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6.12

「昨日泣いたカラスが、もう笑った」

24時間ヒナの傍にいた人がいるなら、そういって呆れるに違いない。

でも、幸いなことに、今日は殆ど誰にもあわずに過ごしていたから、

呆れている人は、2人しかいない。

ご主人様と、ヒナ、だ。

昨夜の不安は、もう大丈夫だ。

そんな風に立ち直れるなんて、たいしたことのない「不安」だったんじゃないの?

そう思えるのは、凄く嬉しい。

「大丈夫」になるまでのヒナは、滑稽なくらい無気力だった。

そんな自分が嫌で、そんな風になってしまった自分が嫌で、ただただ眠った。

何の解決にもなっていないのに。

「そんなことで悩むな。もっとほかに悩むことがいくらでもあるだろう。

 調教のことは、俺にまかせておけ」

はい、ご主人様。

「笑い話」にして下さって、本当にありがとうございます。

ヒナは、もっともっと、判断力を身に付けなくてはいけない。

こんなことでご主人様を煩わせないようになりたい。

今日の「幸せなヒナ」が、もっと強くなれます様に・・・。



6.13

全ての女性にM性が潜んでいる、というのは、本当なのだろうか。

そして、それに気付く(気付かされる)ことは、本当に幸せなことだろうか。

先日悩んでしまった「ビジネス」の件で、

「こういうのは、犯罪ですよね!?」とお聞きしたら、

「・・・犯罪なのかどうかはわからないけどな」

とお答えされてしまった。

そして、ヒナはまた悩む。

「犯罪ですよね!?」というヒナの言葉は、やっぱりSMが、不条理なものだ、

という固定観念に裏打ちされてしまっているから、なのだと思う。

ご主人様に、また馬鹿なことを言ってしまったのだ、と、少し赤面しながら反省する。

でも、Mであることこそが、女性の幸せなのだろうか・・・?

ヒナの周りには、男も女も、本当に色々な人間がいて、

(色々いる、ということは、偏っている、ということでもあるだろうが)

一人で悠々と生きている女性もいれば、何人もの愛人を持つ女性、男性もいる。

何を幸せに感じるか、は、人それぞれだと思うから、一般的に、という言い方は出来ないのだけれど、

ヒナは、「ご主人様の奴隷」であることに、言いようのない幸せを感じている。

不安もまだまだあるけれど、「Mである自分」を受け入れつつあることで、

すこしづつ、自分の感性が癒されているように思っている。

それが、全ての女性にあてはまるのだろうか?という考えには、もしかすると、

「私(たち)は特別な女なのよ」といった、自己中心的なプライドが隠されているのかもしれない。

そうではない、と思いたいけれど、

可能性としては、なくはない、かもしれない・・・。

SMのことは、わからないことだらけ、だ。



6.14

ご主人様とヒナが「出会って」から、もうすぐ2ヵ月にもなろうとしている。

ご主人様に出会うことの出来た喜びを、毎日感じているヒナだけど、

唐突に不安になることも、ある。

「わたしって、こういう人間だったかしら・・・?」

ヒナ、と「私」の自意識が一体になる、ということは、やはりなかなか簡単なことではないらしい。

ヒナは、傲慢な人間なのだ。

そして、嘘のように慈悲深くなったり、複雑だったり、単純だったり。

そういう自分を「自分」として生きる方法を積み重ねてきたヒナにとって、

この、わずか2ヵ月の間に起こった変化は、恐ろしいものでもある。

ヒナは、弱くなってしまったような気がする。

強くなったような気もする。

かつての私が身に付けていた「強さ」が、少しづつ消えていく。
それを、嬉しいことだ、と思いながら、自らを守る「武器」が消えていってしまう様な気もして、

本当にこのままでいいのだろうか、などと悩んでしまう。

いくつもの「自分」を持つことでバランスをとっていた私は、

それらが統合されつつあることに、変に足掻きはじめてしまったらしい。

でも、ヒナは、負けたくない。

ヒナを、信じたい。

ご主人様を信じるように、ヒナをも信じたい。



6.15

「好きな男性のタイプは?」という質問は、意外に多くされるものである。

昔は、「好きになったら、その人がタイプ、ということだから、そこに条件はないかな」

なんて答えたりしていたけれど、いつ頃からか、答えが一定してきた。

好きな男性、というより、理想の男性像、になってしまうけれど、それは、

「自分にふさわしい、適度な自信を持っている」ということである。

自信がなさ過ぎると、卑屈な様子が嫌になってしまうし、過度にありすぎると、鼻についてしまう。

卑屈な男の前では、ヒナは役割としての「傲慢」を演じてしまい、

傲慢な男の前では、役割としての「従順」を演じてしまう。

卑屈な男に限って、どこかに異常に肥大した自意識を抱えていたり、

傲慢な男に限って、肝心なときにまったく頼りにならなかったりするので、

ヒナにとってこの2つのタイプには、あまり違いがない。

そういった男達と付き合うのは、

ヒナに「自己嫌悪」を催させるだけなので、長続きすることがない。

それぞれの特徴を、「ヒナの演技」が助長させているので、結局自分が一番嫌いになってしまうのだ。

ご主人様は、ヒナにとって、理想の方にあてはまってしまう。

「それは・・・難しいな。俺は、それが出来ている自信ないけどな」

・・・そうおっしゃることが出来る方だから、ヒナはどうしようもなく魅かれてしまっているのだ。

理想の方に出会ってしまったヒナには、しなくてはならないことが沢山出来てしまった。

「演じる」ことを自然に身に付けていた為に、「私自身」を見つめなおすことが必要になってしまった。

それは時に、大きな苦痛をともなうのだけれど、

ヒナは少しづつ、少しづつ、「ヒナ自身」に近付いているのだ、と思う。



6.17

ヒナはちょっと、喋りすぎだ、と思う。

メールにしろ、お電話にしろ、ご主人様にお伝えしたいことが、後から後からでてきてしまって、

そんな自分に、いつも呆れてしまう。

たまに、書いた後、言った後に、

「どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。

言わないでいることも、いくらだって出来るはずなのに」

なんて反省する。

だけど、言ってしまったことは言ってしまったことだから、反省もなにも、ないのだけど。

ご主人様の前では、ヒナは妙に露悪的になってしまう。

ヒナは、こんなこともしたのだ。

こんなことさえしてきたのだ。

ヒナは・・・。

いつの間にか、子供のように泣いてしまったりもするのだけれど、

ご主人様は、そんなヒナを、決して子供のようにあやしたりは、なさらない。

一人の女、として、そっと包みこんで下さるのだ。

待っていて下さい、ご主人様。

ヒナも、いつか、人を包みこめるような、大きな心を持った人間になりますから。

いま、こんなにも大切に育てて頂いているヒナだから、いつか、必ず・・・。



6.18

一晩中、ヒナは、嬉しくて、苦しくて、淫らで、幸福だった。

夢なのか、半覚醒状態だったのか、よくわからない。

でも、「おやすみ、ヒナ」と言って頂いて、

その声に導かれるように眠りの世界に落ちていったヒナは、一晩中、ご主人様を感じていた。

実際には、3時間強の時間だった。

今、プレッシャーに向き合わなくてはならない生活をしている為、熟睡できない夜が続いている。

そういう意味では、昨夜は熟睡できた、とは言い難い。

でも。

幸福だったのだ、ヒナは。

一日の最後に、ご主人様のお声を聞かせていただいて、そのまま、ゆっくりと意識を手放す。

生まれたままの姿で、ベッドのなかで、ヒナは、ひとりで恥態を演じていた。

始めも、終りもないような世界で、ヒナは、「肉体だけ」になったように思われた。

お電話では、どうしても恐さを克服出来ずに、許して頂いてしまったのに。

夢のなかのヒナは、ひどく淫らだった。

ご主人様が、どこかでそんなヒナを見つめていらっしゃる。

目が覚めてから、そう思った。



6.19

ヒナは、ご主人様の「要望」に、お応えできる奴隷になりたい、と思っているので、

ヒナが望むこと、というのは、「ご主人様がそれを望まれていらっしゃるのか、どうか」

が、最大のポイントになる。

ご主人様は、「ヒナが本当に望んでいること」を「与える」ことを目標になさっていらっしゃるので、

ご主人様とヒナの会話は、たまに延々と続く、「謎かけ」のようになる。

面白くて、陰微で、スリリングな謎かけ、だ。

「・・・知らんぞ。そういうことを言っていると、いつか本当にそういう目にあわされるぞ。」

「ご主人様が、そうお望みになられるのでしたら・・・」

ヒナは、「口だけ」でなんとかする、ということが大嫌いなので、言質をとられると、非常に弱い。

「あのとき、こういっていたなあ」

そう言われたら、いっさいの反論は、出来なくなる。

だから、いま、こういう会話をするのは、

自分の首をしめているだけのような気がしてしまうのだけれど。

でも、本心だから、仕方がない。

お電話での調教では、本当にご主人様を手こずらせてしまう、

かなりの「劣等奴隷」のような気がするけれど、

何しろ、ヒナには、遠大な野望があるので、

いつかは、そこに辿りつく予定、なのである。



6.21

物理的にも精神的にも非常に忙しい日々が続いていて、一日中ご主人様のことを考えている、

ということが不可能な毎日であるにも関わらず、

一瞬一瞬に思い浮かべる、その「想い」の強さに、ヒナは嬉しくなったり、安心してしまったり。

まったくネガティヴな感情が生まれないことが、却って怪しく思えて、苦笑してしまう。

今までなら、こんな風に忙しさに追われ始めると、一気にセルフ・コントロールに不調をきたして、

わけもわからず自暴自棄な行動をとったりしていたのだけれど、いまは大丈夫、だ。

落ち着いて、耳をすまして。

「自分」を見失わずにいることが、出来る。

ヒナは、ご主人様を愛している。

ので、ご主人様の愛されるものすべてを愛したい、と思ってしまう。

ご主人様が愛して下さる「ヒナ」をも。

「ヒナ」を大切にしたい。

「ヒナ」を愛したい。

わたしの尊敬し、愛する方が、愛して下さる存在なのだから。



6.28

色々なことがあって、少し落ち着いたか、と思うと、

それを待っていたかのように新たな「何か」が起こっている。

どうして?と思うよりも、せめて、この落ち着いた時期になってからでよかった、と感じるあたり、

いうほど落ち込んでいるわけでもないのかもしれない。

人と付き合うのが恐い、なんて思う自分が嫌いだ。

「誰かに傷付けられる」ことも恐いし、

「知らない間に誰かを傷付けている」ことは、二重の苦痛を与える。

それなら、傷つけあったりしない程度の距離を保ちつつ、幸せな時間だけを共有すれば、いい。

だけど、踏み出してしまう。

そのせいで、また人を傷付けている。

結局、「私はこうしたい」「私はこう生きていたい」という『自分への欲求』を押さえることが出来ていない、

ということなのだろうと思う。

自分の思うようにふるまう、ということをすると、自分に自信があるから出来るのだ、

と思われがちだけれど、実際はいつだって迷っている。

「幸せ」だけを求めて得られる「幸せ」は、夢のように消える日がくる。

夢を見るために、それを追及する自由も、ある。

現実とともに存りたいから、「幸せ」に伴う「苦痛」をも引き受ける、

ヒナはそういう風に生きていきたい。

苦痛が大きく、悲しみが深ければ深いほど、そこには大切な大切な、「美しい真実」があるのだ、

と、ヒナはそう信じていよう。



6.26

極度のプレッシャーとむきあわなくてはならないとき、

ヒナはどうしようもなく、sexに溺れたくなる傾向がある。

自分が自分でなくなるような、まっしろな快楽の中にひたって、一度自分をリセットする、

そんな感覚だ。

誰でもいい、といってしまえば、ヒナはただの淫乱だ。

だけど、かなりそれに近い感覚でいたのは、事実である。

最低限のヒナの求める条件を満たしてさえいれば、誰でもよかった。

それが、本当に自分によい作用をもたらしていたのかどうか、今は、なかなか判断がつかない。

でも、まるで一種の儀式のように、それを求めていたのだ。

ご主人様の奴隷として生きるようになってからは、それに関して一度、とんでもなく苦しい思いをしてしまい、

(本当に馬鹿なことをしたものだ、と思う)かつての習慣は、そういうカタチで封印された。

ヒナの欲求は、だからといってすぐに封印できるものではない。

やはり、とんでもなく淫らなヒナが、目を覚ます瞬間が、ある。

ご主人様に、滅茶苦茶に扱って頂きたくて、瞳が潤む。

想像が情欲を鎮めてくれることはなく、文字どおり、悶える。

同時に、こんな状態で、まともに自分の足で立って生きていけるのかどうか、不安にもなる。

「たまには、そうやって、誰かを頼っているくらいで、ちょうどいいよ。」

そんな一言に、全身が優しさに包まれたような幸福を感じる。

舞い上がりながら、少しだけ背伸びをして、言ってみた。

「実際にお会いできたら、こういうときには、滅茶苦茶に扱って下さいね」

「・・・でもな。そうしたら、スッキリしすぎて、影響がでるんじゃないか?」

・・・確かに、そうかもしれない。

一本とられた、と思った。

いまのヒナは、本当に、ご主人様に甘えさせて頂いてばかり、だけれど、

ご主人様のご迷惑にならない程度の、「上手な甘え方」も、奴隷として研究していくべきだなあ、

なんて、ちょっと幸せに考えてみたりした。



6.29

ご主人様に心配をかけてしまうのは、嬉しくもあるけれど、申し訳なくって、心苦しい。

だから、いつだって笑顔でいたいし、ご主人様の負担になりたくない、と思う。

だけど、ヒナが、我慢して我慢して、急に壊れてしまったりしたら、

それこそご主人様は深くお怒りになって下さるような気がするので、

(結構な自信だけれど・・・)

ヒナに求められているのは、つまりは「自己管理」の能力なのだ、と思う。

ヒナのS.O.Sサインは、あまり通じにくいものとして有名だったのだけど、

ご主人様は、なんて敏感に察知して下さるのだろう。

そして、なんてさり気なく、支えて下さるのだろう。

ヒナは、ご主人様のような人間になりたい。

勿論、Sになりたい、とかそういうことではなくて・・・。

でも、きっと、ヒナなりの方法で「ご主人様のような人間」に近づくためには、

いま以上に、ピアノに打ち込むべきなのだろうな、と思う。

少し寝苦しい、最近の夜。

皆様は、優しい夜を過ごしていらっしゃいますように。



6.30

特定に信仰する宗教を持っていない、ということは、

ヨーロッパで生活する際に、ときおりコンプレックスにもなる。

「では、君は何を信じて生きているの?」

「人は、死んだら、それで終りだと思っているの?」

そういったことは、ヒナなりには、もの心ついたころからずっと気にしてきたテーマでもあるので、

答えようと思えばいくらでも答えられるのだけれど、そこに「宗教的なバックボーン」がない、

というだけで、彼等の目には、ずいぶんと奇異に映ってしまうようだ。

実際、ヒナも、「わたしは○○教を信じています」と言えれば、楽になることが沢山あるのだろうな、

と思うのだけれど、無宗教が一般的な日本に生まれ育ったので、なかなかそういうわけにもいかない。

自分には、どんな宗教があっているだろうか、と、ひととおり有名な宗教について、

軽く学んでみたこともあったけれど、キリスト教にしろイスラム教にしろ仏教にしろ、

どれも頷けてしまうので、結局一つにはしぼれなかった。

仏教用語の「刹那」には、深く共鳴した。

時間は、連続したものである、という西洋の常識的感覚に対して、

時間は、「刹那」の集合である、という東洋的な思想は、

理屈ではなく感覚で、自然に「わかった」のだ。

一瞬一瞬に世界は生まれ、死んでいく。

だから、ヒナにとって大切なのは、「いま」だ。

明日死ぬかもしれないし、1秒後のことは、誰にもわからない。

「刹那」ご主人様と、一対の存在になれることの幸福は、

その他の時間を生きるヒナの原動力にさえ、なる。

永遠や、不変のもの、を手にいれるのは、死をむかえるときで、充分だ、と思っている。



7.1

昨日、はじめて、SMチャット、というところに遊びにいってしまった。

目標は、ご主人様探し!なわけはなく、M女性とお話しすることである。

チャット、というもの自体、ほとんど初心者だったので、驚くことだらけ、だった。

shadow様をお慕いしていらっしゃる、他の奴隷の方々とお話しできれば、それは素敵なのだろう、

と思うけれど、やはりそこには、様々な問題も含んでいるのだろうし、なにより、生々しすぎるかもしれない。

(とはいえ、極秘プロジェクトを推進しているヒナだけれど。)

そんなわけで、チャット、を訪ねてみたのだった。

嘘をつくことは嫌いなので、「秘密です」という答えばかりになってしまい、

ちょっと場を乱したような気もしたけれど、なかなかに面白い体験だった。

(ちなみに、HNは、勿論「ヒナ」ではない。)

いつごろ自分の性癖に気付いたか、どうしてSMに興味があるのか、

そういうことを聞かせて頂きながら、色々なことを考えた。

Sだ、と名乗る男性の方々は、皆様、ものすごく物腰が丁寧で、

「S」である、ということは、「紳士」である、ということなのだろうな、なんて思ったりした。

正直、少しだけイライラしたりもしてしまったけれど、

ヒナの目標は「女性」と話すことだったので、男性陣は実のところどうでもよく、

結局なんと1時間くらいも、チャットを楽しんでしまった。

SMって、どういうことなんだろう、と考えずにはいられない。

ご主人様に導いて頂けばよいのだ、と分かってはいるのだけど、

「女性」の意見がききたくなってしまうヒナだ。

かつて、本能的に「けがらわしい」とさえ思っていた、

M性を持った女性たちから、教えてもらいたいことが、山ほど、ある。



7.2

ヒナには、やっぱり、「不自由な状態で犯されたい」願望があるようだ。

縛られたい。

苛められたい。

自分の意思など、全て無視されて、おもちゃのように犯されたい。

そういった想いというのは、多分、

「素直に感情を表わすことを戒めて生きてきた」から、なのかな、と思い始めた。

子供の頃は、痛かったり悲しかったりしたら、すぐに泣けたハズなのに、いつのころからか、

「泣くのは、恥ずかしいことだ。」

「大人は、泣いたりしないんだ」

なんて思いはじめて、どういったときに泣くことを自分に許せばいいのか、

わからなくなってしまっていたのだと思う。

だから、がんじがらめに縛られて、滅茶苦茶に扱われて、誰もが、そんな私を「被害者である」と見てくれるとき、

はじめて安心して、「涙を流す自分」を認められる、そんな風に感じていたのかもしれない。

ご主人様は、本来は、そういったことを「実際の調教」を通じて導いて下さる方なのだろうな、と、思う。

ヒナは、実際に肌を重ねたこともない、というのに、

あの、差し出し人のアドレスもないメールを作成した日から、

随分遠くまできたような気がする。

やっぱり、これも、ご主人様の「調教」だったのだ、と感じるけれど、

これまでが、「ヒナをリセットする」為の調教だったとしたら、

(まだ、それも完了したわけではないけれど。)

これからは、より深い「幸福」を得る為の調教になっていくのだろうな、と思う。

だって、少しづつ「心と身体」が一体になってきている、というのに、

相変わらず、縛られた女性の絵や写真を見ては、ヒナは陶然としているのだから。



7.5

ヒナは、不自然な女だ。

何を考え、どうしたいのか、いまいち理解してもらいにくい。

「別に理解してもらわなくても構わないわ」なんて、高慢ちきな態度をとりがちだった頃もあったから、

友達は、少ない・・・と思っていたけれど、まわりの友人にいわせると、「友達が多い」らしい。

「友達」との距離のとりかたが上手ではないので、ヒナは、どちらかというと「つきあい下手」なのだが、

いわれてみると、確かに、まわりに人が多いかもしれない。

どれが「本当の友達」とか、そういう風に考える気はなく、

ヒナがヒナとして生きていて、ヒナと接触をもとうと思ってくれた人たちに、

「来るもの拒まず、去るもの追わず」というスタンスで付き合ってきたようなもので、

考えてみると、このスタンスは、ご主人様と共通しているのかもしれない。

すると。

ご主人様も、ヒナのように、自分さえ飲み込まれそうな激しい愛情と、

どうしようもない虚ろさとの間で、バランスをとりながら生きていらっしゃるのだろうか。

・・・あまり、そういう風にも思えないなあ・・・。

やはり、それは、男と女の違い、かもしれないし、S、とM、の違い、なのかもしれない。

久しぶりに会った友人が、しきりに「あなたは変わった」と繰り返す。

変わった私は、嫌になったのかな?と少し不安になったけれど、

そういうわけでもないようで、ホッとする。

「どういう風に、変わった?」

その内容は、あたっている、とも、違う、とも感じたけれど、

友人がそう感じた、という事実は受け止めておくべき、だろう。

色々と語ってくれる友人と、素晴しく美味しいワインを飲みながら、

「友情」についても、考えたりしてみた。



7.5

ヒナの涙腺は、最近壊れ気味らしい。

ご主人様とお話しさせて頂いているとき、突然哀しさに襲われて、涙がにじんできてしまう。

受話器のこちら側で、ヒナがそんな風になっていることに、「気付かれた」と思うときもあれば、

「隠せたかな?」と思うときもある。

本当は、すべてのときに、気付いていらっしゃるのかもしれない。

ただ、それを流して下さっているのかもしれない。

そう思うのは、ヒナの欲求なのかもしれないけれど。

ご主人様は、別にヒナを泣かせる気など、なくていらっしゃる。

苛めるおつもりでも、ないらしい。

(・・・まあ、それは、時と場合によるけれど・・・)

唐突に泣きたくなってしまうのは、ご主人様が、「遠い」から、だ。

実際の距離は、まだ感じられる距離だから、いい。

でも、ついさっきまで横にいて下さった、と、確信したご主人様が、

つぎの瞬間、遠いところで、ひとりでいらっしゃる気がして、

ヒナは、たまらなく切なくなるのだ。

「死」について話すとき。

「時間」について話すとき。

当り前、だ。

人は、きっと、死ぬときは、ひとりぼっちだ。

ご主人様とヒナは、違う人間なのだから、完全にわかりあう、なんて、当然無理だし、

だからこそ、理解する努力をしたいのだ、と思う。

相手が、自分とは違う人間であること。

それを認識するのが、人間関係の基本だと思うし。

だけど、ヒナは、本当は、「ご主人様」になりたい、のかもしれない。

「ご主人様の1部分」として生きたいのかもしれない。

そういう弱い自分の心を見せつけられるようで、切なくて、苦しくなる。

苦しさから逃れたくて、そっとご主人様に甘えてみる。

甘やかして頂く。

それは、とてつもなく幸福な瞬間だけど、

ヒナが、自分で何とかしなくてはならない問題が、消えたわけではない。

「まあ、いうほど悩んでいるわけでも、ないのですけれど。」

合言葉のようになっている、ヒナの真実。

どんなに真剣なお話も、ここで一度笑いがおこる。

両方。

両方もっているんです。ヒナは。

お気楽なのも、本当。

悩んでいるのも、本当。

でも、ヒナは、というよりも、モーツァルトのオペラのタイトルのように。

「コジ・ファン・トゥッティ」〜女とは、みな、こうしたもの〜なのかもしれない。



7.14

ご主人様のお誕生日については、かなり恥ずかしいエピソードが、既にいくつか、ある。

まず、ヒナは、ご主人様のお誕生日がいつか、をすっかり失念していた。

ので、堂々と、

「いつかは存じませんけれど、1年の内には必ずあるのですよね」

なんて、遠回しな尋ね方をしてしまった。

しかも、知りたいのなら素直にそうお尋ねすればいいものを、

「別にいつかを知りたいというわけではないのです」

なんていうポーズをとった、非常に思わせぶりな物言いをしたような気がする。

「おまえ、ご主人様のプロフィールくらい、しっかり目を通しておけよ!」

という、当然といえばあまりにも当然なお返事を頂き、ヒナは、かなり焦ったのだった。

恥ずかしさに、倒れそうになってしまった。

ヒナは、ご主人様のサイトの隅々にまで目を通したつもりでいたけれど、

・・・実際、そうしたのだけれど・・・

記憶力に、かなり問題を抱えているようだ。

恥ずかしかったけれど、そのとき知ることができて、本当によかった。

気がついたら、とっくに過ぎていた・・・その可能性を考えると、

最悪のコースではなかったのだ、と自分を慰めてしまう。

ご主人様のお誕生日。

その日を特別な日だと思えることが、嬉しい。

お会いする、というわけにもいかないヒナは、この特別な日に、何をしようか、と色々考えて、

何故だか自分にプレゼントを買ってしまった。

(こういう特別な日だったら、一年に、もっと何度もあればいいのに!?)

ご主人様、お誕生日、おめでとうございます。

ご主人様が年を重ねられたこの日に、ヒナが存在していること、

ご主人様の歴史の一部になれたような、この感覚が、今日のヒナの心に、歌を歌わせている。




7.16

一晩中オーディオがつけはなしになっていたようで、

たまに曲名が、やけに悲しげな声ではさまれる以外は、ずっとクラシックが流れ続けていた。

ピアノ曲、弦合奏、オーケストラ、ヴィオラソナタ、パイプオルガン・・・。

ヒナは、といえば、椅子に座ったままウトウトとして夜を明かしてしまった。

疲れがたまっているときこそ、ベッドでゆっくりと睡眠をとらなけらばいけないのは百も承知なのだけれど、

「気が着いたら寝てしまっていた」ということが多く、困る。

ピアノの譜面台のあたりに上半身を預け、耳は常に何かの音に刺激され・・・、

こんな風に眠ると、当然のように奇妙な夢を見る。

ヒナは、たまに、本当に奇妙な夢を見る。

夢の内容を口に出すと、怖がる人もいて、特にヒナの場合、家族がそれを怖がっていたので、

無意識に、「夢を恐れる」感覚が身についてしまった。

いいじゃない、夢は、夢なんだから。

最近、ちょっとそういう風に強く思えるようになったのは、

やはり、ご主人様が、そんなことは恐くも何ともない、と思って下さっているから、だと思う。

変な睡眠をとってしまったけれど、とにかく朝は、きた。

今日も一日を始めよう。

この一日、一日の向こうに、

ご主人様とお会いする日が、(多分)ある。



7.17

最近、ふとしたことだけど、ものすごく大きな出来事があった。

急激に、ヒナをとりまく環境が変わったような、そんな勢いを感じる。

ヒナが、ヒナ、として生きること。

それを、より自然に馴染ませて頂いているみたいな気がする。

「それ」によって、なにが起こるのか。

なにが変わるのか。

心配症のヒナは、色々怯えたりしていたのだけれど、意外にも、最初の大きな出来事、は、

ヒナ自身の心の内で起こったようだ。

とはいえ、それは、まだ起こったばかり。

どんな影響を私に与えていくのか・・・

それが分かるのは、もう少し先のことになるだろう。



7.18

最近のヒナは、どうやら「初対面の人でも話しかけやすい」存在に見えるらしい。

電車の中、歩道で、公園で。

様々な国の、様々な年齢の人が、ふ、と話しかけてくる。

不機嫌な顔をしている私は、「本当に可愛くない!」と、今までに幾度も言われてきているので、

こんなにも色々な人に話しかけられる最近、というのは、

どうやら、自然の状態の表情が、柔和になってきた、ということなのかな、なんて考える。

勿論、東洋人に話しかけてみたい、という好奇心の強い人が多い、ということなのだろうけれど、

それにしても、本当に、尋常じゃなく多いのだ。

話しかけられる回数が。

ナンパ、でもなく、懐かしい人に、世間話でもするように。

「最近寒いですねえ」

「ねえ、この国は、あなたに優しいですか?」

「僕の犬は、とても勇気のある母親犬なんですよ」

「私の姉は、東洋について研究しているのよ」

お話の最後に、手にキスをして去っていく、老紳士。

東洋とのファーストコンタクトだ!と、満面の笑みを浮かべる、清掃の男の子。

大きな瞳を輝かせながら、慣れない英語で必死に喋りかけてくる観光客らしい少女。

これで、いいのかしら、私。

別に、不都合があるわけではないけれど。

私って、本来、どういう人間だったのかしら・・・?

嬉しい、というより、戸惑いが強くて、なんだか、少し居心地の悪さを感じてしまうヒナである。



7.20

「恋をした王子様にお会いしたい一心で、

人魚姫は、美しい声と引き替えに、2本の足を手にいれたんです。

「歩く」という行為に慣れていなかった彼女は、足を動かすごとに激痛を感じつつも、
 
王子様の傍らにいられることが嬉しくて、しょうがなかったのでしょうね」

ご主人様に実際お会いするためには、そのくらいの覚悟と緊張を持たなくてはいけない気がする・・・

そういったことから、何故か話は、人魚姫のことに移った。

「その話は、どうなる?」

家族の反対を押し切って、今まで育った暖かい環境を旅立ち、

ただただ王子を思い続けた、人魚姫の悲しい最後。

「・・・しかし、ひどい王子だな」

ご主人様がそうおっしゃって下さったのが、

なんだか、とても嬉しくて、心がフワーッとした気分になったけれど、

ヒナはその後しばらくの間、ふとしたときに幾度も思い出してしまった。

自分で出したとはいえ、人魚姫のお話は、悲しい暗示に満ちている。

愛する人を救うことができて、人魚姫は幸せだっただろうか?

その後、王子は幸せに生きたのだろうか?

命さえ捧げられる程愛されたのだから、王子は、幸せに生きる義務があったようにも思う。

ヒナは?

ヒナの幸せは、どんな未来をつれてこようとしているのだろう。

でも、これだけは、決めていること。

「そしてヒナは、幸せに暮しました」

人魚姫の分まで、たくましく、幸せを追及するからね。

いつか、人魚姫に会う機会があったとしたら、そう告げよう。



7.23

実は、朝からずっと体調がよくない。

「ベスト・コンディション」ではない状態と馴染みが深い、というのも、どうか、と思うけれど、

ここ最近の疲れがでてしまったみたいだ。

思い通りに動いてくれない身体をいつもより随分重たく感じなから、

こんなことではいけないなあ、と反省する。

気候がおかしいと、ヒナの身体は、すぐにダメージを受ける。

死ぬのが恐くない、といえば、大嘘になる。

死ぬのは、当然恐い、と思う。

だけど、生まれた限り、たった一つ確定している未来だし、「完全なものが存在しない、

といわれるこの世の中」で、その真実は、神様がくれた贈り物のような気さえ、する。

そう思っていたからこそ、「いつかは、死ぬ」ことを、身近に考えていたつもりだったけど。

ご主人様と知り合ってからのヒナは、「生きている」ことに、執念深くなったようだ。

ずっとずっと、お傍にいたい。

すこしでも、長くの時間を共有させて頂きたい。

「先に死ぬことは、許さない」なんておっしゃって下さったご主人様のためにも、

ヒナは、自分の身体に、細心の注意を払わなくてはいけない。

そんなわけで、体調のすぐれない日は、とても不機嫌になってしまうヒナなのである。



7.24

ご主人様の奴隷、ということは、どういうことなのか。

ヒナには、依然、気になるテーマだ。

「本当は、その表現も、どうかと思う」

というご主人様のお言葉は、随分前に頂いたものだけれど、勿論、まだまだその意味はわからない。

「俺は、M女性を尊敬しているからな。」

ヒナは、ときどき「ご主人様と奴隷」の関係を、「教授と、門下生」に例えることが、ある。

それは、驚くくらい相似しているように思えたので、面白い発見(?)が、色々とあったりしたのだ。

でも、やっぱり、そういうわけでもなく、より複雑な関係であるように思う。

門下生同士の間には、独特の絆がある。

本当は、お互いの才能や、アピール力に、嫉妬したり、憎んだり、脱帽したり、

色々な感情を水面下に隠しているのだけれど、同門であるからこその、そのネガティヴな感情をも含んだ、

「同士」感、というのは、なかなか強いものだ。

奴隷同士だと?それは、どうなるのだろう。

奴隷が皆、ご主人様に恋をしてしまったなら。

門下生も、その教授の「音」に、恋をしていることが多い。

だけど、その恋は、利己的であるが故に、見返りを求めない恋、だ。

教授のその「音」の近くにいたい。

盗みたい。

導かれたい。

そのためには、教授が教授として、いて下さる、それだけで、いい。

あとは、私達の問題なのだから。

・・・ご主人様と奴隷だと?

ヒナには、よくわからなくなってしまった。

ヒナが、何を望んでいるのか。

ヒナは、どうしたいのか。

あまり考えると、消化不良を起こしてしまいそうだから、今日はもう、眠ることにしよう。

考える、というのは、余計な時間がある、ということかもしれないし・・・。



7.29

自己管理能力がちょっと低下気味なのは、天候のせいにしてしまおう。

夏なのに、肌寒い日が続いているせいだ。

(といって、あまり暑くても、外にでるのが嫌になるのに)

急にゆっくりとした時間がとれると、ゆっくり休んでいればいいのに、何故か不安になる。

することは、沢山あるのに、心が、風邪をひいているみたいだ。

心の風邪は、医者には治せない。

治せる人は、2人だけ、だろうと思う。

風邪をひいている、なんて言ったら、怒られてしまう気がするので、自分でなんとかしなくては。

四角い部屋の中で、ウダウダと足掻いていると、遥かな距離をひとっとびに、「オクスリ」が届く。

風邪気味の、ぼんやりした心は、私には分からない色々な効果にくるまれていく。

心地よくて、そのまま眠ってしまいたくなるけれど、

(お会い出来るその日まで、ずっと、ずっと・・・)

だけど、ヒナは、ヒナなのだ、という当り前の事実が、何とか把握できては、いる。

まあ、いいかな。なんて自分を甘やかしてみよう。

きっと、今は、そういう時期、だったのだ。

充分に休息をとったら、また、歩きはじめることが、できる。



7.30

ゆっくりお風呂に入るのは、とても贅沢な時間だ、と思う。

バスタブに、ジェルを数滴、そして、いきおいよく蛇口をひねる。

泡の海が完成するまでの間に、数曲ピアノを弾く。

練習ではなく、贅沢な時間のための前奏曲だから、お気に入りの曲を選ぶ。

今日は、ラフマニノフの、ヴォカリーズ。

繰り返しを適宜に入れて、メランコリックな和声に、束の間癒される。

バスタブに身体をひたしたヒナは、

初めてご主人様のサイトを見て、フォームでメールを作成したときのことを思い出した。

差出人のアドレスのない、一方的なメール。

それなのに、そのメールを作成したときから、もう、ヒナは、shadow様を、感じていた。

バスタブの中で、全身を泡に包んで、陶然としたのだった。

そういえば、自傷が減ったな、と、傷のない身体を見て、ふと思う。

(前にも書いたけれど、リストカットなどとは、異なる)

不思議なもので、ヒナの身体は、調教をお願いしてから、というもの、やたらと肌の調子がいい気がする。

自分の欲望の方向性に、また少し混乱するが、ご主人様にお任せすればよいのだ、と、目をつぶる。

幸せな時間を、充分に楽しんで、お風呂をでる。

日本は・・・何時、だろう?

朝から、ピアノの練習、お掃除、お洗濯、ちょっとしたお料理もして、贅沢にお風呂にも入った。

こんな日には、とびきりの贅沢を自分にあげても、いいかもしれない。

お電話が通じない可能性だって、あるのだし。

ちょっと、かけてみるだけ・・・。

贅沢を司る神様がいるとしたら、きっと今日は、ヒナの味方だったのだと、そう思わずにはいられない。

神様、ありがとうございます。

今日のヒナは、きっと神様も羨むくらいの、ゴージャスな女、だ。



7.31

一番最初、ヒナは、フォームでメールを送らせて頂いたのだった。

ご主人様のサイトで、もの凄い衝撃をうけて、

なんとか自分の状態を、このサイトを創られた方にお伝えしたくなった。

だけど、私の生活に、ダイレクトに結びつくことは、恐すぎた。

差出人の無いメールというのは、不愉快なもの、である。

e-mailに限らず、いや、郵便物こそ、

差出人が明記されていないものは、よほどの場合を除けば、開封しない主義だ。

何かの意見を述べるとき、その言葉に対する責任を持てる人間でありたい。

(これは、日記、だから、自由気ままに書いてしまうけれど。)

偶然というべきか、必然というべきか、ご主人様のサイトにフォームが設置されていなかったなら、

ヒナが生まれることもなかったのではないか、と考える。

どうしても「何か」を伝えたかった。

でも、フォームでメールを作成したあと、自分が何を書いたのか、急に不安になった。

そして、差出人もないあのメールを読まれて、

このサイトを運営なさっている方は、どんなに困惑なさるだろうか、と、後悔の気持ちがおしよせてきた。

自分のアドレスを表記しなかったことが、とても卑怯なことにも思えた。

何より、私の中に目覚めた「ヒナ」が、「ご主人様」を切望しはじめていた。

その後、ご主人様からお返事を頂く決心がつき、

(メールが届いたなら、絶対お返事を書いて下さる方だ、という確信が、何故かあった)

フリーメールのアドレスを取得し・・・。

「いまとなっては、笑い話」とご主人様はおっしゃる。

つられて笑ってしまうけれど、その笑いの中にこめられた色々な偶然への感謝の気持ちは、

ふとするごとに全身に広がる幸福感と共に、ヒナに「ちから」を与えてくれている。



8/2

これといったきっかけもなしに、突然色々なことにつまづきはじめることがある。

悩み、苦しみ、本人はいたって深刻なつもりでいるのだけれど、

まわりからみれば、さっぱり理由がわからない。

ヒナは、よく、そういうことがあった。

意識して落ち込みはじめたわけではないので、ヒナも自分自身に手を焼いてしまう。

「もしかして、わたし、今、暇なのかしら?」

妙に冷静な私が、そういう分析を始めることが出来たら、回復の兆し、だ。

自由な時間が多すぎると、ヒナの思考回路はショートしてしまうらしい。

ある程度の忙しさがあって、丁度いいみたいだ。

「ヒナ」は、「ご主人様」に奴隷として仕えさせて頂くのだから、

本当は自由な時間なんて、ない筈だ。

いつもいつも、ご主人様に尽くすことが出来るように、

万全の態勢でいなくてはならないのではないの?

そう考えて、思わず笑みがもれた。

今回の「落ち込み」からは、もう完全に抜け出せたらしい。

身体が忙しくなるのと同じ時期だったのは、少しだけ残念だけれど。

(それともやっぱり、「忙しさ」も、きっかけになっているのかしら)



8/3

素晴しいプロポーションを、惜しげもなく見せつける大胆なキャミソールとホットパンツで、

彼女は金色の髪をなびかせている。

ヒナよりも7才若い彼女は、好奇心に、瞳をくるくると動かしながら、ヒナを質問責めにする。

言葉を選んで答えようとしたころには、彼女の興味は別の対象に移っていたりする。

苦笑しつつ、憎めない女性だなあ、と、尊敬する。

ボーイフレンドが、何人もいるのだけれど、誰にも運命を感じないの、と、ため息をつく。

その割には、毎日誰かには、連絡をとらずにいられないらしい。

「寂しいの?」

「・・・そういうわけじゃ、ないんだけど」

答える端から、携帯に届いたメールに、嬉しさを隠せない様子。

「よかったわね」

「別に。なんとも思ってないけど・・・無視するのも、かわいそうじゃない?」

聞きかねた、もう一人の友人が、

「そんなこというけれど、彼だって、他に可愛い子を見つけたら、

あなたのことなんて、さっさと忘れちゃうわよ、きっと!」

と、厳しい言葉で注意する。

強い勢いで反論するかと思いきや、彼女はうつむいて、黙りこんでしまった。

その顔は、いつにもなく神妙で、ふざけているようにも見えるけれど、

どういう表情をしていいのか分からなくなってしまった時の、あの表情にも見える。

友人も、少し言いすぎた、と思ったようだけれど、

いまさらとりなすような言葉も白々しく、街の騒音だけがあたりに響く。

「本当に愛する人がいないときは、不安になるもの、よね。

 でも、そのエゴイズムも、いまのあなた特有のものだと思うし、私は好きよ」

そういうと、彼女は大声をあげて、ヒナにしがみついてきた。

まわりを行く人が、何事かと、遠慮のない視線をなげかけてくる。

「何!?」

恥ずかしさに、慌てて彼女をひきはがしたら、

見たこともないほど真面目な表情をして(これは、彼女の最上級の演技だ)

「私も愛してるわ!!」

絶句した私の両頬に、派手な音をたててキスをくれた。

友達が気の毒そうに(でも、爆笑しながら)眺めるなか、彼女の母国語で

「ありがとう!」とつぶやいたヒナの声は、ちゃんと迷惑そうな演技が、できていただろうか。



8/4

人間には、犬タイプと猫タイプがある、という。

ヒナは、自覚がなかったけれど、どうやら典型的な猫タイプらしい。

そういう風には、あまり考えてこなかったので、まわりの人間に、「当然猫でしょう」

(質問になりえないよ!なんて決まり文句をつける人までいる)

と断言されると、不思議だけれど、そんなものなのだろうか。

犬も、猫も好きだけれど、飼育した記憶は、ない。

飼いたいな、と思ったことは、何度かあるのだろう、と思う。

猫とふたり(?)の生活に憧れたりもしたけれど、実現することは、なかった。

こちらでの生活で、猫を飼うチャンスもあったけれど、そうしなかった。

(自分より先に死なれてしまうのが、辛いから、かもしれない。)

ちなみに、ヒナは、猫に好かれるタイプの人間であるらしい。

たしかに、犬の多いこの国で、ヒナのまわりでは、よく猫をみかける。

すれちがうときに、挨拶されているように感じることも、ある。

エサをあげたりするわけでもないのに、やたらと出会う猫もいる。

「あなたの猫だと思っていたよ!」

違いますよ。

挨拶する程度の間柄です。

「猫」のイメージといえば、勝手気まま、冷たい、恩義を忘れる・・・

あまり、良いものではないような気がするけれど、

「猫タイプの人間」と断言されたからには、少し弁護したくなる。

猫は、たしかに気まぐれかもしれないけれど、猫なりの価値観が、しっかりとあるのではないかしら。

そして、「この人こそ自分のご主人様だ」と思った相手には、猫なりの忠誠心が、きっとあるはず。

だからこそ、「ご主人様」以外の存在には、勝手気ままにふるまっているのだったりして。



8/6

ご主人様にお電話させて頂くとき、ヒナは、実は相変わらず、すごく緊張している。

受話器のむこうに、ご主人様がいらっしゃるのだから、当り前だ。

ご主人様の声が耳元で感じられ、日本までの圧倒的な距離が、一瞬にして消滅するような、

魔法のような出来事がおきる。

電話なのだから、見えるハズはないのだけれど、

ご主人様にお電話するとき、大概ヒナは、同じ場所に座っている。

まるで、ご主人様にお電話をかけるときの、定位置のようになっている。

そして、お化粧もして、お気に入りの洋服や下着を身につけているのだ。

大切なデートのときのように。

(まあ、その後すぐに出かけることができるから、ということも、なくはないけれど・・・)

そのようにして、ご主人様のお話を聞かせて頂いていると、

ヒナは、「幸せ」を感じて、本当に嬉しくなる。

電話は、魔法のようだけれど、いつまでも魔法にかかっているわけには、いかない。

受話器をおいたら、ここは日本ではないし、ヒナには、ヒナの生活が、ある。

でも、受話器をおいて消えてしまうのは、科学がつくりだした魔法だけ。

ヒナには、もっと大きな魔法(?)がかけられている。

受話器をおいた瞬間の、小さな切なさの何十倍、何百倍の幸せが、

ヒナを、ご主人様のもとへと、後押ししてくれている。



8/9

「ご主人様から何かを求めて頂き、それにお応えできる奴隷になること」を目標としてしまうと、

ご主人様に、何かを求めて頂ける存在になることが条件となり、

それが想像以上に難しいことであったことに、やっと気付く。

「私自身」ではなく、私に付随する何か、を求められることの多かった私は、

求められないで、なお束縛して頂いていることに、嬉しさと戸惑いを覚えずにはいられない。

でも、求められていない、と感じるのも、正確には、少し違う。

つきはなされている、とは感じないし、それどころか、見て下さっているのだ、という実感がある。

つまり、いま「求められている」のは、

ヒナが自分の足で、ご主人様のところまでたどり着くこと、なのかもしれない。

性急にカタチになる「何か」ではなくて、大切に大切に育てていかなくてはならないもの。

ご主人様にお会い出来る日は、まだ、遠い。

多分、何度もくじけそうになるのだ、と思う。

それが、本当に自分にとって良いことなのかどうか、さえ、まだ分からない私だ。

焦らずに、少しづつ自分とむきあおう。

不可能なことに思えた「私」と「ヒナ」の同化が、知らない間に自然なことになっていったように、

きっと、「自然」に、ご主人様の前に姿を表わせる日が、くるハズだから・・・。



8/20

ご主人様のサイトもお休みだったし、ヒナの身辺もちょっとゴタゴタしていて、

あまりPCに触れることも出来なかったのは、却って、落ち着いて「ヒナ」のことを考える、

よい機会になったようだった。

「ご主人様」を求めたのは、何故なのか。

「ご主人様」と、「恋人」を、同時に愛することは可能なのか。

あるいは、「ご主人様」と「恋人」が、同じ人間であることは、可能なのか・・・。

勿論、今日明日に答えのでる問いかけではないし、答えを焦るつもりも、ない。

だけど、今日、夜風にふかれて長い時間歩きながら、ボンヤリと考えたこと。

shadow様を、「ご主人様」、「恋人」、そのどちらかとして、しか捉えてはいけないのだ、

としたら、ヒナは間違いなく、「ご主人様」としてのshadow様を求めるだろう。

「ご主人様」という存在への、恋。

ご主人様になって下さる方なら、誰でもよかった、というのではなくて、shadow様だから。

shadow様だからこそ、ヒナは、ここまできたのだ。

とはいえ、お会いすることへの抵抗が消えたわけではない。

お会いしたら、確実に、何かが変わる気がする。

・・・その変化をうけとめる勇気が、持てるのか、どうか。

お会いしたくてたまらなかった、ある時期をすぎると、また新たな戸惑いが生まれてくる。

だけど、その「迷い」が、「お会いすることを前提とした」上での迷いであることにも、

もう、気がついている。

当り前のこと、だけれど、「ご主人様にお会いするまでのヒナ」は、

ご主人様にお会いしたら、2度と還ってはこない。

「その時期を楽しめばいい」と、ご主人様はおっしった。

夜の冷気の中で、思いきり「伸び」をしながら、ヒナは、

脱ぎ捨てる殻をいとおしむヒヨコをイメージした。



8/23

PCがあって、インターネットが出来る、ということは、

それまで触れる機会のなかった世界が、急速に身近になる、ということでもある。

ヒナが、ここでこうしてご主人様と出会い、日記を書いているのも、その、わかりやすい実例だろう。

SMをキィワードに検索したなら、そこにはあらゆるサイトが画面上にあらわれる。

あとは、クリックするだけ・・・。

何か月か前に、そういったサイトを色々と訪れ、

色々な知識(?)を仕入れよう、と夢中になっていたことがあった。

結果としては、却って混乱することも多く、ご主人様を信じようと決めたのだから、

全てはご主人様に教えて頂けばいい、

そう考え、自習はもうやめよう、と、そう思ったのだった。

しかし、今日、本当にふとした偶然から、かなりハードなHPを訪ねてしまった。

ヒナは、購入したことがないのだけれど、おそらく「SM雑誌」というのは、

こういう世界なのではないか、と考えた。

アンダーグラウンドな世界ではあるけれど、そのHPには、

冗談や余興で作られたものではなく、SMの世界にはいりこんだ方々が、

真剣にそれに向き合って作ったものなのだ、と思わされた。

直接的な表現も多いが、内面の描写における、

精神にダイレクトに訴えかけてくるような心理的圧迫感も相当なものだった。


結局ヒナは、そのHPを訪ねた本来の目的の半分も達することができず、

他にも延々と連なっていたコンテンツも、まったくクリックできなかったのだ。

ヒナが足を踏みいれようとしている世界。

自分に都合のよい面だけを感じるのではなく、その世界そのものを、知りたい。

(知ってはいけない気もする)

何故、こんなに、その世界に、魅力を感じているのだろう。

実際に近づきそうになると、今日の様に、具合が悪くなりそうなほどの拒絶反応を示すというのに。

ヒナは、また、あのHPを訪ねるのだろうか。

それとも、封印するのだろうか。

・・・ご主人様に相談してみるのが、さきかしら・・・。



8/24

「ヒナ」である自分を自然に受け入れるようになってきて、「ヒナ」もまた、「私」の影響を受けた。

「私」の影響なのか、ご主人様の影響なのかは、よくわからないけれど、

ヒナは、なんだか、精神年齢が逆行してしまっているのではないか、と、思うときがある。

極端な話をすると、ご主人様と色々なお話をさせて頂くようになってから、

ヒナは、「しない」ことがいくつか、できた。

そのうちのひとつは、SEXだ。

おかしな話だ、と思う。

ご主人様のサイトは、一応アダルトなサイトであるわけで、

ヒナはそれを充分承知した上でアクセスしたのだ。

承知というより、意図的に。

たとえば、ヒナのような女に対して、もっと直接的な課題を次から次へと与える「ご主人様」も、

当然世の中にはいらっしゃるだろうし、shadow様が、どのような調教をヒナに用いられるかは、

まったくわからなかったことだ。

(場合によっては、ヒナは、すぐに逃げ出していたかもしれないが)

なのに、今のヒナときたら、どんどんと、子供にもどっていくようだ。

子供に・・・。

処女に・・・。

あまりこの状況がすすみすぎると、「男性恐怖」にまで退行してしまったりして・・・と、

不安になることもある。

(実際・・・男性恐怖とは違うけれど、別のこと・・・たとえば、

 自分勝手な「潔癖さ」などに翻弄され、困惑するようになってきつつある。)

不安だけれど・・・。

ヒナが、「処女」に戻れたのだとしたら、

それをご主人様に捧げることが出来るのは、ものすごく素敵なことであるような気もする。

そう考えたなら、この「不安」を手なずけることも、ヒナに与えて下さった課題なのかもしれない。



8/27

私は、本当におかしな話だと思うけれど、「ヒナ」に助けられることが、ときどき、ある。

不安に揺れて、もう一歩も進みだせなくなりそうな時、

自分のことばかりを考えて、大切にしたいものが何なのか、わからなくなってしまいがちな時。

自分の書いたもの(日記でも、メールでも)を読み返すことは、殆どないのだけれど、

何かの拍子に、何か月か前のヒナ、に出くわし、その考え方に勇気づけられたりするのだ。

そう思うことができていた自分に、励まされるような気がして、

少しづつ、物事がその形、輪郭をあらわしはじめるように思う。

日記が公開されていることで、ひとつは、いいことも、あるのだなあ、なんて。

今日の日記は、ヒナ、から、ヒナ、への、お礼の日記。



8/30

不思議なもので、つい1、2日前まで、不安に揺れていた心が、今日はもう、幸せを歌っている。

ご主人様と色々なお話しをさせて頂くようになってから、こんなことは、しょっちゅう、だ。

ご主人様と出会えたことで、ヒナの中で、安定した部分が、ある。

一方で、ひどく脆くなったように思える部分もある。

でも、きっと、それは、ヒナの感受性が、

ご主人様に調教されているからではないだろうか、と、思いはじめた。

感性をむきだしにして生きると、辛いことがたくさん、ある。

だから、皆、自然に、自分を守ることを覚える。

何も感じないほうが、うまくいく、何も感じないほうが、楽だ、って。

だけど、ご主人様は、おっしゃる。

「感じている自分を、どうして認められない?」

ヒナは、色々なことを見過ごして、やり過ごして生きるより、見て、感じて生きていこう。

それは、辛いかもしれないし、壊れてしまいそうになるのかもしれないけれど、

でも、ヒナがご主人様についていく限り、きっとご主人様は、ヒナを守って下さるのだ。



8/31

母と久しぶりに話していて、母までが、「何があったの?」と尋ねてくる。

そんなに私は変わったのか、と、不思議になるけれど、

私自身、なんて落ち着いて彼女と向かい合っているのだろう、と、実感もしている。

「親にはいえないこと」が、ある年齢を超えると、どんどんと増えてくる。

いま、ヒナがこうしていること・・・

私が「ヒナ」であることも、知られてはいけないことなのだろうけれど、

何故か、うしろめたさが、ない。

理由は、簡単に推察できる。

交錯する色々な想いに、傷ついたり、叫んだり、

・・・だけど、私が「幸せであること」が、きっと、何よりの恩返しになるのだろう、と、信じている。

だから、慎重に、考えて、生きていこうと思う。

私にとっての、「幸せ」。

見失わないように、妥協しないように・・・。



9/8

人前で泣くのは、とても恐いことだ、と思ってしまっていた。

でも、泣ける場所がないと、私は、どんどん渇いていく。

どんどん、餓えていく。

泣かないように生きていられるなら、それでいいけれど、

そうじゃないなら、泣ける場所があるか、どうか、というのは死活問題、だ。

泣ける場所があるから、強くいられる。

大切なのは、泣かないことじゃなくて、自分を強くしてあげられること。

自分が何をほしがっているのか、自分の心に、耳を傾けてあげること。

忙しさに救われながら、毎日、考える。

「もっと気楽にいこう」

そういうわけにいかないのは、自分も、ご主人様も、百も承知のことなのだろうけれど。

でも、あんまり煮つまっていると、それはそれで、破壊的な衝動がうまれてきてしまうし。

ゆっくりお風呂にでもはいって、そして、身体と心をほぐすのが、一番。

そうして、暖かいうちに眠る・・・といいけれど、今日はこれから、おでかけ。

それも、いい。

ひさしぶりに逢う友人と、いろんな話を、しよう。

お気に入りの香水をつけて。



9/10

日本では、「ありがとう」っていう言葉を、どのくらいの頻度で使っていただろう。

外国で生活している女は、どうしても「強くなった」「頑固になった」なんて、

マイナス面を見つけられてしまうのだけれど、

いいこと、といえば、「挨拶」を大事にするようになったこと、かもしれない。

(調教の際にも、「ご挨拶」は、最も大事なこと、のようだけど・・・)

おはよう、こんにちはの挨拶もそうだけれど、

「ありがとう」も、外を歩けば、一日のうち何度も使う言葉だ。

英語で会話する時

「Thank you」に対する返事は、「You're welcome」が一般的だけど、

たまに、本当に自然に、「My pleasure」と返す人が、いる。

自然にその言葉がでるようになりたいのだけれど、まだ、なかなかうまくいかない。

日本語だと、どちらも、「どういたしまして」になるか。

でも、いずれにせよ、「どういたしまして」なんて、

日本語の日常会話で使っていた記憶が、あまり、ない。

ご主人様が

「有難う」といって下さるときには、ヒナはいつも、

「My pleasure」と答えたい、と思う。

「それが、私の歓びです」と。



9/12

急に、寒くなりはじめた。

お昼、太陽のでている間ならば、まだ暖かさや、ときには暑さを感じることができるけれど、

朝晩は、既に、厚手のジャケットが必要なほどの寒さだ。

私は、春夏秋冬では、秋、冬、春、夏、の順で好きだったように思う。

暑いより、寒いほうが、ずっとましだ、と思っていた。

夏は、苦手だった。

だけど、今年の夏は、あっという間に、すぎていった。

苦手だなんて、感じる暇もなく、毎日が、凝縮された感情とむきあう繰り返しだったように思う。

それは、苦しいけれど、とても、幸せな、こと。

最初のメールをだしたのが、4月の半ばころだった。

そのときからいままでは、太陽は、どんどんと強さを増し、緑は、生命力をあふれさせてきた。

これから、この国は、冬へむかう。

はやいうちから、日が暮れ、

寒さに街中がとじこめられてしまったような、あの季節が、やってくる。

ご主人様が共にいて下さる、この「冬」は、やはり、今までの冬とは、違って感じられるのだろう。

毎日毎日、はやくなっていく日没を感じながら、新たな季節の訪れを、そっと待っている。



9/16

イギリス人たちは、週末恐怖症とでもいうべきなのか、

金曜や土曜の夜のスケジュールが空白のままだったりすると、

なにかの脅迫観念にかられているかのように必死になって、予定をつめこもうとする。

それに感化されて、なのかどうかは、知らないけれど、

ヒナのまわりにいる人たちにも、最近、そんな傾向が強くなってきているように思う。

というより、街中が、そうなってきているのだろうか。

金曜の夜は、随分おそくまでにぎわっている。

ヒナは、あまり曜日に関係のない生活を送っているので、

いつが週末であるか、という感覚には鋭敏ではない。

(音楽をやっているような人間にとっては、「休み」という日はなく、

同時にすべての日が「休み」になりえるものだ)

ただ、夜遅くに家に帰ろうとしたとき、いつもよりもバスやトラムが混みあっていて、

全身に、遠慮のない視線を浴び、それが週末であったことに気付いたりするのである。

仲間がいることで、彼らは、より大胆になる。

私の住んでいる区域は、特に危険なところではないので、

つい安心して夜中でも一人で歩いてしまいがちだけれど、気をつけたほうがいいのは、間違いない。

黒い髪、黒い目、黄色い肌(ヒナは、肌色、という言葉をつかいたいけれど)

東洋人(異邦人)であることを、常に晒しているようなヒナは、

露出癖があるわけではない(と思う)けれど、常に、誰かの視線を感じている。

それを、快感に感じられるようになれば、大したものだけれど、

残念ながら、いまのところは、無言のプレッシャー以外の、なにものでもない。

「誰かが私を見ているかもしれない」ではなく、「見られている」のだ。

事実として。

そんなわけで、気付かず週末にでかけ、帰宅する際には、多少不愉快な思いをしてしまう。

なので、何かの誘いをもらい、それが週末であると、さり気なく断わろうとする。

そうすると、ことにイギリス人たちは、目を丸くして驚く。

「週末なのに!?」

・・・だから、なのよ。

だけど、理由は、いわない。

きっと、彼等には、このプレッシャーは、わからない。

週末に、ヒナがご主人様に電話をかけてしまいがちなのは、

こういった理由も、関係しているのかな。



9/21

あまりにも夕焼けが綺麗だったので、つい、街中の公衆電話から、ご主人様にお電話してしまった。

ヒナの住む街は、いま、色々な問題をかかえているけれども、

ときおり、ハッとするほど美しい表情をみせてくれる。

国の歴史なんかも、日本よりもずっと浅いはず、なのだけれど、

(なにしろ、日本は、世界一長く続いているRoyal Familyのいらっしゃる国、だし・・・)

でも、夕日に輝いている街の横顔に、その歴史や、いろいろな逸話を想起させられ、

思わずため息をつかずには、いられないときが、ある。

腕時計で時間を確認し、日本時間を計算する。

・・・大丈夫、かしら?

ドキドキしながら、プッシュする。

まず、海外通話であることを確認するサウンド。

そして、数秒の、間。

懐かしい、日本の呼びだし音。

「・・・ああ、どうした?」

「あ、あの。いま、外の公衆電話からかけているんですけれど・・・

 いま、すごくこの街、綺麗なんです・・・。」

笑われるかな、ヘンなことで電話してしまった・・・と、一瞬後悔が頭をよぎる。

十代の女の子でもないのに・・・。

「へえ?それは、すごいな」

わざとらしくなく、本当に、さり気なく興味をひかれたように返答して下さるご主人様に、

街中の電話ボックスの中、たまらなく幸せな気分になる。

そう、大したことではないのだ。

過剰に反応されると、なんだか照れくさくなってしまって、

自己嫌悪にさえ陥ってしまうことがある。

街が、とても美しくて、つい、それをお伝えしたくなった、それだけのこと。

そして、その気持ち以上でも、以下でもなく、

話をきいて下さった、その感覚に、嬉しくならずには、いられない。

この、広場の電話ボックスから、遠く離れたご主人様の耳元に、ヒナの声が届いていることに、

感謝せずには、いられない。



9/29


一人で異国に住むようになってから、病気をすると、やたら心細くなるようになった。

知り合いの音楽家たちに、助けてもらえるなんて、思ってはいけない。

身体が資本の私たちは、相手に感染させる恐れのある病気にかかってしまったら、

ひたすら、ひとりで家にこもって、回復を待つしかないのだ。

高熱にうかされながら、でも、そんなヒナを哀れんで下さったのか?

偶然の神様が、素晴しいプレゼントを、ヒナに下さる。

プレゼントを、しっかりと心で抱きしめながら、ヒナは、眠る。

いまのうちに、しっかり回復できますように。

はやく、元気になれますように。

色々な思いをこめて、ベッドの中、遠い日本を想像する。

サイドテーブルの上には、お守りのように、

首輪がわりのチョーカーが、鈍い光りを放っている・・・。



10/3

「武士は食わねど高楊枝」

という言葉が、意外に好きな私は、女性として少し変わっている、といわれたことがある。

もっと自然に、我がままをいってもいいのに、と。

そうはいわれても、そういう日本人の(大和男児の?武士の?)心意気に、

たまらなく魅力を感じてしまうのだから、ヒナにも、そういう「痩せ我慢」的傾向があるとしたら、

それを選ぶヒナの我がままを赦してもらえると、嬉しい、なんて、都合よく思う。

ただ、ヒナの場合は女のずるさというか、何というか、「武士は食わねど高楊枝」でも、

本当は、すごく空腹なのだ、と、誰かには見ていてほしい、

気付いていてほしい、と思ってしまうのである。

それも、いつもではない。

たまには、気付かれたことを、恥ずかしく思うし、たまには、気付かれないことを、恨めしく思う。

それなら、「おなかすいた」とひとこと、何の気負いもなくひとこと、告げることができればいいのに。

ヒナが、ヒナである限り、そうそうできるものでは、ない。

厄介な自分が嫌になって、時々我がままのカタマリになる。

ヒナの傍にいる人ほど、その害を被ることになる。

そうして、ヒナは、また「恥ずかしさ」と「申し訳なさ」でいっぱいになりながら、

その「傍にいる人」たちを、できるかぎりの心をこめて、愛したい、と思うのだ。



11/10

9月にはいったころからずっと、心がザワザワとしていた。

いま、ここにあって、手で触れて確かめられるもの・・・

それ以外はすべて霧にかくされたように、不明瞭に思われて。

そういうものじゃない、っていうことは、ずっとずっと、教えていただいてきたハズだったのに、

ヒナは、こわれそうになっていた。

4月のあの日から、もう、半年がすぎる。

あっという間のこと、だ。

だけど、色々なことが、あった。

苦しいこと、哀しいことは、耐えられないときは、正直にいうほうが、いい。

それがいえなくて、滅茶苦茶な行動をとってしまうことが多いけれど・・・。

そのせいで、いろんな人に、迷惑をかけてしまったり、するのだけれど。

ご主人様、ヒナを待っていて下さって、ありがとうございました。

本当に、本当に・・・ありがとうございました。

ヒナは、もう、大丈夫です。

それから、ヒナに、このような課題を与えて下さったことも、ありがとうございました。

これまでに、何度も、泣き言を申し上げてしまったことがありましたが、

こうして、「よくがんばったな」といって頂くことができたことは、ヒナの誇り、です。

また、もう2度とはこない、2000年の春から秋にかけての、

ヒナの心の動きをまるごと写しとった、これらの日記は、

あまり「残るもの」をつくらないヒナにとって、大切な大切な宝物となることでしょう。

ヒナを笑わせたり、恥ずかしがらせたり、支えてくれたりするだろうこの日記を

書かせて下さったご主人様に、心からの敬愛を申し上げます。

そして、どうぞ、これからも、よろしくお願い致します。


2000年、秋           ヒナ