英会話にピアノに習字...

小さい頃から子供にこれらを習わせる親は多いが、そして私はそのいずれをも習わなかったが、

もし私が親になるとすれば、子供には技術よりもまず感性を育んでやりたい。

昨夜はダラダラと飲みながら考えていたのだが、

あるいは先に結論が閃いたのかもしれないが、

幼少時において妖怪に興味を持たせてやれば想像力や感性を著しく刺激するのではないだろうか?

こう思ったのは、京極夏彦の「妖怪馬鹿」を昼間に読んだせいかもしれない。

しかし、他にもいろいろ考え巡ってみたが、どうも私にはこれが一番有効に思われる。

既に何らかの手法が確立されているかもしれないが、無理矢理にやらせても仕方がない。

妖怪ならば、例えばキャンプの夜、

今テントの回りにはこれだけたくさんの妖怪がいるんだということを話して聞かせてやればいい。

そうすれば、子供には小川のせせらぎや木々のざわめきがよりいっそう新鮮なものになるだろう。

それこそがまさに感性・想像力であり、妖怪の英才教育など馬鹿げているとは決して笑えないはずだ。

実用的な技術などその後で充分だと思うし、

結局はその技術もある程度のレベルを越えれば後は感性の問題だろう。



SMについて思いを巡らせるとき、そこには共通点があることに気付く。

例えば、M女性。

私は、あなた方が大和撫子の最期の砦を守っていると信じて止まない。

密かに尊敬もしている。

あなた方が絶滅すれば、それは日本の悲劇だ。

と同時に、その一歩手前でもある。

海外でSMというとやたら女王様が幅を利かせているが、ここ日本でも時間の問題だろう。

私の本能の片隅では、最後の聖戦士であるあなた方を守ってやりたいという強い使命感さえ感じている。

そして、S男性。

そこにちゃぶ台をひっくり返していた一昔前の親父像を感じるのは私だけろうか?

小さなテリトリーではあるけれども、絶対的な権力。

家庭における中心はあくまで己であり、圧倒的な存在感。

いざというときには限りなく頼もしく、そして、実のところ優しかったりする。

これらは、つまり「大和撫子」「ちゃぶ台ひっくり返し親父」というものは、

「古き良き日本への憧憬」とは言えまいか?

私は、SMにはある種の懐古主義が含まれていると思う。

そう感じるのはおそらく私だけではあるまい。

寿安などはその感覚を見事なまでに具現化していると言える。

私たちは大切なものを失い、そして、これからも失い続けるだろう。

そんな時代への失望が、よりいっそうの懐古主義を生んでいる。

やがて懐古主義は私の中でしたたかに時代と融合し、新しいかたちを創るだろう。

それをもって、ささやかな抵抗としたい。



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