100回とも芸能界入りしそうなオーラがある。どうせなら彼女が演じて欲しかった。

10日
「大阪に半個室のラーメン屋初出店!」とワイドショーの見出しにあった。俺はその番組を見てないので断言はできぬが、ひょっとしてこの店は俺が博多に行ったときに真っ先に立ち寄る一蘭(いちらん)のことではないのか?しかしながら、この出店は果たして喜ぶべきなのか、否か。手軽に食べられるのはいいが、博多に行くときの楽しみが減る。まあ、一蘭と決まったわけではないけどな。一度調べてみよう。注:やはり一蘭だった。

6日
俺が勝手に名付けたのだが、「サプライズへそくり」なるものがある。これは多少懐の暖かいときに一万円札をどこか適当に何カ所か忍ばせておく。一年もすればすっかり忘れてしまい、2,3年後に発見したときはとても得した気分になる、それがサプライズへそくり。カバンのポケットから札が出てきてラッキー、そんな経験は誰しもあるだろうが、それを半ば計画的にやろうというわけだ。そんなサプライズが昨日吉川英治の宮本武蔵第三巻から出てきた。やはり嬉しいものだ。週末は美山に泊まりに行くのでちょうどいい小遣いになる。帰宅後の夕食に飲むワインはいつもの安ものを予定していたが、これで美山ワインへと格上げになった。美山地鶏も何パックか多めに買って帰るとしよう。果たして現在いくら程のサプライズへそくりが眠っているのか俺もわからないが、約5万円といったところか。あるいは、いくらかはそれと知らずに捨ててしまったこともあるかもしれないが、そもそも気が付いてないので存した気分もなく、福を分けてやったと解釈している。なかなか余裕がなくてこのところは久しく仕込んでないのが残念だ。

5日
俺が子供の頃、親父から「新世界には行ってはならぬ」と言われていた。しかし、そんな親父は子供の頃母(つまり俺のばあちゃん)に連れて行ってもらったようで、5人の子供を女手一つで養っていた赤貧ゆえに新世界の安い物価はたまの娯楽に重宝したのだろう。「一杯のびっくりぜんざいを6人で分けようと注文したらサンプルとあまりに量が違うので、そっちに驚いた」と、いつか祖母から聞いたことがある。「行ってはならぬ」とは何も治安のことばかりではなく、親父にはそんな思い出が負となっているのだろう。ばあちゃんが眠る新世界のお膝元一心寺へ参りに行った帰りでも、界隈はそそくさと早足で通過する。気が付けば俺も新世界を愛するとまでは言わぬが、大好きな男の1人となっている。そんな新世界が今また大きく変わろうとしているが、原因は先日終了した世界陸上。新世界のちょい横にあいりん地区という日雇い労働者が集中する場所があって、そこには一泊2,000円やら3,000円やらの簡易宿泊施設がたくさんある。以前からバックパッカーの間では知る人ぞ知る情報だったのが、ワールドカップの日韓共同開催で多くの外国人が世界中から泊まりにやってきて、その安さと快適さは一気に世界の知るところとなった。「快適さ」とは、宿は畳の部屋でもって布団で寝るので、これが彼らにはとてもエキサイティングらしい。今回の世界陸上でもあいりん地区は外国人で相当賑やかだったとニュースで知った。簡易宿泊施設では食事は出ないので、当然彼らは新世界界隈の飲食店に足を運ぶことになる。ガイドがわざわざ案内するまでもなく彼らは自然に串かつを食べていたのだな。その昔NHK朝の連ドラ「ふたりっこ」で新世界の人気は全国区になったが、ワールドカップ日韓共同開催を経てついにその人気はワールドワイドになったわけだ。アジアからは若い女性がライブを観る時の宿として泊まりに来るそうだ。よって、周辺の商店主が英語やハングルを勉強したりという現象も起きているという。そんなこんなんでイメージが徐々に良くなってきたせいで、日本のビジネスマンも出張旅費を削るためにあいりん地区の宿に泊まる例が近年増えてきているらしい。トタン屋根や裸電球の妖しげな新世界も好きだったが、この時代の流れも歓迎したい。あと10年もしたらちょっと風変わりな六本木のような町になっているかもしれんな。

4日
オリンピックでは選手村でコンドームが無料配布されている。と書けば淫らなイメージだが、俺はそんな感じはしない。身体能力優れた健康的な若者が世界中から多数集まっているのだ。ましてや競技で気分も高ぶろう。そこにセックスがない方がおかしい。非健康的だ。世界大会での夜の事情は知らないが、余暇といえばニュースでは選手がカラオケボックスで盛り上がっている映像を見たな。日本人には当たり前の空間だが、外国人には珍しくて楽しい場所なのかもしれない。連日繰り出す選手もいるという。ジャンカラなら食事は300円均一だしアルコールは飲み放題だし、安く遊ぶには重宝するのだろう。何より陽気な外人にカラオケは似合う。俺がガイドなら食事は新世界の「だるま」と「もつ鍋屋」と「餃子の王将」に案内してやるな。

3日
週末、所用にてヨドバシカメラ〜日本橋〜難波と巡ったが、道中たくさんの外国人集団を見かけた。首からIDカードをぶら下げており、世界陸上の関係者ないし選手だ。競技を終えた者から買い物に出ているのだろう。皆半スボンにポロシャツといった似たような服装だが、選手と関係者の区別は簡単だ。そのスタイルを見れば一目瞭然で、人込みにおいて頭一つないし二つ抜けた身長、引き締まった身体、長い手足、小さな顔。まるでモデルのようで惚れ惚れする。家電量販店はもちろんだが、日本橋から難波界隈へ抜ける道具屋筋でもそんな彼、彼女を多数見かけた。漆器に人気があるようで、筋骨逞しいドレッドヘアの選手が熱心に眺めている様子は微笑ましい。期せずして大会を身近に感じることができた週末。

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