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インターネットを導入したばかりの頃、アレコレ迷った末に無難なハンドルを考え出し、

大通りにあるたくさんの掲示板を覗いた。

不思議な気持ち・・・

私であるのに私でない。

私が誰であるのかなんて、誰も知らない。

職業も、社会的地位も、年齢も全く関係のない、そこには「ただの私」がいた。

「ただの私」は、周囲の目を気にする必要性がなく、全てにおいてシンプルでいられた。

自分自身の欲望に対しても・・・。

「普通」という公約数のうちに留まりたいという現実の私が、頻繁に警告を発してはいたが、

「ただの私」は恐る恐る、しかし、コンタクトをとることを選んだ。

ご主人様からのメールは、どんな時でも暖かい言葉にあふれている。

私は、メール越しに、何時でも主人様の視線を感じていた。

すれ違ったことさえ無い筈なのに、Gがかかっているかの様に、一直線に惹かれていく。

それは現実が、もうひとつの現実の中に溶け込んでいくようだった。

ドキドキしながらHPを覗いていたのはほんの数ヶ月前のこと、

そしてたった数ヶ月で、私に変化が訪れた。

変化というより「在るべき所に在るようになった」と言うべきだろう。

「仕事をしている私」「妻としての私」「母親の私」に「ご主人様の奴隷としての私」が加わり、

「私」は安定したバランスで存在する。

「ここは私のいる場所ではないのかも知れない」という居心地の悪さから、ようやく私は開放された。




6月2日

大阪から戻り、2週間が過ぎた。

しばらくの間、リアルにその2日間を思い出しては、幸せな気持ちに浸っていたが、

時間の経過と共に、夢であったのか現実だったのかの判断がつかなくなってしまった。

しかし、強烈な体験は、残像として体中に残っている。

セックスをしたいという気持ちは、大阪に忘れてきてしまったらしい。

(全くないわけではないけれど)

変わりに、「ご主人様に縛って頂きたい」「打って頂きたい」という欲望が、

前触れもなしに湧き出し・・・私は、この感情を手なずける事ができずにいる。

移動中の自動車の中、スケジュール帳を閉じた瞬間、昼休みに同僚たちと紅茶を飲みながら・・・

突然、欲望は涼子を襲う。

涼子は、目を閉じ、腕を後にまわし、縄の感触を思い出す。

ご主人様の声と一緒に。

そのまま、感情の嵐が過ぎ去るのを待つ、またはのぼり詰めてしまう。

摩擦によって得られるエクスタシーよりも、

頭がしびれ真っ白になるようなこの感覚の方が何十倍も気持ちがいい、

と教えてくださったのはご主人様だ。

そして、どうしようもなくご主人様にお会いしたくなる。



6.5

ある作家が言った。

日本人の中心的感情は「悲しみ」から「寂しさ」に移行した

日本の国は今「寂しさ」を抱えている。

そして、有史以来始めて日本を覆うこの「寂しさ」に気づいていない人が多いと。

「寂しさ」を抱えた大人が女子高生と「エンコー」し、「寂しさ」を抱えた少年が犯罪に走る。

私は「寂しさ」を抱えているから、ご主人様を探しあてたのだろうか?

ご主人様は「寂しさ」抱えているから、M女性をお求めになるのだろうか?

お会いできる数日間、メールをお読みになる数分間、

ほんのわずかな時間の間だけでも、ご主人様の慰みで在れたら。



6.6

仕事で奈良の吉野を訪れた。

吉野はいわずと知れた桜の名所であるが、それと同時に政治・宗教に変化が訪れる度、

重要な拠点として歴史に名を刻む事となる。

後醍醐天皇が南朝を樹立したのはここ吉野であったし、

都を追われた源義経が逃れてきたのもこの地であった。

吉野川を渡り、急な坂道を上り詰めると吉野の中心街に入る。

桜には遅すぎる平日、観光客は少なく、古い佇まいの街並みは、のどかな時の中にいた。

所用を片付けると、少し時間が余ったので、吉野から黒滝村に抜ける山道にハンドルを切った。

九十九折の山道が続く。

道幅は狭く、片側は崖、退避場所以外はすれ違う事もできない。

もっとも、何度か通ったことのあるこの道で、対向車にお目に掛かった事は皆無に等しいが。

峠付近で車を止めた。

この先は、黒滝村を通り、大峰山系の深山へと進む。

小説で有名になってしまった天川村へ続く道でもある。

エンジンを止めると、圧倒的な静寂の中、木々の葉擦れの音だけが響く。

新緑の季節を迎えた渓谷は、なお一層活き活きと存在しており、

私はこの自然の前でただ圧倒されるしかなかった。

このまま、天川へ向かい一泊したかったが、

携帯に入っているであろうメールの数を考え、

少し先の待避所でUターンした。



6.8

先日、ずっと欲しかったデジカメを購入した。

どうせ買うならと、今年の主流である300万画素以上のモノを選んだ。

嬉しさのあまり、常時持ち歩いて、所かまわずシャッターを押している毎日だ。

しかし、PCで見てみると、パッとしない。

もちろん、慣れないせいもあるだろうが、

どうして同じデジカメでこんなにも出来上がりが違うのかと思ってしまう。

ご主人様の撮られた写真はとても素敵だ。

面白い小説を読んでいると、それを造りだしたのはその作家であるという事を忘れて、

話の中に引き込まれていく。

あたかも自分自身がその場で見聞きし、体験しているかのように。

ご主人様の写真を見ていると、次第に、見た事もないその現実に遭遇しているような錯覚に陥る。

その瞬間、ご主人様の気配はふっとなくなる。

感情をカメラに入れずに、自らを表現するのではなく、ありのままを受け入れ、

対象物に語らせようとする。

それが、見ていたはずなのに、見えていなかったディティールまでも映し出してしまう。

私は、足元にも及ばずながらも、せめてもう少しまともな写真がとれたら、と量をこなそうと思う。




6.11

好きな映画の一つに「大統領のクリスマスツリー」という映画がある。

主人公の姉であるキョウコは作家であり、癌におかされているが

「いかにして死ぬか」を考え、NYに来た。

落ち込んだ時、寂しい時、切ない時、キョウコはリバティー島の自由の女神を、

その背中側から眺める。そのシーンが事の他好きだ。

今日、始めて原作を読む機会に恵まれた。

原作では、「いかに別れるか」が主題となっていた。

設定は映画と大きく異なっていたが、同じ事だと思った。

「でも私たちのクリスマスは終わっちゃったみたい」

 ・・・クリスマスは終わったのだ。

冬が終われば春が来るのと同じ自然さでクリスマスが終わったのだった。

という一文がある。

その自然さで、(映画の中では)死に、(小説の中では)別れが訪れる。

そこまでに至る歴史を無にしないために、死に方をまたは、別れ方を選択するキョウコ。

そのような場面で、人間はその人の本質を現してしまうのだと思う。

いかに死んでゆくかを考えることは、いかに生きていくかを考える事と同じなんだなと気付いた。

私は、大阪から帰って暫くの間、こんな素敵な時間を共有させていただくのが、

私だけではないという事に、胸を痛めた。

嫉妬という気持ちを押さえきれずに、ご主人様にバカなメールを出してしまい、

送信を押した途端に、ひどく落ち込んでしまったりもした。

ちょうどその頃、仕事で海外へ行かなければならず、

ご主人様は私を見限ってしまわれるだろう、と暗い気持ちで飛行機に乗った。

あちらでは、トラブルの後処理に行ったので、心躍る筈もなく、

ますます落ち込んでいたのだが、ある女性の一言でやっと目を覚ますことができた。

「こんなことってそうそうあるものじゃないのよ」

ご主人様との幸運な出会いは、そうそうあるものじゃない。

私は自問自答した。

「どうしたいの?」・・・このままご主人様の愛奴でいたい。

「そのためにはどうすればいいの?」・・・答えは簡単だった。

ありのままのご主人様を受け入れる事。M女性すべてに幸せになってもらいたい、

と仰るご主人様を受け入れる事。

ちょうど、ご主人様が私の立場を考慮した上で、私の気持ちを汲み、

受け入れて下さったのと同じように。

そして、ご主人様の愛奴として恥ずかしくない女性になること。

ここで始めて私は、いかに生きるかを考えた。

それを意識するようになってから、私の生活から、どうでもいい部分はなくなった。

まだ、大人の女性にはなりきれない部分が多く、ご主人様は歯痒い限りだと思うが、

いつか、ご主人様に、俺の愛奴だと胸を張っていっていただける女性になりたいと思う。

そうすれば、ご主人様とのお約束「ずっと愛奴として仕えさせていただく」

を守ることができるだろう。



6.13

今日、髪を切った。

ご主人様にお会いしてから、また、伸ばしてみようかな、と考えていたのだが、

梅雨の鬱陶しさには勝てず、切ってしまった。

鏡を見ると、ジーンズをはいたショートカットの少年のような女がいる。

やっぱりショートの方が好き!

あごのラインが綺麗に見える、ピアスが映える、理由は色々あるけれど、何より、私らしい。

・・・ご主人様はどう思われるかしら?

私が何かを選択するときの基準に”品の良さ”がある。

幼い頃から祖父母、両親にうるさく言われてきたことの一つだ。

安いものを沢山買うなら、上品で良い物を1つだけ買うようにと、教わり育った。

ショートカットの私は、品が良く見えると(自分では)思う。

その上元気ででやんちゃな女にもなることができる。

どんな服を着ていても、何歳になっても、品の良い女性でいたいと思う。



6.14

パーティーに招かれた。

人ごみの中で、長時間談笑していると頭痛を感じ、次の日まで疲れを引きずってしまうので、

いつもは気乗りがしないのだが、今日は、先日買ったばかりの着物のお陰だろう、

浮き立つような気持ちで出かけることができた。

家を出るときに、ふと思いついて、パンティーを脱いでみた。

きっとこんな時、ご主人様は、下着は着けずに行け、と仰るだろう、そう思ったからだ。

ホテルに向かうタクシーの中で、ご主人様の言葉を思い出していた。

着物の上から縛ってやる、そして・・・潮が満ちてくるように、太股の間が潤い始めていた。

「何だ、もう感じてるのか?」耳元に、ご主人様の声が聞こえたようだった。

気が付くと私の右手は、長襦袢を分け、太股をそっと撫でている。

目は前をしっかりと見据えながら。

泡立つような感覚がやって来て、私の手はもっと奥へ進みたがっていたが、

ドライバーに気付かれそうで、それ以上は進めずにいた。

欲望がくすぶり続けていることを押し隠したまま、2時間も立っている事がとても辛かった。

エスコートしてくれた男性が(彼は私のボスであったが、私が涼子である事はすでにばれている)

時折私を興味深げに見詰めているのがわかる。

「お久しぶりでございます。最近は・・・」

すでにパーティーに何の興味もないことを隠しながら、笑顔を崩さない事に専念していた。

2時間が少し過ぎ、解散となった。

一緒にタクシーに乗り込んだ私のボスは、タクシーを降りる間際、

「お前目が潤んでるぞ。ご主人様に縛ってもらいたいんだろ」

そう言い残していった。

私の住むマンションまで、あと20分。

部屋に着いて、着物を脱いだら、お風呂に入ろう。

そして、シャワーとセックスするのだ、そのことばかりを考えていた。



6.17

梅雨の中休み、晴天の一日を海岸で過ごした。

各地に雨を降らせていた梅雨前線は、一旦日本列島を退き、海は終日穏やかだった。

昨年から色白がもてはやされている様で、オゾンの減少傾向などを

考え合わせても、それはとても理にかなっている事なのだけれど、

それでも、太陽の下で、思いっきり遊べる私でいたいと思う。

陽に暖められた砂の上で寝そべっていると、肌に日差しが心地よくて、

波の音だけがやけに耳に響いて・・・。

夜、お風呂あがりに鏡を覗き込むと、うっすらと日焼けの跡が残っていた。

少し焼けた肌に桜色の首輪が、グンと映えるように思う。



6.21

私の住むマンションには30世帯が暮らしている。

4LDKという間取りの為か、そのほとんどが”子供のいるご家族”だ。

定時に仕事が終わり、日が暮れる前に自宅に着くと、
必ずといっていいほど、エントランス前で子供をあそばせているお母様方がいらっしゃる。

そして、必ず「今日はお早いんですね」と続く。

先日、一人のお母様に職業を訪ねられた。

夕方帰宅したかと思えば、また(夜の)9時頃出掛け、

かと思えば2・3日帰らない私を、不思議に思っていたそうだ。

別に隠す必要もないので、正直に答えた。

そして、今日。

今日は、オフ日だった。

読書三昧しようと書斎の本棚を物色していると、一つ上の階の比較的付き合いのある奥様が訪ねて来た。

昨日の夕方、奥様方の立ち話の中で、私の話題が出たということだった。

話の内容を要約すると、不規則な時間帯の仕事で、子供が可愛そう、旦那さんが可愛そう・・・

ましてや子供を置いて出張するなんて・・・という事だった。

ご丁寧に、密告?に来てくれた奥様に、丁重にお礼を言ってドアを閉めた。

どっと疲れが出てきた。

私が仕事をしている事で、家族を除き、誰に迷惑をかけているというのだろう?

その家族が了解してくれているのだから、いいじゃないの。

どうして、人にはそれぞれ様々な考え方がある事を理解しようとしないのだろう?

どうして、みんな”同じ形”でなければいけないんだろう?

どうして、個人であることに反発するのだろう?

ある種の人たちは、いつもそうだ。

常識という名を借りて、異物を見つけると攻撃を始める。

これは単一性を好む、日本の良くない側面だと思う。

他のどの国でも、こんなに人間として自立していない民族はいないのではないか、

と半ば八つ当たり的に考えてしまう。

八つ当たりといえば、昨日の私は最低だった。

悲しいことがあって落ち込んでいた私は、マイナス思考だらけになっていた頭の中で、

勝手にストーリーを作り上げ、それをそのままご主人様にぶつけてしまった。

冷静に考えれば、八つ当たり以外の何モノでもなく、ご主人様はあっけにとられていたことだと思う。

(結局私も自立どころか、ご主人様に依存しているんじゃない!)

それでも、すぐに連絡を下さり、荒れていた私の気持ちをなだめてくださった。

ご主人様、本当に申し訳ございませんでした。

そして、ありがとうございました。

しかし・・・マイナス思考になると、面白い程立て続けに

良くないことばかり起こる・・・思考の影響力とはすごいものだと思う。

ご主人様との優しい時間を思い出して、プラス思考に戻さなければ・・・。



6.22

ご主人様にひざまずく女性の方々の多くは、ある時間が過ぎると申し合わせたように「嫉妬」に苦しむ。

今この瞬間に、他の女性を調教していらっしゃるかもしれないご主人様に、

”どうして私一人のご主人様ではいてくださらないのだろう”と心を痛める。

私もそうだった。

というより今もそうだ。

ご主人様からのメールは、いつも甘い言葉や優しさに溢れている。

その愛情が、私一人に向けられているような気がして・・・

でも現実を見れば、私一人ではない、

多数の女性に対しても同じ愛情で接していらっしゃるのだと知り、呆然とする。

そして苦しむ。

どうしてご主人様にとってたった一人で女性にはなれないのだろうかと。

最初にお会いした直後、私はこの「嫉妬」をどのように扱ったらよいのかが解らずに、苦しんだ。

食べることが出来ず、眠れず、そして5kg体重が落ちた。

他の女性の方々のアップされたメールを読んでは、ますます落ち込み、

辛すぎてご主人様のサイトを覗くことすら出来なくなっていた。

そんな中で(先日も書いた言葉だが)ある白人女性に

「こんな事って、そうそうあるわけじゃないのよ」という言葉を投げかけられた。

ご主人様と私の関係・・・そうそうあるものじゃないこんな出会い、こんな想い

・・・この関係を手放したくはない!と強く思った。

実際問題として、私には家庭がある。

夫との関係は破綻している訳ではなく、愛情は今も変わらない。

ご主人様のことも愛している。

仕事をもっているので、夫に生活を依存している訳ではなく、

あくまでお互いの自由意志により共に暮らしている。

私は離婚を一度経験しているので、愛情がなくなれば、

また、母子家庭に戻ったところで、別段かまわない。

生活の為に、愛情が冷めても一緒にいるということは、売春婦よりも劣ることだと思う。

そう考えている私が、その生活を放棄する気持ちがないということは、

つまりは夫を愛しているということだ。

それでも、ご主人様を愛している。

・・・自分自身、理解できない状況だった。

こういう時は方法論でいこう。

手放したくない2つの違う方向へ向かうベクトルを維持する為には、どのようにすればよいか?

もっと強くなること、もっと大人になること。

そしてどちらからも愛してもらえるだけの女性になること(ううっ、難しい)

寂しさを紛らわせるだけの関係にならないこと。

どれをとっても、「私」が充実していなければ出来ないことだ。

私は、好きなことを職業としていることに感謝した。

仕事に打ち込むこと、趣味に打ち込むことで、たとえ一人きりでも充実した時間を過ごすことができる。

その上で、夫とご主人様を愛していけたら・・・

それは終わらない関係になりうるのではないだろうか。

と、偉そうなことを言いつつも、些細なことで落ち込み、ご主人様の手を煩わせることが多々あるのだが。

いずれにしても、課題は多い。

でも、ご主人様がいつも見守っていて下さるという事実は、私に勇気を与えてくださる。



6.25

私の友人であるS子は、Mでありご主人様と同居をはじめて4年が経つ。

ご主人様と暮らすようになってからは、仕事も辞め、ご主人様が仕事から帰ってきた時に、

くつろげるような環境を作るべく、熱心に家事に明け暮れている。

彼女のご主人様への態度を見ていると、私はまだまだだなあ、と落ち込んでしまう程だ。

家の中は気持ちよく整頓され、いつでもサンダルウッドのお香のほのかな香りが漂っているし、

彼女の作る手料理はその辺の小料理屋よりよっぽど美味しい。

私も添加物の入ったものは使いたくないので、おだしはちゃんと鰹節と昆布からとるし、

ご飯もガスで炊く(食べたことのある人は二度と電気がまのご飯が食べられないくらい美味しい!)。

でも彼女はそれに加え、おだし用の煮干は、魚屋さんから買ってきて自分で干したものを、

きちんと頭を取り、おだしに使っている。

豆腐は、美味しい豆腐屋さんへ必ず買いに行き、

お野菜は、有機農法で作っている農家から、送ってもらっている。

有機農法栽培と一口に言っても、まがい物も出回っているようだが、

生きている土地できちんと栽培した野菜は、その野菜自体の甘味と味がして、

スーパーマーケットで買う野菜が、水っぽく、味気ないものに感じる。

安全で天然のものを使い、手間隙を惜しまずに、おまけに愛情を込めて作るのだから、

美味しいのは当たり前だと彼女は言い切る。

また、彼女は、夕飯を作り始める前に、ビアグラスを冷凍庫で冷やすことを忘れない。

(これは最近私も見習っている)

暑い日に、仕事から帰ってきて、飲むビールは殊のほか美味しいが、

グラスが冷えていると、見た目も実際に飲んだ味も格別だ。

まだまだ、書き足りない程の努力を彼女は続けている。

そんな彼女を家事のプロフェッショナルだと、ひそかに私は尊敬している。

その上、彼女は2日に一度ジムに行って汗を流し、プールで泳ぎ、その体型を維持する努力をしている。

彼女の爪はいつも手入れが行き届き、素顔も素敵だが、薄化粧をした彼女は、同性の私でも見惚れてしまう。

それらを髪を振り乱すことなく颯爽とこなしているのだから、彼女はすごい!

私が仕事を辞めることは多分ないだろうと思うが、もしも辞めて家に入ることになったら、

彼女のしていること全部は無理でも、できるだけ見習いたいと思う。

そんな彼女が妊娠した。

今彼女は悩んでいる。

子供が生まれても、今までと同じようにご主人様に尽くせるだろうか?

子供が生まれたら、今と同じように、家の中で下着をつけないでいたり

(どうやらご主人様の命令らしい)、プレイしたりすることができるだろうか?

だいたい、縛られて、責められている時に子供が起きてしまったら、どうしたらいいというのかしら?

・・・・と、いうことだった。

彼女も”生み出す性”として生まれた以上、子供は欲しいと思っている。

以前、二人で「人間をメインに考えるのではなく、自然や宇宙をメインに考えたら、

このまま人類が膨大になることは決して宇宙の意思ではないだろうね。

それとも、我が物顔でのさばる人間の衰退も、宇宙の頭脳の中では既に予想され、

許容していることなのかな?」という話をしたことがあったが、

実際自分のおなかの中に命が誕生したと分かった時、

宇宙も自然も生命だけど、この命だってかけがえのない生命だと思ったという。

ただ一つ、ご主人様のただ一人の愛奴でいられなくなってしまうのでは、

という点でとても悩んでいる。

生活に関わる様々な雑事は、決してロマンティックにはいく筈がないし、

ご主人様(shadow様)が以前言われていた、

SMは上流階級で密かに広まった遊びだということがうなずけるような気がする。

彼女の答えはまだ出ていない。

ご主人様は、どのように思われるのだろうか。



6.30

電話をかけさせていただく時は、直前まで、アレもコレも話そうと考えているのだけれど、

「涼子か?」と携帯からご主人様のお声が流れてきた途端、

いつだって考えていたシナリオは何処かへ吹っ飛んでしまう。

初恋の頃だってこんなにドキドキはしなかったように思う。

私はまだ、電話での調教を受けたことがない。

友人と話すような、たわいもない話をさせていただく。

その内容によって、私はご主人様と一緒に屋久島を歩きまわり、

紋別で流氷を眺め、うに丼を食べ、書店で本を探している。

おやすみなさい、と電話を切ったあと、長電話になってしまって申し訳なかったなと思いながらも、

充実した時間を過ごせた満足感と嬉しさで一杯になる。

それに加え、昨夜は、数日でまたお会いできるという喜びから、

とても幸せな気持ちで眠りにつくことが出来た。

その、幸福感は一日あけた今日になっても持続し、一日を幸運な日に導いてくださった。



7.7

待ち時間や移動がやけに多い一週間だったが、そのお陰で、

友人から進められていたポルノグラフィーを数冊読むことが出来た。

趣の異なる小説を選んだため、一冊を読み終え、次の小説に取り掛かると、

その設定に馴染むまでに、しばらく時間が掛かった。

養子として迎えられた少年が、義母と妹達の手ほどきで、性に目覚めていくという設定もあれば、

ある少年に、愛奴として最高の調教と文字通り愛を受けていた少女が、

その好奇心と押さえられない欲求により、より厳しい罰が待つ場所へ、

ご主人様から逃れ、踏み進んでいく、というものもあり、

最も違和感を感じたのは、数冊の中では、最も現実的なSMを描いたと思われるものだった。

女性はどちらかと言えば、性の中にもファンタジーを望むものなのかもしれない。

今まで官能小説を読んだ経験が無いので、そうばかりではないのだろうが、

三種の小説に共通していた女性が家事をしなくても良い程度のお金持ち、

という設定に思わずうなずいてしまった。

確かに現実は、罰としてではなく、生活の一部として床を這いずり雑巾を掛け、

ゴミを出し、子供に小言を言い、べたべたに汚れたガス台を磨き・・・・・

全くロマンティックじゃないもの!

私にとってのSMは、ご主人様の仰る通り、日常の中の非日常であるんだな、とあらためて納得。

話の中に没頭するうちに、ご主人様が次第に<shadow様>にとって変わり、

調教されているのは、私であり・・・小説を読んでいるのか、妄想に耽っているのか区別がつかなくなり、

鞭で打たれるシーンでは思わず声をあげそうになってしまった。

やはりSMは想像力・・・なのだと思った。

その、妄想の世界が、もうすぐ現実になる。

小説のお陰で(?)前回よりももっとドキドキして、その日を待っている。



7.8

フィリピンの東、太平洋上で台風となった熱帯性低気圧は強い勢力を保ったまま、

まだ地震活動の続く伊豆諸島に接近し、7日夜半、東海地方はその影響で暴風域に入っていた。

叩きつけるような雨音を聞きながら、明日の朝、新幹線が運行中止になりませんように、

とそればかりを案じ、私は眠りについた。
 
翌朝、眼を覚ますと、昨夜の嵐は嘘のように過ぎ去り、気持ちよく晴れ渡っていた。
 
手早く家事を済ませ、昨日の内に決めておいたタイトなノースリーブのワンピースを身につける。

ご主人様にお会いする日は、服とそれに似合うピアスを選び、お化粧をし・・・

という一連の動作が殊の外楽しく感じられる。

平静を保とうと思いつつも顔中に広がってしまう笑みは消せる筈も無く、

はたから見れば随分浮かれだっていたことだろう。

迎えに来てくださったご主人様を見つけた私は、思わず走りだしてしまった。

ご主人様だ!「よく来たな」これ以上は望めないほどの優しいお声が耳元に響く。

人目が無ければ、嬉しさのあまり泣き出してしまったことだろう。

次の撮影用の小道具を御買いになりたいと仰るご主人様に従い、ハンズへと向かう。

「道具を買ってしまえば使いたくなるから、撮影中心になってしまうかもな。涼子はそれでもいいか?」

・・・はい・・・撮影でも調教でもどちらでもかまわない!

こうしてご主人様のお傍にいられるのですもの。

ご主人様はゴールドのチェーンといくつかの止め具を購入された。

「何に使うか解る・・な?」

人目をはばからず、意地悪な言葉を投げつけられる。

赤面した私は、眼でうなずく事で精一杯だった。

本日の昼食は、二人ともに”パスタ”という気分だったので、ご主人様ご推薦のイタリヤ料理屋さんに決定。

パスタはもちろんだが、ガーリックトーストがおいしいんだよ、と嬉しそうにお話し下さる。

実際、そのお店のパスタは、きちんとAl’denteで、文句無く美味しかったのだが、

やはり特筆すべきはガーリックトーストだった。

イタリア名でBruschetta(ブルスケッタ)と呼ばれる、

このシンプルこの上ない料理で、何故こんなにも味の違いがでるのだろうか? 

大阪では一番美味しいと仰られたが、私が食したガーリックトーストの中でも、一番美味しかったと思う。

ガーリックとオリーブオイルのあの香り・・・焼き加減もGOODで・・・

あの香りは、本格的に炭火で焼いているのだろう。

少し焦げたところでさえ、大事な美味しさの一部になっていて

・・・日記を書きながら、あの香りを思い出してしまった

(ご主人様、また、連れて行ってください)。

食事の後、ジュンク堂に立ち寄り、そのまま恋人同士のように腕を絡めてホテルへチェックイン。

ドアを閉め、部屋を確認するなり、ご主人様がまずされたことは、備え付けの冷蔵庫を動かすことだった。

ご主人様はすでに、撮影モードに入って居られたのだ。

あっという間に仕度は整い、先程買ったばかりのゴールドのチェーンが、下着姿の私の体に巻かれる。

モデルをしたことは勿論あるはずも無く、

カメラを向けられてもどんな表情をしたらよいのか解らず戸惑っていた。

それでも、綺麗だと仰ってくださるそのお声にどれほど勇気付けられたことだろう。

前回も感じたことだが、ご主人様は本当に褒め上手だと思う。

そしてこちらも調子に乗ってしまうのだ。

両手を首の辺りで固定され、上半身に鎖を巻かれた私は、レンズ越しにご主人様の視線を感じていた。

いつだったか、誰かにこんな風に拘束されたいと夢見たことがあった。

どれほどの人が、胸の奥深くに隠した妄想を、現実にできるというのだろう。

私は、幸せだった。

ただし、浮かれていられたのはここまでだった。

撮影が終わり、正座をし、ご挨拶をする時間が来たのだ。

先程の、恋人のよな甘い気分から抜けきれずに、私は言葉を失っていた。

頭の中では言わなければと思っていたのだが、ひどく緊張し、下が捲れあがってしまったようだった。

どうしてたった一言がいえないのだろう?

気持ちだけは焦り、額に汗が浮かんできたが、気持ちが言葉にならず、結局ご挨拶をすることが出来なかった。

罰として、洗面器の中に放尿するようご命令されたが、

先程トイレに行ってしまったばかりで、実行することが出来ず、

次にご主人様の目の前でイクまでオナニーをするというご命令が下った。

私は度重なる失敗で、緊張が極度に高まり、

普段、普通にオナニーしてもあまり濡れてこない私のヴァギナは、かえって乾いてきてしまい、

情けなく「出来ません」と申しあげた。

その瞬間にご主人様の平手が頬に飛ぶ。

「出来ないっていったのか?えっ?」恐ろしい声でそのように仰られ、

「します」と言うのだが、一向に潤って来る気配はなかった。

結局、その気になっていない下腹部に、強引に指を入れ、かき回し、

少しだけ濡れてきたところでクリトリスを擦り・・・最後はご主人様にローターで手伝って頂き、

ようやく達することが出来た。

勿論、そのまま休むことは許されず、ご主人様の上に跨り、ペニスを挿入させて頂き、

動かないでイメージだけでイクんだ、とのご命令。

最初は、上手く出来ずに、泣きたい気分だったのだが、次第に意識が集中し、

ふわっと気分が高まり、あとは2・3回腰を動かしただけでイってしまった。

それを数回繰り返す。

最後は、もうご主人様のペニスは勃起していなかったにも関わらず、イメージだけでのぼりつめてしまった。

そんな私に、「褒美だ」と普通のセックスが与えられた。

ご主人様の動きに合わせて、私も高まっていく。

あっ、あっ、ああん・・・もうすぐ来る!そう感じた瞬間に、

意地悪にも、ご主人様はペニスを抜いてしまわれた。

物凄い喪失感!私のアソコは口を開けて脈打っているというのに・・・。

「涼子の好きなスパンキングをしてやるよ。縛るからそこに座れ」

私はそのままセックスを続けたかったのだが、ご命令通りにおとなしく座り込んだ。

先程少しだけ縛っていただいた時に、縄抜けをしてしまったので、

両手はさらにきつく後で縛られ、体には縄が掛けられる。

SM専用だと仰られた縄は、しなやかで肌になじみ、馬油の匂いがする。

ご主人様に縛っていただくことは,ほとんど幸福といってもいい。

この瞬間、私だけがご主人様に属している、と感じられ、抱きしめられているような錯覚に捕らわれる。

縛り上げられた私は、背中を軽く押されベッドに倒れこむ。

無防備にさらされたお尻にご主人様の平手が下ろされた。

悲鳴をあげないように、枕に顔を埋めていたが、枕は外されてしまった。

一打ちごとに強さを増していく。

ひりひりする痛みの後に、じわ−んと開放感が訪れ、そしてそれに浸る間もなく次の一撃が訪れた。
 
途中、首に巻かれていたチェーンの先が、足首へと繋がれてしまったので、

痛みのあまり体が跳ね上がると、喉を圧迫し、このままでは息が止まってしまうのではないかと思われた。

勿論その辺りは、ご主人様はプロであり、心配は無かったのだが、

(それは首に残った鎖の痕からも解ったのだが、実際にはそれ程しまってはいなかったようだ)

その時は、意識が掠れ始め、その感覚が妙に気持ちが良くて、

その中で、お尻の痛みだけがリアルで・・・。
 
前回はかなり手加減して下さったのだと気付いたのは、快感が、苦痛に変わってきた頃だった。

(勿論今回もご主人様は手加減されていらしたのだと思われるのだが)

うめき声は次第に大きくなり、知らず知らずの内に目からは涙が溢れ落ちていた。

相変わらず、首は締め付けられており、トリップしてしまいそうだったが、

お尻の痛みだけがそれを押しとどめていた。

ふと、私を見詰めるご主人様の視線を感じ、目を開けた。

そこでようやく振り下ろされる手が止んだことに気付いた。

しばらく見詰め合っていたが、ご主人様の瞳が優しさを帯び、

よく頑張ったねとおっしゃられていることに気付き、私はまた幸せに包まれた。
 
先程、オナニーしても中々感じることが出来なかったことが嘘のように、

アソコは大洪水を起こし、シーツまでもが濡れていた。

何度も達し、途中からは意識が飛んでしまっていたらしく、どうしても思い出せないのだが、

苦痛を感じながらも、イッてしまっていたのだろう。

恐怖の中で、もっと強く打って欲しいと望んでしまい、苦痛さえ甘美に感じされるのは、

やはり私がMである証明なのだろうか?
 
その日購入した「O嬢の物語」に次のような一節があった。

「彼女を時々縛ったり、少々鞭打ったりしたとしても、彼女がそれを喜んでいるようでは、まだだめなんだ。

必要なことは彼女の喜ぶ段階を通り越すことだよ。そして涙を流させてやることだ」

例えば、手が鞭に変わったとしても、私はその苦痛を望むのだろうか?

辛いと訴えても、今日のようには開放して頂けず、鞭の痛みに泣き叫んでも容赦されないとしたら・・・?

そんな情景を描きながら、いっそのこと段階を踏まずにそうして欲しい、と望んでいる自分を発見する。

最近、連続していくつかのSM小説を読んだのだが、

読めば読むほどMであることがどういうことなのか解らなくなってしまった。

支配と服従・・・服従するということは、どういうことなのだろう?

そんなことを頭で考える暇も無く、調教されてしまえば、体がその答えを見つけてくれるのではないだろうか?

今の私にうっすらと理解できるのは、痛みが全て終わった後に湧き起こる気持ち・・・

ご主人様の足元に、強制されてでも、痛みの恐怖からでもなく、自発的にひざまずきたくなるような気持ちだけだ。

この気持ちの前では、メールと電話で、会話させて頂いている時に感じる、ご主人様への淡い恋心なんて、

どうでもいいことのように思われ、それよりも、静かな服従心で、ご主人様のお言葉に耳を傾け、

ご主人様のご命令だけを忠実に守り、愛奴として一層厳しく躾て頂き・・・調教していただいた後には、

心からそう願う私がいる。

実を言うと、きちんと記憶に残っているのは、スパンキングを始めた頃までで、

その後、ご一緒にお風呂に入らせて頂くまでの時間が、どのくらいであったのか、覚えていない。

お風呂にゆったりと浸かり、ご主人様のお体を洗わせて頂いている時さえ、まだ少しぼおっとしていたようだ。

(ご主人様、ペニスを他の部分と同じようにスポンジでごしごし洗ってしまってごめんなさい)

そろそろチェックアウトしようと時刻を確認した時に、思っていた倍の時間が過ぎていたことに驚いてしまった。

最終の新幹線時刻は1時間後に迫っていた。

どうやらご主人様と過ごさせていただく時間は、倍速で過ぎていくようだ。

新幹線に乗り込む前に、ご主人様と一緒に「たこ昌」でたこ焼きを半分づついただいた。

表面がカリッとしていて中はトロ〜、焼き上げたばかりのたこ焼きを爪楊枝で苦心して口に運んだ。

(何故お箸を使わなかったのかは、ご主人様と涼子の秘密。)

アツアツでなおかつご主人様とご一緒ですもの。

味は格別だった。

それでは、また、とあっけなく別れてしまった後、

(これから何度でも同じ気持ちを味わうのだと思うが)

やはり寂しくて、もっと一緒にいて頂きたくて、気持ちは高ぶったけれども、

あっけなさがむしろ、次にお会いできる当然の約束のようで、それだけが大阪から離れる私を支えていた。

ご主人様、涼子と過ごす時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。

メールに書かせていただいたことでもありますが、今回の涼子の態度は最悪でした。

ご主人様は、「俺は楽しかったから気にしなくてもいい」とお返事くださいましたが、

自分自身情けなくて落ち込んでしまいました。

以前に仰られた「愛奴として相当厳しい躾が課されることになるぞ」というお言葉が身にしみました。
 
でも、今回お会いして、涼子はご主人様の恋人になりたいのではなくて、

愛奴でいたいのだと再認識することが出来ました。

今までこの二つの立場の区別がつかなかったのです。

次回は**月ですね。

それまでにしなければならないことが山ほどあり、目が眩みそうです。

でも、出来そこないの愛奴なりに、頑張ります。

何時かご主人様に「涼子、早く大阪へ来い」って言っていただけるように・・・。



7.12

〆切を間近に控え、慌しい日が続いている。

時間に余裕がなくなってくると、会話の中に否定的な言葉が多くなり、

それに加え「忙しいから〜」と連発してしまう。

言葉は、言の葉の如く、その一音一音に魂が宿る・・・とは、昔からの日本の考え方だ。

だから私達はできるだけ美しい言葉を使わなければならない。

そして、否定的な考え方は、否定的な事柄を惹き付けてしまう。

・・・そう思いつつも、イライラしている自分を発見し、自己嫌悪に陥る。

ご主人様はイライラしたり、怒ったりすることがあるのだろうか?

私が落ち込んだ時も、パニックを起こした時も、優しい態度で話を聞いてくださったご主人様。

涼子の八つ当たりにも、(多分苦笑されつつ)直ぐに応対してくださったご主人様。

涼子は、ご主人様のそういう姿を感じたことが、まだ、ない。

そして、ご主人様なのに、威張っていると感じたことも、ない。

本当に自信がある人や信念のある人は、決して威張らないのだろう。

その必要がないからだ。

落ち込んだ時にも、自信や信念がそれを支えるのだろう。

涼子は、ご主人様を、ご自身に誇りを持った、強い御方だとご尊敬申し上げている。

先日の会話の中で、

「・・・安心させてあげる為に〜するが、〜したらやめればいいことだから」

と仰られたその言葉に、涼子は感動してしまった。

ご自分の信念を貫きつつも、周囲への心遣いも決して忘れていらっしゃらない

方をご主人様と呼ばせて頂けることを、心から幸せに思う。



7.14

ご主人様へのメール、そしてこの日記は、はじめのご命令通り

「首輪」をして「裸で」書いている。

「首輪」をすると圧迫感があり、慣れないうちは息苦しく感じたのだが、

次第に、していない状態が心もとなく感じられるようになってしまった。

先日、デパートを訪れた際に、CKで素敵なチョーカーを見つけた。

細い皮ひもに、プラチナののサイコロ状のペンダントトップがついている、ごく普通のチョーカーだった。

今まで、チョーカーをしたことは一度もなかったのだが、引きつけられるように衝動買いをしてしまった。

そして、皮の長さを短く調節していただいていたものが、今日出来上がってきた。

これを首輪の代わりに毎日身に付けていようと思う。

”O”のように、ご主人様の所有であるというプレートを、アソコにつけることは出来ないが、

せめて、いつでもご主人様の愛奴らしく振舞えるように。

私自身が寂しさを抱え込まないように。



7.16

マニキュアを塗る時間は贅沢としかいいようがない。

普段は、爪が割れやすいので、透明なベースコートを塗るに留まるが、

パーティーや特別のお出掛けとなると、俄然、気合が入る。

べースコートを塗り、カラーを選ぶ。

ムラにならないように2度塗りをし、トップコートを塗り、

乾くまで、細心の注意を払って(つまりは何もせずに)、ひたすら待つ。

この間、30分〜40分程。

マニキュアが完璧に仕上がった時の満足感といったら、これはもう女にしかわからないことだろう。

しかし、おおよそ私ときたら、時間に対し貧乏性なので、壁に掛かった絵の傾きが気になったり、

観葉植物に水をあげ忘れたことに気付いたり、冷蔵庫の表面の汚れが気になったり・・・

後にすれば良いものを、何かが爪に触らぬよう気遣いながらも、それをしてしまう。

そして数分後には、後悔する羽目に陥る。

そんな失敗を何十回と繰り返し、深夜、眠りにつく前に塗ることが多くなった。

お楽しみの前夜、鏡台の前で無心にマニキュアを塗る。

あとは眠るだけなので、とりたててする事も無く、

明日の楽しい時間を思いながら、指をひらひらさせ、乾くのを待つ。

その時、私は、まさしく女だ。



7.19

休日の前夜、夏の星座に会う為に、車で1時間程の**山の麓を訪れた。

ポットに入れた、たっぷりのコーヒーと、双眼鏡、眠気覚ましに、刺激性のある目薬を持って。

夏の大三角形の辺りから下った夏の銀河は、

いて座の辺りでひときわ濃さを増し、大河となって地平に注いでいる。

この星座で目につくのは、南斗六星と呼ばれる、北斗七星に似た星だ。

中国では、北斗の星が「死」をつかさどるのに対して、南斗が「生」をつかさどる神と考え、

人が生まれる時に、この二人が相談して寿命を定めるのだと伝えられている。

光の届かない山の中では、「満天の降るような星」が私を迎えてくれた。

街の中では、天の川が「川」として知覚されることは難しいが、

星を見るにはあまり良い時期ではない夏の空でさえ、くっきりとその帯を記している。

天井近くの、はくちょう座、こと座。

うしつかい座の左肩に見えるかんむり座。

ヘルクレス座の大球状星団M13。

空が綺麗に澄んだ夜なら、肉眼でもはっきりその姿を捉えることが出来るが、

双眼鏡なら無数の星が球状にびっしりと詰まっているのが見え、

それはもう、ため息の出るような美しさである。

四季を通して北の空に輝く北極星に目を移す。

夜空を眺める時は、いつでもこの星を頼りに東西南北を確認する。

この星が800光年という遠方にあるなんて!

北の番人と呼ばれる、こぐま座の北極星であるが、

1万3000年後には、番人の座を織女星のベガに譲り渡すこととなる。

夜空を眺めていると、

過去と未来が交差するその中心に自分が立っているような不思議な気持ちに捕らわれる。

星が瞬き、幾つかの星が流れた。

Make Wish・・・

もうすぐ、朝が訪れる。



7.23

冷たいシャワーを浴び、浴室のドアを閉めた。

日に焼けて、赤味を帯びた全身が、鏡に映っている。

日中の気温は、全国的に35度を超えていた。

一日を、海辺で過ごすには、日差しがきつすぎたようだ。

水滴は、タオルで拭う間もなく、肌に吸収され、

たっぷりとつけたローションでさえ、わずかな時間で染み込んでしまう。

ドライヤーを使うと、クーラーで程よく冷えたベッドに横たわる。

赤くなった箇所が、冷たいシーツの上で、ジンジンとしていた。

打たれた後のように火照った肌は、ご主人様を思うには、あまりに直接的なキーワードだった。

あの時の、「感じ」を取り戻すように、そのままの姿勢でじっとしていた。

打たれた肌を、優しくさすってくださる、ご主人様の指の感触を。

ふわっと、肩の辺りに触れられたような気がして、そのことに反応してしまう・・・。

体を少し動かしてみる。

ひりひりとした痛みを感じた。

幸せな思いの中を漂っていた私は、その痛みに、「気がしただけだ」と否応無しに気付かされてしまう。

立ち上がって、鏡台の引出しを開けると、

いつもならば昼間だけつけることにしているチョーカーを首に巻いた。

鎖骨のほんの少し上で、それは私にとても似合っていた。

ご主人様が傍にいてくださるような安心感の中で、眠りについた。



7.26

この5日間で、哲学的なものから、カウンセリング的なものまで、

「性」について書かれた本を10数冊読んだ。

ご主人様から「また、薀蓄ばかり言って・・」とお叱りを受けることになりそうだが、

「私はどこかおかしいのかもしれない」と思っている涼子にとって、

慰めになる箇所も多々あり、無駄な読書では無かったと思っている。

それが友情なのか恋であるのか、という問いかけほど、人間関係を貧しくしているものは無いだろう。

限られた単語の中でしか関係性の選択がなされないところに悩みが生じる。

現実に、これはいったい何だろう?という感情や関係を体験することは少なくない。

SMというのはセックスに似ている、似ているから一緒にされがちだけど、実はそうではないのだ。

普段と異なるシチュエーションでセックスすれば、燃えるのは当然だ。

しかしそれはセックスの応用でしかない。

SMは肉体的な行為よりむしろ、精神的にSになるMになることが必要なのだ。

SMは快楽であり、愛も行き来することが多い。

でもセックスと違うのは、それが非日常的なところだ。

確かに人は、オーガズム的な性の快楽の呪縛を離れ、

もっと多様な身体と精神の快楽を発明する可能性を持っている。

自己の境界を越えていくこと、つまり非アイデンティティ−を確認すること自体が快楽なのだと考える。

アイデンティティーを超越する為に「性」を利用するのである。

自分に都合の良い箇所ばかり、拾い出している気もするが・・・。

しかし、様々な分野において、人間には、様々な嗜好があるのが当然であり、

ジェンダー(生物学的な男・女とは別に、社会的・文化的な性のことをさす)でさえも、

時代・文化・それぞれの社会によって随分異なり、

それぞれのセックス(生物学的な性)やジェンダーに当てはまらない人々も、

存在するのが当然である、ということを認めていることに驚いた。

ということは、Mである、レズビアンである、ゲイである・・・

つまり、性的な嗜好や指向はひとそれぞれである事を専門分野では既に認めているということ??

それを異質としているのは、「世間」だけ??

少しだけ、気持ちが楽になったような気がする。



7.27

まだ、仕事を始めたばかりの頃、一人で取る夕食が、苦手だった。

賑わうレストランで、独りきりで食事をしている女は、どんな風に映るのだろうか?

寂しそうに見えるだろうか?

髪を振り乱して仕事をしているように見えるだろうか?

そう考えると、居たたまれない気持ちになってしまうのだった。

独りで旅行に出る機会も多かったが、

夕食時だけは、誰かが一緒だったらいいのに、と思わずにはいられなかった。

いつの頃からだろう?

気がつくと、戸惑うことなく、必要以上に媚もせず、自然体で、

スマートにそのことが出来るようになっていた。

料理が運ばれるまでの時間を、窓から見える景色や人々を眺めて過ごし、

お皿が運ばれたら、料理に集中する。

早すぎもせず、遅すぎもせずに、料理を口に運び、味を楽しむ。

食後にエスプレッソを頂くまで、ちゃんと背筋を伸ばして、出来るだけ優雅を心掛ける。

今日、ある酒造会社の社長さんと、お会いした。

若い頃は、この会社を継ぐ事が嫌で、逃げ回っていたんだ、と

笑って仰社長さんは、今ではダンディーな初老の人であったけれど、

人を逸らさない話し振りで、予定を1時間もオーバーして別れた。

夜8時を過ぎ、昼食も満足に取れなかったために、随分お腹がすいていることに気付き、

駅近くのイタリアンのお店で、夕食を頂くことにした。

前菜が終わり、メインにイカ墨のリゾットを頂き、デザートは省略、

食後のエスプレッソを、明治時代の後期のモノだとマスターが自慢する印判の器で、頂いていた時だった。

ふと視線を感じ、その方向へ顔を向けた。

視線の主は、直ぐに下を向いてしまったが、どうやら私と同じ、出張中とおぼしき若い女性だった。

デイ・バックとノートパソコン用のキャリング・バッグを足元に置き、

落ち着きが無い様子で、パスタを口に運んでいた。

必要以上に緊張している彼女の姿は、10年前の私、だった。

私は、少しだけ気恥ずかしく、そして彼女が羨ましかった。

夜のレストランで、自然に振舞えるようになるまでに、どの位場数を踏んだのだろう。

それは、ただ、私が年を重ねたという、証明だった。



7.29

何にしても「始めて」は、特別に嬉しいものだ。

今日、ご主人様の方から、iモ−ドにメールを頂いた。

返信メールではなく、正真正銘ご主人様からの、ものだった。

こちらからお電話を入れさせて頂いて、かけ直してくださることはあるのだが、

ご主人様が、何か用事がおありで、かけて下さることは、今まで無かった。

その内容は、別として、”始めてご主人様から連絡を頂いた”ことがとても嬉しかった。

嬉しさのあまり、その日の夢は、ご主人様が私にお電話をしてくださるシーンから始まった。

お電話で、ご主人様は

「涼子、あの焼き鳥が食べたくて仕方が無い。今から作って持って来い。おい、あの味、だぞ」

と、ご無理を仰った。



8.2

昨日、素敵な女性とデートをした。

話題はもっぱら”自分に属する瞳の色”と、”夏休みというノスタルジー”についてである。

こう書くと、なんだか高尚な話のようだが、何のことは無い、

川で泳いだ後に疲れた体を引きずって歩いた感覚、夏休みの午後の静けさ、

プールの帰りに食べたアイスキャンデーの味、

お昼寝をしながら微かに耳に聞こえた風鈴の音、

・・・要するに、どうでもいい話ばかり、である。

どうでもいいようなこと、だけれども、感傷的な気持ちを呼び起こすには充分過ぎる記憶だ。

自分の中でだけ、価値のあること。

そんな甘酸っぱい経験を積み重ねて、瞳は色を帯びるのだろう。

動物的な光を放つ器官としての目は、直感と生きてきた時間の中で培われた賢さが同居している。

そういう、瞳の活用法、についてのお話。

言葉を使わないということは、とても禁欲的だ。

それが作為的でなく、技巧的でなく、心ならずもといった感じで、

必然性と無意識に支えらて、瞳を覗き込んでしまい、そこに同じ色を見たとき・・・

もうこれはどうしようもないのではないのだろうか・・・とそんな話をした。

勿論、話だけに留まらず、飲んで・食べて・踊っての大騒ぎの夜を楽しんだのだけれど。

私の中で、とても心に残っている、というより捕らわれてしまったシーンが在る。

うつぶせていた私が、ご主人様の視線に気付き、ふと見上げた時のことだ。

そのシーンは、箪笥から引き出すように、何度も思い出しては、

幸せな気持ちに浸っているのが、一向に色あせる様子はない。

コットンキャンディを味わっている子供みたいに、幸福な気持ち。

ご主人様の瞳の奥に、何をみつけたのかは、涼子だけのとっておきの秘密だけれど、

ご主人様もまた、涼子の瞳の色に気付いて下さったかしら?

何時かお会いした時に、お聞きしてみよう。

疲れていて、何も覚えていない・・と言われてしまうかしら?



8.6

ラジオのスイッチをオンにした途端、ビートルズが流れてきた。

Let it be・・・

Let it be・・・

あの時代には、少しだけ遅れて来てしまった私だが、

それでもビデオで見た、あの武道館、そして音がかき消されるほどの叫び声は、

今でも懐かしく思い出すことができる。

Let it be・・・ 

あるがままに・・・

すべてを手に入れた彼等の、何処からこの言葉が生れて来たのだろう。

ポール、あなたでも、こんな気持ちになることがあったのですか?

あるがままに・・・そのままに・・・Let it be・・・
 
時の流れの中で、すべてを認めて、あるがままに、漂えたら・・・。

少年でいらしたご主人様は、どんな思いでこの曲を聴いていらっしゃったのだろう。

アクセルを、少しだけ踏み込む。

平坦な国道の向こうに、入道雲が広がっていた。



8/8

仕事上での必要性にかられ、「EVANGELION」を観た。

あの頃、私もこのアニメに嵌ってしまったクチであり、

テレビはもとより、映画も攻略本もクリアし、ビデオをダビングし、

永久保存版にした程の入れ込みようだった。

しかし、アニメがこれほど重いものであって良いのか?と疑問に思うほど、

見終わった後の疲労が激しいので、それ以来、ビデオはキャビネットの奥にしまい込まれたままだった。

さまざまな外傷体験を抱えた登場人物と謎めいたストーリー、

そして物語の完結を放棄したようなTV版の最終回、

映画2作による完結編と、熱狂的な人気を誇ったものだ。

フロイトもユングも真っ青になりそうな、様々な心理学的ケースのオンパレードに、

誰でもその登場人物の一人にシンクロしてしまいそうになるのではないだろうか?

「今見えるのはあなた自身の心、あなたの願いそのものなのよ。何を願うの?」

自分の価値を見出せない登場人物たちは、様々な体験の中で自問自答する。

「私の存在理由は何なのか」と。

何度も<巻戻し>ボタンを押し、メモをとりながら、最終回までを一気に観た。

そのためか、ENDの文字が画面に映った途端、ソファーに引っくり返る羽目になったのだが、

呆然としている頭の中に浮かんだものは、何故かあまり関係のない

「Logicじゃないのよ。男と女は」

という、リツコのセリフだった。

Logicじゃないんですよね。

ご主人様と涼子の関係も・・・。

そう思えば気持ちが楽になるなあと、ぼやけた頭の片隅で考えていた。



8/12

「Take me to "Tulamben",please.」

DENPASAR空港からタクシーに乗り込む。時はすでに黄昏時。

インド洋に沈む夕陽が、KUTAの砂浜に長い影法師を落とし、街全体を紅色に染めていた。

若者で賑わうこの街から、およそ3時間。

Ubudを走り抜け、Gunung Agung(アグン山〉を左手に見ながら、曲がりくねった道を走り続ける。

電気も電話線も通っていないTulambenと呼ばれるこの村は、星明りと月明かりに映し出され、

一層神秘的だった。

この村を訪れるのは、半年振りだ。

懐かしさを感じながら、ドアをノックする。

「Selamat malam!〈こんばんは)」

途端に、「Apa kabar,anak perempuan saya(元気だった!私たちの娘!)」

と家族全員が玄関へと押し寄せてきた。

この国で私は、父と母と兄弟8人という大家族の一員となる。

そのまま、夕食の席に加わり、近況報告に花が咲く。

豚のローストを手でつまみ、ピーナッツソースをつけてサテを頂く。

勿論、ビンタンビールを片手に。

祭りのないこの夜は、取り立ててすることもなく、家族でビーチに出た。

月明かりが、海に一筋の道を照らし出し、波音とガムランの音色だけが耳に響き・・・。

ああ、やっと帰ってきたんだな、不思議なほど落ち着いた気持ちで、私はそう感じていた。

バリの朝は早い。まだ、日が昇らないうちに起きだし、仕事に取り掛かる。

なんて勤勉な!と思いきや、日中は温度の上昇によって、とても仕事どころではなく、

ひたすら日陰や、大理石の床の上で昼寝に耽るのだ。

そして、日が傾きかけた頃、また少しだけ仕事をして、夕食の時間となる。

もっともこれは、観光地化を免れた田舎ならではの事なのかもしれない。

皆がごろごろとその辺で寝転がっている間に、私は水着に着替え、タンクを背負い、海に入る。

この村は、まだ日本人にはあまり馴染みのない、しかし、最高に美しいダイビングスポットなのだ。

透明度の高さは勿論のこと、
水深30Mの海底にはアメリカのリバティ戦艦が沈んでおり、様々な魚達の住み家となっている。

その、息を呑むような美しさ!

背泳ぎの格好で、ふわふわと海底を漂えば、水面からは、太陽の光が木漏れ日のように降り注ぎ、

次第に、何処から何処までが海水なのか、光なのか、私なのか・・・その境が曖昧になる。

これはエクスタシーの時に似ている。

私とあなたの境がなくなってしまうような感覚・・・。

私は海水であり、降り注ぐ光であり、この地球そのものであり・・・

意識がどんどんと伸びてゆき、何処までも拡大していく私を感じることができる。

ここは、私が私自身に戻ることができる、二つしかない場所の一つなのだ。

海から上がると、そろそろ皆が目を覚ましだす頃だ。

今夜は祭りがあるので、少し早めの夕食となる。

私もサロンを巻いて、この村の娘として参加する。



8/13

この島では、毎日どこかしらでお祭がある。

2万あるといわれている、バリ・ヒンドゥー教のお寺。

そのひとつひとつには誕生日があり、210日毎に祝うのだ。

私も、クバヤ(長袖のブラウス〉とサロンを着け、腰に帯を巻いた。

サロンをしっかりと腰に巻き、その上から帯を巻く為、背筋が伸び、気持ちがいい。

果物を、お皿に綺麗に高く積み上げ(1m程)、寺へと運び込む。

祭りの始まりだ。

タリ・ワリは、寺の境内の一番奥で舞う、バリ舞踊の中でも、最も崇高な芸能に位置付けられた踊りだ。

ルジャンと呼ばれる奉納舞で、村の女性なら誰でも舞うことができる。

そして男性による戦士の踊り<バリス・グデ>に続く。

いつ果てるとも知らず、澄んだ夜気の中にガムランが響く。

私からすれば、立派な芸能である舞踊が、彼等にとっては生活の一部だという事実。

宗教が、まるで生活にリズムを与えているかのようである。

バリでは、太陽・水・大地・海・山など、あらゆる自然に、神々が宿ると考えられている。

特に山への信仰は厚く、アグン山は霊峰として崇め、聖なる地とし、

それに対し、海側を悪霊の住む世界としている。

天と地、善と悪、浄と不浄、優と劣、生と死など、この世の全ては対極の関係にあり、

相対立する二元論により世界は構成されている、これがバリ族の宇宙観である。

だから、海と山という対極の間に人々は住み、

天国と地獄という相対立する世界の狭間に人生があると彼等は考える。

有名なバロンダンスは、善と悪の戦いを表したものであるが、

両者の戦いは決着のつかないままに幕を閉じる。

必ず善が勝ち、悪が負けるという観念を否定し、

善と悪の両方があってこそ、それぞれが成り立つことを舞踊で説いている。

そして、それは正しいと、私は思う。

神々の島、と人は呼ぶ。

そう呼ばれることで、この島は、観光用の仮面をつけてしまった。

バリには、忘れかけている暗闇が存在し、木々の緑は恐ろしい程の深さをたたえている。

その中で、多くの若者がガムランの練習に励んでいる。

こうしてこの島の伝統は守られている訳だが、

それがこの島に生れた者の道であると考えるには、彼等は若すぎる。

自殺してしまう若者が増えていると聞いた。

彼等はこの島から出ることも出来ず、観光業にしがみつくしかない。

私たちの幻想が、彼等を追い詰めているのかも知れない。



8/16

人が人に対して、”してあげられる”ことなんて、何もない。

”してあげることができる”と思うことは、傲慢だとさえ思う。

それでも、親しい友人に何かが起きた時、何か出来ることがあるのではないか、

とバタバタとあがいてしまう。

そして、何も出来なかった事実を前に、ひどく落ち込むことになる。

その繰り返し。

私が彼女でない以上、彼女の辛さも苦しみも想像することしか出来ない。

”してあげられる”何かがあると思い込むことで、自分の存在理由を確認している私がいる。

その人のため、と言いながら、実は自分の為の行動だったと気付く。

いつも不安を抱え込んでいる、涼子はそんな人間だ。

自分を認めることができないから、怯えている。

こんな私にも”してあげること”があると考えることで、自分を慰めている、

そんな傲慢な人間なのだ。

彼女の笑顔を心から願っていることだけは、事実なのだけれど・・・。



8/24

京都駅、午後四時。

角を曲がり、近づいてくる人影。

ほら、ご主人様、

「髪を切って印象が変わったから、分からないかもしれないな」なんて仰っていらしたけど、

私には自身があったのです。

どんなに容姿が変化したとしても、ご主人様ならばすぐに見つけられる、って。

ご主人様のお顔に、笑顔が広がる。

・・・こんにちは。お久しぶりです。

ああ、よく来たな。

黒いTシャツにエドウィンのジーンズのご主人様。

短くした髪のお陰で、以前よりも少しだけ年を重ねて見えたけれども

・・・やはり素敵な男性だ。

河原町でバスを降り、ご主人様のご友人お勧めのお店へと向かった。

先斗町の小路を、ご主人様と寄り添い歩く。

午後の京都は、うんざりするほど残暑厳しく、アスファルトに反射した光に、目を細めずにはいられない。

日暮れ時であれば、さらに情緒があったであろうが、それでも店先に打ち水をする和服の女性や、

細い路地の向こうに見える、敷石の横の可憐な灯りに”京都らしい”風情を感じる。

開店には早すぎる時間だった事もあり、高瀬川の橋の上に日陰を見つけ、5時を待つことに。

欄干から流れを見下ろしながら、

お会いできなかった2ケ月間の出来事を思いつくままにお話させて頂いた。

本当に「思いつくまま」なので、「そう言えば・・・」が枕詞になってしまう。

一日の暑さを集めた体は、冷たい飲み物を求めていたが、

こんな風に過ごす何気ない時間は、幸せだなあ、とそう思わずにはいられない。

私は、笑顔以外の表情を忘れたかのようだった。

開店と同時に「Karyo−an」の暖簾をくぐる。

Lの字のカウンターに座り、先ずはビールを一杯。

乾いた喉に、この時の為に今日が在った、と大げさに考えてしまう程、冷えたビールは美味しかった。

(実はビールが苦手な私でも、今日のビールは美味しかった!)

京都でお豆腐が食べたいと言っていた涼子の為に、頼んで下さった「うに豆腐」は、

喉越しも滑らかで、次第に口の中でウニの香りが一杯になって・・・上品で美味な一品だ。

でも、その美味しさよりも、一つのお豆腐を二人で頂く現実が嬉しくて、

うっとりしてしまう涼子であった。

店内は、木をふんだんに使った造りになっており、

片隅に飾られた草木や、氷柱など、隅々にまで心配りが感じられ、居心地の良いお店だ。

竹で編んだ籠に氷が張られ、竹筒に入ったお酒が運ばれてくる。

なんて涼しげなのでしょう!

竹筒から注ぐお酒は、キリリと冷え、微かに竹の香りがして、

これもまた美味しくいただく事が出来た。

後に仕事を控えていた私は、口をつけた程度で終わりにしなければならず、残念だったが。

話が弾み、ほんのりと酔ううちに、

「ご主人様」とお呼びする度に、不思議そうな視線を投げかける店員の目も気にならなくなり、

そして、あっという間に時間は経過した。

新幹線の最終時間に1時間を残し、私たちは、京都駅へ戻った。

久しぶりに訪れた京都の駅ビルは、おしゃれな現代建築に変身していた。

きっと「空間と遊ぶ」というキャッチコピーで建てられたのだろうな、と推測できるほど、

贅沢に空間を取り入れたビルだ。

エレベーターと階段を使い屋上まで上がると、京都市内の夜景が眼下に広がっていた。

週末だったら、恋人同士で一杯でしょうね、そう言いながら夜景を眺める私たちは、

恋人同士そのもので、私は、数十分後に迫ったお別れの時を考えないように、

そっとご主人様にもたれかかった・・・。



8/26

風邪をひいてしまった。

大人しく薬を飲んで、ブランケットにくるまり、幼児のように体を丸くして、目を閉じる。

哀しい夢を見て、でも夢の中の私は、涙さえ浮かべることなく、

ただ、シンシンと冷え切った心で、それを見詰めていた。

それは、夢の中の情景であるはずなのに、

現実の私もまた、寒さを感じて、震えたまま丸くなっている。

一通のメールが届いた。

とても大切な友人からだった。

・・・心が風邪をひいてしまったから、体も引きずられてしまったのですね。

はやく元気になってくださいね・・・

体が風邪をひいたなら、お医者様に薬をいただいて、眠っていればいい。

周りの皆も心配してくれる・・・。

でも、心が風邪をひいてしまったなら・・・。

自分でも気づかないうちに、私は泣いていた。

幼児のように、ボトボトと大粒の涙を流していた。

それはほんのり温かく、羊水のようで、泣きながら心が温かくなってゆくのを感じていた。

・・・自分で直すしかないんですよね・・・

ベッドに戻ってからも、涙は止まらず、いつしか泣きつかれて眠ってしまったようだ。

次に目を覚ました時・・・今度は夢も見ずに熟睡できたようだ・・・

体は、少し軽くなっていた。

いつも、そっと私を支えてくれる彼女に、心から、ありがとう。



8/28

NYのストリートにあるような、それ程大きくはない店のショウウインドウの中だった。

ほっそりとした体つきの中で、そこだけが存在を主張しているような、豊かな胸とヒップ。

赤いマニキュア、ふわりと肩にかかるブロンドの髪、そして深紅の口紅。

とても贅沢なレース使いをした、黒い下着をつけ、

ガーター用の黒いストッキングが、ひざの辺りでたるんでいる。

前髪が目にかかるほどの長さで、視線の先は不明だが、顔は一様に正面を向いている。

・・・12体のマネキンたち。

夜が訪れ、道行く人たちは、足早に歩いていく。

私は、マネキンの群れの一番後ろに、いた。

縛られた両手は高い位置で固定され、黒い皮の首輪が、喉を圧迫していた。

首輪につけられた鎖の先は、一体のマネキンの手の中だ。

彼女たちと同じ、黒い下着姿だった。

舗道を歩く人たちに、気づかれないように、

視線を落とし、息を潜め、祈るような気持ちで、マネキンの一体であるフリをしていた。

誰も足を止めないことに、少し安心し、視線を上げた時だった。

誰もいないはずの、ショウウインドウの前に、一人の男性が立っていた。

慌てて目を伏せ、じっとしていたが、男性の視線が突き刺さる。

しばらくの間、そうしていたが、射るような視線に耐えかね、恐る恐る顔を上げた。

ご主人様が、立っていらした。

お互いの視線がぶつかると、ご主人様は、ふっと笑顔になり、

次の瞬間、すぐ目の前にご主人様のお顔が迫っていた。

あっと思った時には、ご主人様の唇が、私の唇を塞いでいた。

いつ果てるともないキスの中で、これは夢なのだろうな、と感じていた。



8/30

夕暮れが早くなり、薄暗くなった窓の外から、虫の音が聞こえてくる。

日中の暑さも、日付が変わる頃には、肌寒ささえ感じる。

夏が終わってしまった。

いつだって気づかないうちに、季節は終わりを告げる。

秋。

半年が経とうとしていた。

なんという変化だろう。

夏と秋が全く違うように、静かな速度で変化は訪れ、気がつくと、以前とは違う私がいた。

とても素敵な、小説を読んでいるような、時間。

その行間に、幸せと哀しみと、嬉しさと淋しさとを、映し変えてきた。

見捨てられた野良猫は、首輪にshadow様の文字を刻み、

安らぐことのできる陽だまりを確保したが故に、解放を手にした。

夏のそれよりも、ほんの少し高く澄んでいる空に、雲が薄くかかっている。

殆んど上の空で見とれていると、つかの間、自分の存在を忘れてしまいそうになる。

寂寥感に襲われ、落ち着かない気持ちで、自分を抱きしめた。

大丈夫、私にはちゃんと首輪が嵌められている。



8/31

ご主人様に仕える・・・とは云うものの、お会いできない時間の方が、断然多い。

滅多にお会いできず、数ヶ月に一度、ほんの僅かな時間を共有させていただくだけだ。

涼子とご主人様をつなぎとめるものは、すでに150通程となったメールと、電話だ。

どれほどの言葉が〈想いが〉行き交ったことだろう。

多分、毎日会っている恋人同士以上に、多くの会話を重ねてきたと思う。

それでも時々、無性に淋しくなる。

そんな時、あれほど確かだと感じていた”絆”を、波が打ち寄せれば崩れてしまう、

砂の城のようだと感じる。

もしもご主人様が、突然倒れてしまっても、涼子はそれを知らずに、何日かを過ごすだろう。

何度もメールチェックをしながら。

もしも涼子が、突然死んでしまったら、ご主人様はそれを知らずに、

涼子がご主人様の元を去ったのだと判断されるだろう。

不安を抱え込むと、視野は狭くなるものだ。

Wish you were here.

なんて、真剣に願ってしまう。

現実的な日常よりも、ずっと確かな場所だと感じているこの非日常を、

ずっと紡いでいけますように。

あるがままのご主人様のお傍で、あるがままに涼子で居つづけることが出来ますように。

そしてこの想いが、ご主人様に届きますように。



9/5

言葉は、時として、思いもよらぬ凶器となる。

何気なく言った言葉が、相手を傷つけ、

何気なく目にした言葉に、思ったよりも傷ついていたりする。

傷つける無神経さも、傷つけられる弱さも、持ちたくないと思っているが、

現実は、中途半端な場所で、立ち尽くす自分がいる。

強くもなれず、かといって、傷ついていない、と思い込むことも出来ず、人と接することが、恐くなる。

傷つけるのではないか、傷つけられるのではないか、そんな想いが脳を巡り、言葉を失ってしまう。

深く関わらずに、ドライに人と接しよう、落ち込みの中でそんなことを決意したりするが、

また、踏み込んでしまう。

結局、人が好きなのだと思う。

人は、人との関係において、自分の存在を確認するものだから、

できることなら、そのままの自分を、そのままの相手を受け入れたいと思う。

素の自分をさらす事は、恐いけれど、

素の相手を受け入れる事は、時として、苦しみをもたらすけれど。

それでも、その先に何かがあるのなら、

できるだけ温かい言葉を、優しい言葉を、投げかけて行きたいと思う。



9/7

ちょっとしたトラブルがあり、少しだけ落ち込んだ日々を過ごしていた。

私は、言葉に拘わり過ぎる。

拘りすぎるあまり、回りくどい表現が多いらしい。

ずっと昔、お付き合いしていた彼に、その時の心境やら、何やらを、伝いたくて、手紙を書いた。

慎重に言葉を選び、その時の感情をそのまま伝えるために、苦心した。

しかし、ある意味ラブレターだったその手紙を、彼に届けた次の日から、彼からの連絡が途絶えた。

1週間がたち、不安になって彼の元を訪れた私の前に、不機嫌な顔つきの彼がいた。

なんと、ラブレターだった筈の手紙を、彼は別れの手紙と受け取っていたのだった。

今となっては笑えるエピソードだが、その時は泣きたい気持ちだった。

言葉は、ストレートな方がいい。

行間に込めた思いを、感じてもらうのは、難しい。

言葉に拘り過ぎるあまりに、大切なことを伝えることができない。

そして、拘っている言葉に、自分自身が捕らわれてしまった。

自らが苦しみを惹き付けていたのだと、気づかせて下さったのは、やはりご主人様だった。

信念を持っているかどうかの違いだ・・・。

以前にも仰って下さったはずの言葉なのだが、心を素通りしていた。

問題は、涼子の信念だ。

それを気づかせてくださるためのトラブルだったと、受け止められた涼子は、もう大丈夫。

いつでも、守っていてくださると感じられるのは、今日のような日だ。

ご主人様、ありがとうございます。



9/8

前日、久しぶりにブランデーを飲んだ所為だった。

両手の中のグラスから漂う、懐かしい香りが、昔の記憶を思い起こさせ、

あまりの懐かしさに、目が眩みそうになる。

今、私の前に、カフェ・ロワイヤルがひとつ。

そこだけが、幸せだった、私の記憶。

小学校高学年になった頃、週末に限って、遅くまで起きていることが許されるようになった。

土曜日の夜、パジャマに着替えた私は、お気に入りの本を抱え、大人たちの仲間に加わる。

居間では、母と祖母が読書にふけり、反対側のソファーでは父が目を閉じて、

その時々の、それはピアノ曲であったりジャズであったりしたのだが、音楽に耳を傾けていた。

書斎で仕事をしていた祖父が、老眼鏡を外しながら、居間に姿を現す。

それが合図だった。

それぞれの手元に、どっしりとしたチューリップ型の、

足の短いブランデーグラスが配られ、コニャックが注がれる。

手で包むように暖め、軽く揺すぶりながら、目を閉じて、それぞれがその香りと味を楽しんでいた。

暖め、軽くゆするごとに、部屋の空気に、ほんのりとその香りが流れ出し、

私はその香りを感じながら、読みかけの小説の先を急いだ。

中学校に入学して、初めて迎える週末だった。

私の前には、いつものホットミルクの変わりに、デミタスカップに注がれたコーヒーが置かれた。

少量のコニャックをコーヒーに落とす。

カップに、ちょうど引っ掛かるような爪のついたスプーンが、橋をかける様に差し渡される。

スプーンの上には数滴のコニャックで湿らせた角砂糖がひとつ。

そして、マッチで角砂糖に火をつけた。

紫色の炎が、砂糖を溶かし出す。

私は、温められたコニャックの香りに彩られた、コーヒーの香りを、深く吸い込んだ。

「火が弱まったら、スプーンをコーヒーの中に沈めて、かき回してごらん」

透明の液体が渦を描きながら、琥珀色のコーヒーと交じり合っていく。

芳香を放つその飲み物は、甘く、苦く、幸福で、切なくて、複雑な大人の飲み物だった。

それが「カフェ・ロワイヤル」という名前だと知るまでに、随分と時が流れた。

目の前で、紫の炎が弱まり、薫リ高いコーヒーに、ブランデーの香りが溶けていく。

そして次第に、ブランデーの妖艶な香気にとって変わる。

記憶の中の味がした。

甘く、苦く・・・。

やはり、幸福で、切なくて。

それは、ご主人様を思い出す・・・錯乱の中の快楽だった。


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