エレベーターの扉が開き彼が現れると、二人の受け付け嬢はカウンターの向こうで肘を突き合った。

  毎週月曜日と木曜日は決まって彼女たちの化粧が念入りになされており、それは同じく神崎龍介

がこのスポーツクラブにやって来る日でもある。

「こんばんは、ようこそいらっしゃいました」 

 その満面の笑顔は、業務上の義務を遥かに越えている。化粧に気合いを入れ過ぎたのか、パリの

街頭娼婦のようになってしまった右側の受け付け嬢が、会員証を預かりながら濡れた瞳で希望のロ

ッカー番号を訊ねた。

「どこでもいいよ」 

 彼女たちの笑顔とは対照的に低音の無愛想な一言だが、目は笑っている。

  そんな神崎から、研ぎ澄まされたナイフのような危険な冷たさと、この男が本気になればどんな

ことからでも身を守ってくれそうな頼もしさを本能的に感じとった彼女たちの子宮は自然に疼いた。

  まるで彫刻家のようなしなやかで長い神崎の指にねっとりまとわりつくようにしてロッカーキー

を手渡すと、次の客がいるのも忘れてその背中を熱っぽく見送った。

 夜の7時を過ぎているので、広々としたロッカールームには仕事帰りのサラリーマンの姿が多く

見られた。サラリーマンといっても月会費が十万を超えるこのクラブでは、だらしなくパンツ一枚

で立ち話している男も会社に戻ればそれなりの地位にあるのだろうが、神崎はその醜く出っ張った

太鼓腹に嘲りの一瞥をくれながらロッカーに向かう。

 ロッカーキーは最新式のもので、それが自分のロッカー番号の半径数メートル以内に近づくとロ

ックが自動的に解除される仕組みになっている。ロックする時はその反対で、ただ離れればいい。

 割り当てられたロッカーのある列に来ると、ビープ音が短く鳴って微かにロッカーが開いた。デ

ィパックからウェアとグローブを取り出すと、あちこちに置かれている椅子の一つをたぐり寄せて、

その上に置く。紺地のコットンシャツと程よく傷んだリーバイスのジーンズを剥ぐと、原始の男た

ちはきっとこんな肉体をしていたに違いないと思わせるような荒々しい筋肉の隆起があった。身長

184cmにして体重96kg、体脂肪率は7%だ。

 同じロッカーの列で着替えていた御曹子風の青年が、神崎のアポロンのような肉体に見惚れてい

るのか、羨んでいるのか、または自分を恥じているのか、横目で盗み見ているのが気配で知れた。

  神崎はそんな視線などお構いなしに最後の一枚である黒のビキニパンツを無造作に剥ぐ。

  そこには若い娘でなくとも思わず「キャッ...」と顔を覆いそうな男の肉の塊がドス黒く垂れ

下がっていた。それはまるで使い古して黒光りする極太の擦りこぎ棒のようでもあり、御曹子風の

青年でさえ恥ずかしくなってしまったのか顔を背けてしまった。

 プライベートロッカーからシューズを出すとジムに向かう。  

  血圧を計り終えた神崎は必要事項をクラブ据え置きのコンピューターにタッチパネルで入力し、

いつものようにランニングマシンに向かった。誰がどう見てもプロのスポーツ選手としか思えない

その攻撃的なプロポーションを、皆が横目で追う。そんな神崎に単なる好奇心なのか、あるいはお

近付きになりたいのか、「何かの選手ですか?」と質問してくる女性が後を断たないが、彼はただ

いつも「違うよ」と一言答えるのみであった。そんな態度が噂が噂を生み、役者だの格闘家だの、

果てはアルピニストか何かの冒険家ではないかと、若い女性会員の注目を一身に集めた。それが面

白くないのか攻撃的な視線を飛ばす男も少なくないが、神崎はいつも涼しく受け流した。恐ろしく

ハンサムで恐ろしく野性的な肉体をしているが、それ以上に恐ろしく無愛想、それが神崎のこのク

ラブでの評判だ。そんな神崎が昼間は公認会計士として監査法人で働き、夜はジゴロとしての顔を

持つことなど夢にも思っていない。

 ランニングマシンの前で屈伸運動をしながら鷹のような鋭い視力でフロアを見渡すと、二人の夜

のクライアントの姿が目に入った。神崎はジムでは絶対に話しかけてくるなと申し渡してあるので、

二人共その本心とは裏腹に寄りついては来ないが、何かを訴えるような甘ったるい視線を送ってき

た。それを無視してランニングマシンのベルトに上がると、歩くような低速でウオーミングアップ

を始めた。長く伸びた脚が踏み出されるたびに大腿の筋肉の束が大きく膨れ上がる。三分ほどのア

ップを済ませると速度を上げ、陸上選手の手本のような美しいフォームで駆けた。

 やがて頬から汗が伝い、短く刈り込んだ髪にも汗が滲み始めたが、息は全く乱れない。

 スポーツクラブにしてはやけに厚化粧の、まるでソフトクリームが溶けかかったようなプロポー

ションを蛍光色の派手なレオタードで包んだ中年女性が隣で歩きながら、露骨な視線で神崎の全身

を舐め回している。

「あなた、そんなに走ってよくバテないわねえ」

 一瞥もくれずその質問を無視して、神崎は更に速度を上げた。全力疾走だ。

 中年女性は無視された屈辱も全く感じないのか、今にも襲いかかりそうな好色な目つきで懲りず

に神崎を舐め続けている。 

 さすがに三分も経つと神崎の口が開いたが、結局それは十分続いた。

 無料のスポーツドリンクを一本空けると、滴り落ちる汗を拭いながらストレッチマットに上がった。

  ウエイトトレーニングの初心者ほどストレッチを疎かにしがちだが、神崎は十五分かけて全身の筋

肉を入念にほぐした。月曜は大胸筋と上腕三頭筋を重点的にヒットさせる日なので、それら筋群には

特に時間を割いた。

 アップとストレッチで全身の筋繊維が活性化した神崎は、まずフラットベンチプレスマシンにつく。

  若者が多く集まる一般のスポーツクラブでは人気マシンで順番を待たなければならないこともある

が、どちらかと言えば社交クラブの色合いが強いこのジムではたいてい空いている。会員の大半は専

ら体脂肪を燃焼させるべく、自分たちの所有している株価などをべちゃくちゃ喋りながらエアロバイ

クにいそしんでいるか、あるいは、ろくに運動もせずただ風呂のみに入って終わりだ。

 神崎はマシンの負荷を120ポンドにセットしてウオームアップセットをきっちりとしたストリク

トスタイルで12レップス行った。負荷が軽いので、大胸筋は全くといっていいほどハンプしない。

  ウオームアップの2セット目は負荷を200ポンドに上げて10レップス行った。神崎にとっては

中程度の負荷である。

  何の苦もなくそれを終えると、今度はフリーウエイトのスペースに移った。フラットベンチプレス

マシンでは最大200ポンドまでしか負荷がかけられないので神崎には軽過ぎるのだ。

 神崎がフリーウエイトのスペースに移ると、男のインストラクターが飛んでくる。客にウエイトの

セットをさせないというのが、このジムのモットーの一つなのだ。神崎はただポンド数を指定すれば

いい。380ポンドを告げると、セットが完了するまでの間、再び大胸筋を入念にほぐした。

「できました」

 そう言うとベンチの頭の方に立つ。神崎の補助をするためだ。スポッターがいなければ、万一バー

ベルが手から離れた場合、その全重量が躰を直撃することになる。

「ありがとう」

と神崎も一言返す。

 神崎は滑り止めの革製グローブをつけると、フラットベンチに横たわった。目を閉じて深呼吸を繰

り返す。そうやって精神統一し、気を高めるのだ。

 5、6人の女性ギャラリーがフリーウエイトのスペースに集まってきた。皆、露骨に見るわけでは

なく、ごく軽いダンベルなどを手にしてトレーニングのフリはしてはいるが、自然に神崎の表情やら

胸の膨らみがよく見える場所にその足は動いた。これはいつもの光景だ。その中には、先ほどロッカ

ールームで神崎のイチモツを見て度肝を抜かされた青年もいれば、今すぐにでタレントになれそうな、

まるでスイカのようなバストを持つ美女もいた。

「ぐっ...」

 噛み締めた歯から熱い息が漏れると、380ポンドのバーベルがラックから離れて宙に浮いた。それ

を支える腕の筋群が岩のように表れ、見るものでさえ思わず力が入った。

 シャツの上からでもはっきりとわかる分厚く盛り上がった胸に触れるか触れないかの位置までゆっく

りとバーを下げ、大胸筋を左右いっぱいに伸ばした。鋼鉄製のバーがセットされたプレートの重量で軽

くしなっている。胸筋の質量は倍ほどにも膨れ上がり、Tシャツの生地が張り裂けんばかりに伸びた。

  普段はクールな神崎も、この時ばかりは押し潰されそうな重力にたまらず顔が歪む。

 大胸筋に意識を集中しながらゆっくりとした動作で再びバーベルを宙に浮かせると、腕を伸ばし切っ

た状態で一旦ロックアウトした。ワンレップス目で汗が噴き出し、口が開く。

「そんな辛いこと止めちまえ」と、もう一人の自分が耳元に囁きかける。 

 結局、神崎は強靱な精神力をもって、その動作を8回繰り返した。

 9回目になると、さすがに380ポンドのバーベルはいくら力を振り絞ろうとも上がらない。それを

察知したインストラクターがバーに少し力を加えた。ウイークポイントを越えて、再びバーベルが宙に

浮く。これはフォーストレップという方法であり、上がらなくなったからといってすぐに止めてしまう

のではなく、このように補助をしてもらって筋肉を限界まで酷使するのだ。

  2回のフォーストレップでバーは全く上がらなくなった。

 一旦休憩を挿む。

 バーベルをラックに掛けて380ポンドの重力から開放された神崎は、フラットベンチに横たわって

荒い息を静めた。上半身から汗が吹き出し、浅黒い首筋を伝ってはクッション材の敷かれた床に滴った。

  Tシャツが上半身に張りつき、分厚く盛り上がった筋肉のシルエットを一層はっきりと浮かび上がら

せている。そんな姿にギャラリーの男たちは嫉妬し、また、女たちは「この男とSEXすれば一体どう

なってしまうだろう?」などと想像しては下半身を熱くした。

  神崎はこの後も小一時間掛けて大胸筋と上腕三頭筋をヒットさせた。

 最後の仕上げにディップスを10レップスで5セット行うと、靴を脱いでストレッチマットに上がる。

  トレーニング後の入念なストレッチにより、明日、特に目覚めの一番に必ず襲ってくる激しい筋肉痛

を最小限に抑えることができるのだ。

 トレーニングの余韻の熱で吹き出る汗を拭いつつ、みっちり15分行った。    



  月会費10万円超にふさわしい総大理石造りの豪華な浴室は、会社帰りのエグゼクティブたちで混み

合っていた。それでも芋の洗い場みたいにならないのは、広々とした吹き抜けの空間に3つの浴槽、4

つの異な温度のサウナ室、冷水槽、30のシャワールーム、洗い場などがゆったりとしたデザインで配

置されているからだ。蔦の絡まった4本の大きな支柱がどこかローマ帝国の巨大浴場を思わせた。

 まるで美術館の男性彫刻に生命を吹き込んだような肉体の前も隠さず浴室に入ると、同じ男でさえ神

崎に見惚れずにはいられなかった。おまけに、ドス黒くぶら下がる肉塊は桁外れで、まさに男の凶器と

呼ぶにふさわしい。湯煙の中、横目で盗み見する者もいれば、露骨に視線を送る者もいる。

「兄ちゃん、あんまり女泣かしたらあかんでえ」

などと誰かが揶揄する。 

  怒っているわけでも笑っているわけでもないニュートラルな視線でそれに答えると、中温度の浴槽に

身を沈めた。目を閉じ全身の力を抜くと、ジャクシーの泡に身を任せ更に全身をほぐす。         

  心地好い刺激の中、神崎は妄想に耽りながら二十分間そこを動かなかった。   

 止めどなく頬を伝う汗の滴が泡に飲み込まれては消えた。